2011年5月4日水曜日

革命的博多旅行

ほんとはGW開始直後にいくつもりが、風邪引いてタイミングをずらしちゃったので5月2日出発。

行きはのぞみでまっすぐ飛んでいって、2時間半で博多駅に。
博多駅は、さすがまあ九州の玄関口だけあって、大阪駅かのような賑わい。
後に行く天神のあたりが難波のような賑わいなのだろうか、と思ったが、それがわかるのは後の事。

都市部はある程度慣れてこないと楽しみどころがわからんので、ちょっと都心を外して歩いて、見かけたラーメン屋に入ってみた。
ちょっと時間が遅かった、といっても1時半ぐらいだったはずだが、ライス切れと言われてラーメンライス不可。チャーシュー麺550円と大阪感覚では安い物価。味は、まあ普通。


食べてもう少し歩いて、筑前一ノ宮・住吉神社。
境内摂社に三日恵比寿神社というのがあり、まるで大阪南海本線沿線の神社(住吉大社と今宮戎神社)を凝縮したような趣。
大阪住吉大社、筑前一ノ宮の住吉神社、長門一ノ宮の住吉神社が日本の三台住吉さんであるそうだ。

三日恵比寿のほうは、昭和21年、藤井吉太郎氏が那珂川の河原で初日の出を拝んでいたら、川に流れていた恵比寿様の像を発見、家にお祭りしたところ、宝くじが当たるなど次々幸運に恵まれて大金持ちに。
福岡や田川・筑紫などからもあやかりにくる参拝者が続出、これは個人で独占していては申し訳ないと思った藤井氏、3年後に神社を建立してお祭りすることにしたのがこの三日恵比寿であるとのこと。
個人宅に押しかけられるのにうんざりしたんではないかという気もする。


三日恵比寿は時代の先端を行く最新の神社のひとつといえるが、住吉神社の方は逆に神代に遡る古さ。
なにしろ天津祝詞にいう「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」がここであって、住吉三神はここでイザナギが禊を払ったときに生まれたのだから、ここが住吉神社のオリジナルである、という。
本殿は黒田長政が1622年に建てた物とのこと。国の重要文化財。

拝殿は割と最近きれいにしたみたい。もう何十年か経って味が出てほしいとこかな。

境内には土俵もあって、相撲の奉納もやってるところであろうか。

境内摂社に人丸神社というのがあり、その名のとおり柿本人麻呂を祭っていた。
特に博多と柿本人麻呂の繋がりは私はわからんのだが、なんかあるのだろか。


住吉神社を西に抜けてすぐ、「伊弉諾禊祓の地 天龍池」とある。
中には天津神社という小さなお社と、それを囲むように干上がった池がある。かつて水面が高くて博多も天神も海の下だった時代には、この池が潮入の池だったらしい。
それ以上の情報がないけれど、地図でも明らかに、この池を避けて道を引いているくらいだから、それなりに重要なものなのかもしれない。


そこから那珂川東岸まで歩いて行って少し北上すると、ファッションモールのキャナルシティ博多がある。
まあ、通り過ぎた結果私にはあんまり関係なさそう、と。
なんでも那珂川挟んで西側はラブホテル街だから、キャナルシティ内からはあんまり川向こうが見えなくなってるとか。


通りすぎて国体道路を渡ると、なんかメタルとかやってるライブハウスみたいな感じで塗りたくられた店があり、しかし中をよく見ると鉄道忘れ物市だった。まあ多分一時的に借りただけだろうけど、外見と中身が違いすぎる。
そこでリコーの古いデジタル時計を見つけて購入。
JR東日本の忘れ物であるとか、私はG-SHOCKもDatabankも興味ないけどステンレスケースのデジタルを集めてる、などと店のおっちゃんと雑談少し。


さらに少し行くと櫛田神社がある。
実は翌3日から博多どんたくだと全然知らずにいたのだが、ここからどんたくの囃子が出発するとか。

櫛田神社という名前だと大体クシナダヒメを祭ってるものだというけれど、ここは大幡大神を祭っているとのこと。伊勢松阪の櫛田神社から勧進してきたそう。創建は757年という。
祇園山笠の飾り山を常設展示してる唯一の場所で、ここ以外じゃ祭りの時しか見られない。

