環状線の西半分を歩いてみたのだけど、あのあたりは元々海だったから、あんまり神社とかなくて、ほとんど歩くだけになってしまった。
途中で寄った、弁天町の交通科学博物館が主たる見物か。
どーむですよどーむ。
大阪ドームの西側ってあんまり行ったことなかったけど、大阪ガスのガスタンクがあるのね。
大正区から尻無川を渡って港区へ渡る鉄橋。
そして一気に交通科学博物館へ飛ぶ。
みんな大好き0系新幹線ひかり号と、特急はと。151系というのでいいんだっけ。
ちょうど「覇者の誤算~日米コンピュータ戦争の40年~」という本を読んでるところなのだけど、そこでも話題になった国鉄の座席予約システムMARS 102。
HITAC 3030っていうトランジスタ式コンピュータを使っている。これ端末だからここにHITACがあるわけじゃないが。
でごいちとしろくに。
特急くろしおのキハ81型。
これが走ってたのは、ちょうど私が生まれる頃までだそう。私のくろしおのイメージは、この後の485系。
交通科学博物館、なので、鉄道以外もシルバーピジョンやら、左翼ゲリラの岩崎も愛用のスバル360。ナンセーンス! そして初代ドリーム号・日野RA900P。
第二展示場に抜けてオレンジ塗装の車両群。
DD13はRoad switcherといわれるものだそう。
DD54は西ドイツの技術を導入したものの、その技術が凝り過ぎみたいな代物で保守が大変すぎて運用が大変なことになり、早々消えていった悲運の車両だそう。
DF50はよくできた、国鉄ディーゼル機関車では初めて量産ベースに載ったものとの話。
ここから九条の方にあるいていく。
で、安治川が道を塞いでいるので、源兵衛渡という渡し舟があったところを通る地下トンネル・安治川隧道を通ってみた。
結構深いが、自転車も乗れるエレベーター完備。
出た所で、此花区の名所散策ルート案内看板があったので、いずれ機会を見ていってみよう。
ここからは梅田まで歩いて買い物など。
しれっと歩いてるけれど、帰宅したら15キロは歩いていると万歩計の表示が。だんだん平気で歩ける距離が伸びてきた。
今日のC-2000Zは、CAMEDIA4桁機は秀作揃いと言われるとおりで、安心の写り。
まあ1999年の製品で時代も時代だから、ホワイトバランスとかAF速度は頼りないところはあれ、換算35-105mm F2.0-2.8なんて明るいレンズを搭載。
1/2型200万画素の、今となっては素子の大きなセンサーもあって、上限ISO400でも交通科学博物館の薄暗い撮影をよくこなしてくれた。F2.0でISO400なら、そこらのF2.8のレンズでISO800にするのと同等になる。
やっぱりデジカメも、良いレンズに如かずだなというところ。
絞り・シャッター速度優先オートもあって、ちょっと絵作りしたくなっても対応できる。
起動はちょっと待つ(でも思ったより待たない)けど、高級機だけあって書きこみバッファもあるから、多くのスマートメディア廉価機のように長い書き込み待ちに苦しむようなこともなかった。
光学ファインダーも奢ってる感じで、起動時に液晶ファインダーがオフになってるけど、光学ファインダー撮影を基本となっても特に文句なし。
天面に撮影設定表示用のサブ液晶があるあたりも、上等なフィルムカメラ的な設計っぽさがある。
まあ、そのサブ液晶に全ての設定項目は表示されず、ISO感度などは出ない。
背面液晶オフでメニューボタンを押すと、サブ液晶に出る設定項目のみサブ液晶を見ながら設定できる。
ISO感度などを変えたければ、液晶をオンにしてからメニューボタンで変更。しかも感度の項目が下から2番目とあって、ちょい煩雑。
当時は、大抵のカメラでISO100固定とかだったから、むしろ感度を一番頻繁に変えたいという現代的感覚とは違ってたかも。
で、悪いことに、感度がいつのまにか100に戻っていたりして、どういう条件でリセットされるかいまいちわからない。ストロボモードとか画質モードは常にずっと覚えてるんだけど……。
十字キーがどうも、上下を押すと左右も反応しちゃうイマイチなタッチなのが惜しいか。
操作性の面で、我慢できるけど細かく気になる点が結構ある。
それらは実際、大勢のユーザーに指摘されたようで、すぐC-2020Zにマイナーチェンジして修正したらしい。
C-1400→C-1400XLとか、CAMEDIA C-1→C-2とか、当時のオリンパスはマイナーチェンジとかモデルチェンジのついでに操作性修正ってちょくちょくやってたような……。