行き先が和歌山なのは毎度のことだが、今回は御坊市が目的地。
JR紀勢本線の御坊駅からちょろっと出てる、全長2.7kmの日本で二番目に短い鉄道である紀州鉄道に乗るべく。
府道63号線で風吹峠を越えて和歌山入り。
そのまままっすぐ進んで、JR和歌山線の船戸駅近くで折れて県道10号線に入り、そのままどんどん南下。
途中でたま駅長の勤める貴志駅の間近を通る。通り過ぎただけだけど。
途中で国道424号にぶつかるので、そっちに移ってさらにどんどん南下。当分ずっとR424を通って行けばよい。
和歌山の3桁国道といえば酷道の宝庫といわれるが、このあたりは別になんでもない、むしろ快走路なくらい。山と山との隙間から時折絶景が。
海南市に入って、国道370号を通り過ぎたところで、海南歴史民俗資料館という案内があったから寄ってみた。
着いたら9時25分で、どうかと思ったがまさかの9時からオープン。
建物の外には漁船や漁具・農具などを展示してあり、中は古墳からの発掘物や、戦前くらいの古道具などが並ぶ、まあどこにでもありそうな……と思いきや、カメラがぎっしり並んでるエリアがある。
何事かと思ったら、ミノルタの創業者たる田嶋一雄氏が海南の出身で、その縁でミノルタのカメラを新旧並べている。X-7やα-7000など定番ものから、オートコードなどのクラシックなもの、APEX105(しかも白)やVectis3000、110ズームSLRなど徒花、PROD20'sのような変態まで。
それから地元の画家やら、海南の多くの学校の校歌をたくさん作った音楽家やら、そういう人の作品の展示。お国自慢のネタがあるのは羨ましいやね。
R480との交点でちょっと寄り道し、道の駅明恵ふるさと館へ。
駐車場にBMW R1200とTriumph Thruxtonが並んで停まっていたので、その横に私のTT250R Raidが停まるとみすぼらしい気がして、少し離れたフュージョンSEの横に停めた。
地鶏の焼き鳥串とじゃばらジュースで一休み。一休みして出てきたら、CBR1000RRのREPSOLカラーがお揃いで2台停まっていた。なんだ高級車ばっか。
またR424に戻り、道の駅しらまの里というのがあって停車。
しかしここは特筆すべきネタはないかな……。
日高川町に入る直前、案内板が御坊行きは県道10号線と案内するのでそちらへ。
途中でちらちらと「西鶴」云々と書いた看板があったのだが、地名なのか井原西鶴なのか、西鶴公園とか西鶴記念交流館という名前じゃ判断しかねるな……と思ってたら、今確かめると井原西鶴だったようだ。行けばよかったな。
程なく、道の駅SanPin中津というところがあって停車。多分「産品」だろうと思うのだが、サンピンて……。
産品の売り物はホロホロ鳥だそうで、丼やらラーメンやら作ってだしてるようだが、ちょっと昼食には早かった。物販エリアも広くて色々置いてある。
また、元禄歌舞伎名優・芳沢あやめ出生の地、と看板が立っている。看板自体は数十年経ってそうなものではあるのだが、それにしても300年は前の人を引っ張り出すとは。
夏の日差しの中でくそ熱いアスファルトの上で、トカゲが一匹。
派手な色だから何かと思ったが、こいつ自体はありふれたニホントカゲだそうだ。子供のうちはこんな色だとか。
SanPin中津を出るとようやく町っぽくなってきて、しばらく走ると御坊駅に着いた。
駅前の駐輪場にバイクを預け、紀州鉄道に乗りに行くと「もうすぐ発車」と言われて慌てて乗車。
駅に乗り場の案内もなにもないが、JR駅構内に乗り場があり、改札は紀鉄に乗る旨伝えて通してもらい、料金は車内払い。
単線単行、そして「エアコン壊れててすみません」の張り紙と開け放たれた窓。レトロ。エアコン壊れたままにして扇風機回してくれる方がいいな。
学門駅は、すぐ側に県立中学の門があるから学門だそうで、油断すると学問と書き間違えることで知られる。
受験生などに学門駅の入場券が人気で、紀州鉄道もそれを狙ってお守りつきキーホルダーにして販売してたりするのだが、無人駅で改札ないから、入場券は必要ないよね。
外はきれいだったのだな。中は時間が止まってるけど。
駅もかなりの時間停止っぷり。
西御坊駅構内の寺内町歩きマップを撮影して、それを見つつ一回りして歩いていくことに。
JRの御坊駅は町外れにあり、中心市街を通っているのはむしろ紀州鉄道のほう。
中学校前の学門駅、名前通りの市役所前駅とあって、西御坊駅も駅そばに商店街が広がる。まあ、日曜だからかもしれないが絶望的にシャッター街だけども。
駅から南西にある、小竹八幡神社へまず行ってみる。例によって神社好き。
こう書いて「しのはちまん」と読むとはなかなか思えない。
10月には「御坊祭」という中紀最大の祭りが行われるという。祭りの時期でない今は、それほど大きな神社とは見えないけれど。
日本書紀にある、神功皇后・応神天皇由緒の地・小竹宮に由来する、という。
壮大な神社だったらしいけれど、秀吉の紀州征伐に巻き込まれて古文書など全滅してしまって、この神社の詳しい由来は不明になったそうだ。
現在の場所は、徳川頼宣の別邸だったところに1678年に鎮座したとのこと。
