見ると、初めてのひとはまず兵庫陶芸美術館から、とモデルコースがある。
そして兵庫陶芸美術館のある立杭を調べてみると、どうも一日で篠山市街と両方いかなくても、立杭だけでかなり楽しめそう。
ということで、今回は立杭で丹波焼を楽しみに行くことにした。
持ちだしたカメラは、あのコニカKDシリーズの末裔、コニカミノルタDiMAGE G600。
前から見ると結構違うデザインに、なによりコニカミノルタのロゴマークで印象が違うが、後ろから見るとかつてのKDとまるっきり同じ。懐かしい。
何度も書いてる話であるが、私はKD-400Zを現役当時に買ってずっと愛用し、非常に思い入れが深い。
JR福知山線で、丹波路快速に乗って伊丹を越え宝塚を超え名塩を超え三田を超え、相野という駅で降りる。
三田市の外れの駅だが、神姫バスのターミナル駅になっていて、兵庫の山手に行くにはよく使われるという。
で、兵庫陶芸美術館にもここからバスに乗るはずだったが、時刻表を見ると本数が思いがけず少なく、一時間後にしかない。時間帯によるが、1~2時間に1本くらいしかない。
同じように立ち往生していたらしいご婦人と高校生を集めてタクシーでいくことに。ちなみに2150円かかるので、バスの時間はあらかじめ見ていくといい。
駅前にレンタサイクルでもあれば、距離といい立杭での見回りといい、ちょうどいいと思うのだけど……
相野駅前、バス停がくし形。
タクシーで走って、15分くらいで到着。
山の斜面にそって、山城かというくらい立派な建物を構えてある。
エントランスホールでチケットを買って、エレベーターを上がって渡り廊下を行き、別棟が展示館。
建物の立派さだけ見ても、これで600円は安いなあ、と思いつつ中へ。
今の展示は、「Curators Collection 学芸員のまなざし」、特にテーマを決めた展示ではない、コレクション展のよう。
一般に陶磁器の展示というと、産地別だとか時代別だとかに分けられ、現代陶芸と古陶器はまるで分けて扱われているが、今回は学芸員の方がそれぞれ小テーマを決め、テーマに沿っていれば時代も作者も問わずに並べる、という形。
私は別にそれほど詳しいわけではないので、例えば産地別に展示とかだと「そうか丹波焼はこういうのか、珉平焼はこういうのか」というような理解で流れていってしまうが、この展示だと作品ひとつひとつを括りに縛られずに見られる。
個々の作品にも面白いものが多く、九谷焼の人間国宝・三代徳田八十吉氏の「深厚耀彩黒線文壺」、私にはこれがすごく良かった。
深い青の大壺、きれいな丸型で傷ひとつなく一様に光沢で、頂上に細い口がちょろっと出ている。その口からまっすぐなラインが、青から白へのグラデーションで浮かび上がって、丸い胴をまっぷたつにするように下まで続く。
Googleで画像検索すると色々な作品の写真が出るが、もちろんこれらはこれらで実物は傑作なんだろうけれども、もう少し派手さは抑えて凛とした雰囲気の作品だった。それでいて、展示室の隅にあっても強烈に存在感はある。
他にも、「うつす」というテーマで展示されていた部屋では、珉平焼という江戸後期に淡路島のものに、まるで蒔絵の漆器にしか見えないような磁器があったりして、焼き物の世界にもトロンプ・ルイユがあるのかとまったく興味深かった。
珉平焼というのは、あまり知られていない割にかなり幅広く面白い物を作っていたようで、気になる。
トロンプ・ルイユじゃないけれど、カラフルな毛糸でも巻いてるような壺があるから、何かと思えばわざと表面を泡立てて、ピンクや黄色の縞模様に色を付けてあるなんて、変わった作品もあった。
それにしても実に面白い美術館だった。展示が変わったらまた行きたい。
陶芸好きだから贔屓目は入るけれど、私が行ったことのある美術館の中でも特に良かったところのひとつ。
中庭はこんな感じ。