なぜか境内に天満宮のような牛が居たのだけど、なんでだろう?
と思ったら摂社に天満宮があった。


北西の方に商店街が伸びていて、冷やかしながら歩いて行くと市営地下鉄の中洲川端駅に着く。
とりあえず天神まで移動してホテルに荷物置こうかな、などと思っていたが、駅の案内で福岡アジア美術館というのがあると知り、行ってみることにした。

特別展は山下清展。
まあ例によって不勉強で、裸の大将放浪記以上のことを知らんで見たけれど、思いの外面白い。
貼り絵を始める前の子供時代の絵が、秩序的にきっちり左右対称だったり繰り返しがあったり、見るからに只者でない。
貼り絵で知られるようになった頃には、絵全体は写実的だったりしていつつ、部分部分がやはり秩序的に色紙を並べてたりしていて、なんとも見て面白い。
この秩序感はドット絵に通じるようなとこもあり、結構ファミコン時代のゲームの画面に似たような雰囲気の絵になってたりもする。

「草原の国から - モンゴルの光と影」という展示も、これも面白い。
伝統的モンゴルとソビエトとが、技法でもモチーフでも混在していて、異様。
私はスケールの大きい感覚で描かれた、例えばロシアのアイヴァゾフスキーの海洋画とか好きなのだけど、やはりモンゴル人の大草原イメージもそんなふうに雄大、なのだけど、ソビエトのプロパガンダポスターみたいな堅苦しさがまた同居している。

他にも、中国・韓国・東南アジアの現代画家の作品が色々あったけれど、まあ正直現代アート、特に絵はもう奇抜さを抜いたら何も残らんヒラメキ勝負、というような偏見があるのだけど、それが日本人のと違って面白い。
アートは社会と結びつかないといけない、という話もあるけれど、実際そうかもしれん。中国人なんか明らかに共産党に怒られそうな絵をやってる。
横に長く何メートルも描かれた赤い壁の前に、中国で迫害されるゲイなどの人たちが間隔を置いて描かれ、その前を全裸の男が走り抜けていってるとかそんなの。

実に面白い美術館だった。
また九州行く時には立ち寄ろう。


電車でひと駅いって天神へ。
ホテルに荷物を置くべくチェックインして一休み。
天神駅北西の安国寺という寺の近くにあるのだが、翌日帰る時まで西にちょっと行けば親不孝通りだと気づかず。まあ別に親不孝通りに用事なんかないけれども。

当初予定では福岡城址など観るべく大濠公園に行こうかと思ったのだが、ちと遅くなってしまったので、天神の街を徘徊することに。
が……どこに何があるやらようわからん。

迷ったら城か神社にいくのが私であるから、南西にある警固神社にいってみた。
三韓征伐の折に、神功皇后の船団を護って勝利に導いた警固三神(神直毘神・大直毘神・八十禍津日神)が主神。
密かに三韓征伐やら朝鮮出兵がらみの神社や史跡が山ほどあるわけだが、韓国人旅行者は結構多かろうと思うけど、地雷踏んだりせんのかな。

なにせ社殿の向こうに三越が見える、景色的な意味では今ひとつな神社ではあるが、割と最近建て替えたらしい社殿が、派手に塗装したりせず生木の肌を出して、結構趣味がいい。
新しい社殿って大体ケバくてみっともないのが多いのだけどな。


しばらくぶらついて、いい時間になったので、西新まで地下鉄で移動して、かの革命家・外山恒一氏のバー「ラジカル」へ。
奇しくも、氏の革命家養成塾の塾生・卒業生がビラまきのために集結してきていた。

まあ私は別に社会運動に身を投じてるわけでもなく、いかんせん教養も足りないので、ただ飲んでいっただけのものだが、まあ実践も理論もまったく足りないとわかったことをもってよしとしよう。
しかし、大分の大学からきた若い客があり、その大学では外山恒一氏のファンの一団があり、近くの本屋から先日発売された「デルクイ」があっという間に消え去ったとか。着々とファシズム革命の足音が近づいてきている。


旅行初日はこれくらい。