2012年4月30日月曜日

門司~下関 w/ Easyshare Mini

旅行二日目は、門司から関門海峡を抜けて下関に歩いてみる予定。
しかし、耐えるかと思っていた天気がどうにもダメな加減。

昨年福岡にきたときは、新幹線で来て鹿児島本線で戻るというルートをとった。
せっかくなので今回は、福北ゆたか線で行ってみることに。

ともかく宿から博多駅へ。バスですぐ。


むやみにかっこいい特急ソニック。
883系というそうだが、ちょっと80年代っぽい鋭角デザインがいい。

福北ゆたか線は、博多駅から篠栗線で内陸部に入っていき、桂川駅で日豊本線につながり、折尾駅で鹿児島本線と合流し、その先の黒崎駅まで。
ちょうど黒崎行きが居たので乗り込む。

しかし、813系だったと思うのだけど、これが恐ろしく座りづらいシート。
木の板に薄い座布団敷いただけのロングシートで、駅のベンチみたい。
シート両端2席分ほどはヘッドレストがついていて、少しは座りやすいかと思ったらむしろ逆で、ヘッドレストに押されて頭を下げさせられて苦しい。
急行きたぐにみたいに大昔の車両で、昔はそんなのが普通だったというならわかるのだけど、どう見ても車両は新しい。
ということは、わざと座りづらくしたとしか思えない。しかし何のためにそうしたのか。

後で調べた所、3両編成の中間はそういうシートの車両(サハ813形500番台)で、両端は普通にクロスシートだったよう。

ともかくシートに耐え切って黒崎駅へ。
そこから快速に乗って小倉に行き、門司港行き各駅停車を待って乗り込む。


無事に門司港着。
意外と北九州は新しい感じの車両が多いなあ、と思っていたが、これは415系というやつであんまり新しくない。

着いたはいいが、しかし、雨。
雨自体は細かくて、それほど強いわけでもなかったのだけど、風が強いから傘をさしてもほとんど真横から吹きつけてくる。


門司港駅はレトロ調をわざと残して、こんな昭和感あふれる風景。
トイレではなく洗面所が置かれていた、というのは、昔なら普通なのだろうか。道路が未舗装だったりすれば、砂埃が多くて手洗いが欲しくなるとかか。


雨に負けず歩いて行くと、旧九州鉄道の起点となる場所を復元してあった。
明治24年に門司港駅が開かれた時、ここから線路が始まっていたとのこと。


そしてすぐ近くに九州鉄道記念館がある。



いきなり準鉄道記念物のC59形蒸気機関車の1番車。
1941年に東海道・山陽本線の主力機関車として製造され、1956年に門司に来て、寝台特急あさかぜや急行雲仙として運行していた。
1962年に熊本に転属し、1965年に熊本まで鹿児島本線が電化されると、ローカル線では大型で重いC59を走らせられないので行き場がなく、廃車になった。


続いてEF10形。
1942年に関門トンネルが開通した時、両端は電化されていないのにトンネルの中だけ電化されている状態だったので、トンネル専用に作られたもの。


ED72形。どうも試作車らしく、量産車とはちょっと違うよう。少なくとも、量産車では前照灯が両側に広げて配置されている。
試作車といっても、1961年に作られてから1976年まで運行されていた。
電気機関車なんだけど、暖房のためにわざわざボイラーをつけてあったそう。



キハ07。戦前に作られたもので、原型留めて残ってるのはここだけとか。
もともとキハ42000形として作られ、同型車が戦争で壊れたり中国に送られたり、果ては行方不明になったり、戦後も天然ガス車に改造されたり私鉄に払い下げられたりして数を減らしていき、これはここに流れ着いた。
最後は大分にあったのをここに持ってきた。


クハネ581形とクハ481形。
クハネ581は世界初の電車寝台特急だそう。
クハ481は結構日本中走ってる型式のようで、しかし同じ481でも全然形が違ったりして、私にはイマイチ把握できない。


まだ端っこになんかあるな、と思ったが、これは石炭車のセラ1239。


鉄道車両の野外展示はここまでで、本館の方へ。
1891年に竣工した、九州鉄道会社の本社ビル。この中が記念館になっている。


入ってすぐ、チブ37形という客車がある。
九州鉄道が明治時代1909年に製造し、1929年には大分の耶馬渓鉄道に譲られて、1971年まで走っていた。その後中津市でレストランとして使われていて、ここに戻ってきた。
明治の頃の状態を出来るだけ復元してここに展示してある。


二階では、九州に重点を置いた鉄道の歴史展示。
特急つばめがかなり大きくフィーチャーされている。
一度はやってみたいであろうこんなのも。


記念館を出るも、雨風は収まらない。せめて風だけでも落ち着いてくれれば……

本来もっとレトロエリアを散策したりしたいところだが、天気がこれではどうにもこうにも。
門司港レトロ観光線に乗ることにする。


小さな機関車がやってきた。DB10形というそう。
客車はともかく、運転士の乗るスペースが恐ろしく狭くて、ちょっと気の毒になるくらい。

景色を眺めながらゆっくり走っていく。時速15キロくらいしか出ない、日本一ゆっくりした鉄道とアナウンスされる。
天気が良ければなあ……


途中でトンネルに入ると、天井がこんなことになる。


終点の関門海峡めかり駅に到着。
さてまだ雨だどうしよう、と思ったが、雨でも楽しめそうなめかり絶景バスというのに乗り込んでみる。


ボランティアでガイドやってくれてる奥さんが、安徳天皇が入水されたところだとか巌流島が見えるとか案内してくれるものの、雨で濃霧になってきて何も見えないくらいに。奥さん困り果てている。
山頂にはめかり山荘という国民宿舎があったが、あいにく3月末で閉店してしまっていた。