庭園を抜けて、向こうのレストランフロアへ。
レストランに入って昼食。
メニューはランチプレートだけ。良い物を出しているとは思うのだけど、ちょっと女性向けの感じもあり。ちと私にはヘルシーで上品すぎるかな。
隣の「丹波焼・立杭 陶の郷」に、気さくな感じの食堂があり。
博物館を南側に降りて、さらに南に歩いて行くとすぐ陶の郷がある。
陶の郷は、丹波焼800年の歴史を「見る」「体験する」「知る」総合施設で、古丹波から現代作品までの展示館、窯元の出店を集めた販売場、陶芸教室などを一同に集めてある。
陶の郷の隣、著名な丹波焼作家の清水千代市氏のギャラリーがあった。
ご本人らしい方がいらしてちと緊張しつつ見学。ニューヨークで個展が開催されるほどの作家であるそう。
半分は販売スペース。有名作家といっても、何十万円もする高級品ばかりではなく、ちょっとしたぐい呑みや茶碗、ブローチなどの小物なら1000円2000円からある。
ちょいと駐車場を横切って陶の郷へ。入場料は200円。
最初に窯元横丁というところに入っていく。
立杭の丹波焼窯元が一同に会して作品を販売する市場で、和風仕立てに3畳くらいの小さなスペースに区切って、そこに作品を並べてある。
これも、500円くらいのカジュアルな雑器もあれば、数万円の作品まで。全体的には、気軽に買える日用品が多い。
普通の人が普通に使うための気軽な作品は、さすがに芸術作品然としたものよりは、わかりやすい定番・月並みなデザイン、時にはイラストをつけたりしたようなものが多いが、よく見ているとなかなか渋い品もある。
私が見つけたのは、丹波ヤマキ窯の八角一輪挿し(徳利かも)。
鉄釉というのか、メタリックな輝きのある釉薬が上半分だけかかっていて、なんとも格好がいい。
これと直接関係がある話じゃないけれど、丹波焼では「朝倉山椒壺」というのが有名。
朝倉山椒という但馬の名産品をいれる、独特の六角形の壺が丹波焼で作られていた。
まあ大きさも、六角と八角でもえらい違いだけど、丹波焼で丸型といわず角型は少しそれらしい気になれる。
これが1200円。嬉しい買い物。一輪挿しに仕立ててみよう。
山の上に上がっていくと、古丹波と現代作家の作品を展示している伝統産業会館。
この1段下に、地域民芸品等保存伝習会館があり、こちらにも作品展示があり。
陶の郷を出る。
立杭は、両側を山の連なりに挟まれた谷間の土地。私は海沿いの育ちで、山が迫っているのは慣れない。それだけで珍しい景色に思える。
しかし、もっと広角のレンズは欲しかったかな。39mmじゃ山が両方入らない……
兵庫陶芸美術館の正面ちょい北寄り、真っ直ぐな通りに鳥居が見える。
道沿いに歩いて、美術館の北隣の土地に、立杭の氏神様である住吉神社がある。
古くて大きくもない神社だけれど、過剰に真新しく建て替えられていたりもせず、しかしちゃんと整備されている感じの、好ましい雰囲気。
ふもとにある社殿からさらに階段で上がれるが、そこには拝殿とも本殿とも判別しがたいお社。
摂末社も、小さく渋く収まっている。
立杭の氏神様がこの雰囲気、というのはなんとなくしっくりくる。古丹波のような渋さ、というとさすがにつきすぎというものだけど。
さっきの鳥居があったところに来ると、右手が地元の交流館と公園になっている。
そこの公園は、「がらめん」を活用して陶器の町らしさを演出しているという。
がらめんというのは、この地方で割れた陶器の破片のことをいうそう。
そういえば、陶の郷でも販売していた。上手く活用できれば面白そうだけど。
谷の西側の山は、いかにも古くからある雰囲気の細く入り組んだ路地に、職住一体な感じの窯元さんの家がたくさん集まっている。
右の写真は公民館。昭和後期が残ってる感じ。私の通ってた小学校もこんな感じだった。
窯元さんには、通り沿いに店舗を設けて作品の展示販売をしているところが多い。