それから寺内町の方へぶらぶら。景色が昭和。
茶免の地蔵、というのを発見。
地元で信仰されてる延命の地蔵とのこと。
で、「御坊」という名前の由来たる、本願寺日高別院。
ちょっと境内に幼稚園があったりしたのと、寺はちょっと苦手なのがあって外から眺めるにとどめた。(ここがメインなのに……)
日高別院の東側の道沿いは、近世の街並みが残ったところで、案内マップにもそれを案内していだのだが、デジカメの小さな画面で見ていたら間違ってしまって、日高別院の西側の道を歩いて行ってしまった。
まあ西は西で昭和レトロ丸出しの商店街だったので、これはこれで。こんな町並みなのに、なぜかスピーカーでテクノ色の強いR&Bみたいな歌を流してて、そのズレ感もまたよし。
紀伊御坊駅にたまたまたどり着いた。
紀州鉄道では、ここが中心駅だそうで、終日駅員さんがいる。
、「まあこのまま御坊駅まで歩いて行ってもいいけど、時間がちょうどよかったら乗っていこ」と思って次の列車の時間を聞いたらすぐ。
グッズ販売……というか、2年ほど前まで走ってた旧型車両のブレーキシューなんか売っている。
切符買ったら硬券出してくるし、凸型の鋏いれてきよる。これはわざとやってるんだろうけど。
せっかくだから、学門駅入場券のお守りを買ってみた。
御坊駅まで乗って戻り、駅前の、駅弁作ってるところが片手間っぽくやってるらしい食堂に入る。
あんまり手間掛かってない感じの和歌山ラーメンを注文し、いやしかしチャーシューとなるとはしっかりしてるな、と思いつついただく。
結構色々芸能人のサインとか飾ってあったが(駅の近くでは他に行くとこないんだと思う)、ロケみつのEVA芸人の子の写真とサインまであって、これはうーん。
バイクに戻って、大阪方面への帰路につく。
行きは山の中を突き抜けてきたけど、今度は海の方を回っていくことに。
美浜町の海沿いの道をずーっと走っていく。というか迷いこんで、海沿いすぎて本当に単車なんか乗り入れていいのか心配になるような道を走っていく。
聞くところによると、かの「Air」のモデルになった場所がここだとか。
なんか、妙に雰囲気が日本離れしてるように感じられたが、かつてはカナダと移民の行き来があった村だったらしく、その名残かな。
県道24号線に入り、どんどん海沿いを北にいく。
海岸の景色はちょこちょこ変る。
海水浴場になってるようなところもあり、写真のような岩っぽい浜もある。
海沿いとはいえ、海からすぐ崖みたいになってるところもあり、そういうところはちょっと内陸寄りに山越えの道になっていたりもする。2枚目はそういう山道の上にあった大きな池の写真。
なんだこれは。
と思ってると、右の写真にみえているでかい白い岩塊のところに、道の駅白崎海洋公園がある。
もうすこし早い時期(春から初夏にかけて)には、ウミネコの集団が飛来したりもするとか。
道の駅だから軽食出すところとか物販なんかもあるのだが、ここは景色のインパクトがありすぎるな。
物販の他、地元の貝殻コレクターのコレクションが展示されている。結構な数があって、好きなら面白いかもしれない。
和歌山みかんを使ったソフトクリームを食して、なかなか美味。ミルク味が勝っててみかん風味、くらいかと思ったら、みかんが勝ってる味。
道の駅を出てもう少し北上すると、戸津井鍾乳洞というのがあると看板。ちょっと寄ってみた。
そんなに巨大なもんではなく、大正から昭和初期にかけて石灰石鉱山だったところだそう。
全長も100m程度と短く、そして中が狭い。自分の身体が邪魔。
最奥部に鎮座する玉石。 |
いかんせん来るのが大変だが、結構に面白い。狭いから鍾乳石への距離が近い。
いい加減長い日記になってきたが、ようやく次が最後で、衣奈八幡宮というところに寄った。
神功皇后の三韓征伐から帰ってきたときに寄ったところ、という、大阪から和歌山ではちょくちょくある由来の神社。帰ってきた神功皇后が、久々に息子と対面したところだとか。
これまた秀吉の紀州征伐にやられた、と和歌山では非常によくある道を辿った。
長い階段を登った先に拝殿、コンパクトに整然と摂社が両脇に並ぶ。
さすがにこれだけ走ったり歩いたりしてると疲労がきたので、帰路は高速道路でぶーん。
TT250R Raidに乗り換えてから初めて使う高速だけど、まあタイヤもオンロード寄りのにしてるし、パワーも100km/hでまだある程度余裕ある感じだったし、心配するほど悪くなかった。
いい加減長い日記になってきたが、ようやく次が最後で、衣奈八幡宮というところに寄った。
神功皇后の三韓征伐から帰ってきたときに寄ったところ、という、大阪から和歌山ではちょくちょくある由来の神社。帰ってきた神功皇后が、久々に息子と対面したところだとか。
これまた秀吉の紀州征伐にやられた、と和歌山では非常によくある道を辿った。
長い階段を登った先に拝殿、コンパクトに整然と摂社が両脇に並ぶ。
さすがにこれだけ走ったり歩いたりしてると疲労がきたので、帰路は高速道路でぶーん。
TT250R Raidに乗り換えてから初めて使う高速だけど、まあタイヤもオンロード寄りのにしてるし、パワーも100km/hでまだある程度余裕ある感じだったし、心配するほど悪くなかった。