途中で展望台があり、そこで一旦バスを止めて下車。
幸い霧はある程度晴れて、このとおりの景色。


関門橋をちょっと上から。


また反対側には、壇ノ浦の戦いを描いた壁画がある。
焼き物でつくってるそうで、10年くらい経っているけどまだまだ色褪せもしない。

一周して、関門海峡めかり駅に戻ってくる。


駅前に、オハフ33形客車が置いてある。

その中は、ちょっとした喫茶・軽食を出す店になっていた。



コーヒーと、門司港みなとまちプリンで一息。


その隣は、EF30形電気機関車も置かれていた。



しばらく海沿いを歩いていく。まさに壇ノ浦。


関門トンネル人道入り口そばに、和布刈神社がある。
ほんとに水際の立地で、ちょっと海が荒れようものならすぐ水没しそうなところ。
砂浜があるような海岸ではなく、岩山を背に僅かな隙間を切り開いて建てたような立地。それがなんとも身の引き締まるような雰囲気を出す。

ここのめかり神事は有名で、大晦日の深夜から元旦にかけて、神職が三人で海に入ってわかめを刈り取り神に捧げる。
710年にこのわかめが朝廷に献上された記録があり、少なくともその頃からやっていた。


神殿前から階段が出ていて、ここからわかめを狩りにいくのだろう。
細川忠興が奉納した燈籠があるとのことだが、これだろうか。

あいにくの空模様だが、この神社の厳しい雰囲気には、曇り空が似合っていた気がする。良い神社だった。


そして人道へ。
全長780メートル、海面下58mを歩くのはなかなかできない経験ではある。


途中に山口・福岡県境も。


山口県側に出ると、砲が並んでいる。
長州藩が攘夷のために作ったものを復元してある。


義経の八艘飛びと、平知盛の碇担ぎの像があった。



ここから西へ、道なりに歩いて行く。
雨も落ち着いてよかったな、と思いながらしばらく歩くと、赤間神宮に着く。
龍宮城を再現したという竜宮造という珍しい神社。


赤間神宮に特に来たかった理由はと言えば、今年のテーマたる天皇陵巡り。
安徳天皇阿弥陀寺陵がここにある。
壇ノ浦の合戦で幼くして入水した安徳天皇は、水天皇ともいわれる。
で、赤間神宮に着いた途端に雨が酷く強まったのは、これも霊験だろうか。


赤間神宮の祭神はもちろん安徳天皇。
6歳半で亡くなった安徳帝のための、この賑やかな造りと思うと、かえって物悲しい。


隣には日本西門鎮守八幡宮。
名前の通りの八幡宮だが、行教という僧が宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ分霊を勧請する途上、ここに日本西門の守り神として創建した。


境内には、平家一門の墓地があったり、また耳なし芳一の芳一堂があったりも。
仏教と神道が混じってる感じだけれども、平家の頃は神仏習合が盛んだった時代。


雨は本当に土砂降りの勢いになっていたが、しばらく雨宿りをすると、また細かい雨に戻ってきた。
風は強いままだが、ともかく最寄りのバス停まで移動。
この天気でなければ、門司も下関ももう少しゆったり楽しみたかったが……

下関駅近くは、大きな駅ビルにショッピングセンターが入って、かなり賑やかな様子。


レストラン街で、佐賀県産もち豚のステーキというのを食べてみた。
これがなかなか美味かった。定食で1050円だったが、いいチョイスだった。


下関から小倉に戻り、さらに新幹線で岡山まで移動。

アンパンマン列車や広島カープ列車など、なぜかラッピング車両が集まる岡山駅で、快速マリンライナーに乗り込む。
快速じゃなくて特急だと思い込んでいて、指定席売り切れでグリーン車のみ、といわれてグリーン車を買っちゃったが、そもそも指定席の数が少ないだけで、自由席は空いているくらいだった。


瀬戸大橋を渡る。
日暮れ近くで曇り空だが、瀬戸内だけあって島が多くて面白い車窓。

乗ってきたのはJR四国5000系というの。指定席車両はこの車両で、二階建ての二階がグリーン車。
後ろには223系、大阪でもよく快速として走ってるおなじみのやつがつながっていて、自由席になっている。

一時間乗って、高松駅に到着。
高松駅前は、なんだか高層ビルが並んで、思ったよりも都会な感じ。
まあビルだけあって活気が皆無だった木更津みたいな町もあるが、高松は全然そんな感じはない。
正直その、香川というところはもっと田舎感あるところなのかと思っていて、3路線もあるような私鉄が経営できる土地なのかなあ、とか失礼な疑問を持っていたのだけど、そうでもなかった。


ことでんの築港高松駅から、宿をとった瓦町へ移動。
琴電1200形という、京急から譲られた車両がきた。


瓦町でホテルにチェックインして、さあうどん食うぞー、と店を探すが、香川というのはどこにでもうどん屋があると思っていたのに、なんと発見できない。
そんなバカなと思いながら瓦町駅まで戻ってみたが、結局行き当たらず、駅ビルの天満屋デパートのレストランフロアにあった四川料理屋に入った。


高松でうどんを食わずラーメンを食う、なんと冒涜的な旅行者か。

あとでわかったところによると、どうやら商店街のメインストリートではなく、裏手の筋を歩きまわっていたらしい。
駅からホテルに帰る時に、メインストリートらしい南新町商店街を発見。ここは心斎橋か三宮センター街かと思うような賑わい。
私がうどん屋を探したライオン通り商店街というところは、どうも夜の遊びをするところという風情で、うどん食う感じではなかったようだ。