平成人にはちょっと入りづらいということで、今は陶の郷ができているのだが、まだ店を開いているところも多い。
立ち寄りながら歩く。別に買え買えと押し付けてくることもなかったし、高いものばかりでもないし、しかめつらのおじいさんが鋭い眼光で睨みつけてくることもないので、気軽に見て回っていいと思う。
集落の中に、こういうところではお馴染み、陶器神社がある。
風呂藪惣太郎、という、丹波立杭焼の陶祖とされる人物が祀られている。もともと、江戸時代に吉兵衛という名工がいて、その家の中に自家祭神として祀られていたそう。
もうちょっと南に、稲荷神社がある。
また見事なアベマキの大木があって、扇を開いたような姿で「扇の木」「おみの木」などと呼ばれて、地域の神木として親しまれている。
山だらけ木だらけの兵庫県において、アベマキとしては最大の巨木だそう。
さらに行くと、明治28年に作られた、立杭に現存する中でも最も古いもののひとつである登り窯が、文化財として保存されている。
47メートルの長さ、9袋の窯。今の登り窯はバーナーを使ったりして、やはり近代化されているのだけど、これは古式をよく残した形だそう。
窯を上まで登ると、その先は墓地。
そのためか、窯の脇の道にはお地蔵さんが並んでいて、地元の親子連れが拝んでいた。子供も小さくて親御さんも若かったが、そういう習慣が消えていない。
これで一回り。
いつもより歩く距離が少なかったが、美術館に居た時間も長かったし、帰るのにかかる時間も心配だったので、バスの時間にあわせて陶芸美術館に戻った。
旅慣れた人には、でかでかと鎮座する(といっても遠目には森に溶け込んでそれほど目立たないが)兵庫陶芸美術館、便利に用意されている陶の郷などは、かえってつまらなく感じるところもあるかもしれない。
しかしながら、美術館も陶の郷もよくできた施設で印象がよく、「丹波焼の里」という雰囲気を味わうなら西側に行けばちゃんと残っているので、よく共存していると思う。
今日のDiMAGE G600はー……KD-400Zとほんとに変わらんようなカメラであった。
基本的には同じようなハードウェアだろう。むやみに派手な青色LEDのイルミネーションがなくなったくらいで。
一応まあ、彩度やシャープネス、ISO感度などの手動設定が可能になり、暗所などは扱いやすくなった。
スローシャッター限度を設定でき、1/15秒まで速くできるのは嬉しい。1/15秒なら頑張れば手振れを抑えられる場合もあるし、ブレてもリサイズしてアンシャープマスクかけたら救える。どうせなら1/30にできたらいいとは思うけど。
1m/2m/4mのフォーカスロック機能も悪くない。4mなら大体パンフォーカスで使えるだろう。
絞り優先オートがあれば、絞った状態で4mにフォーカスロックすれば、もともと短い起動時間やレリーズタイムラグとあわせて、快速スナップカメラになったかもしれない。
しかしなぜか、MはあるけどAvもSvもない。KD-510Zにはあったらしいのだけど……。Mモード自体は、メータードマニュアルなので使えなくもない。速写できないだけ。
絞りは、解放F2.8か、絞り込みF4.7の2段だけ。まあボディサイズからして仕方ないかな。
メニューのカーソル位置を記憶するようになったし、メニュー呼び出し直後に「初期設定(設定全クリア)」なんて意味の分からない配置でもなくなった。
十字キーを上に入れると露出補正が呼び出せるようになったりとか、少なくとも「操作系が散漫で、やりたいことをやるための手順が煩雑」という、KD-400Zの酷さはかなり解消された。
画質。これはちょっと、思ったほど高くはないか。
まあ、なにしろあのKDシリーズの画質を生み出したHEXANONレンズだから、よく写っているといえばよく写っている。
デジカメといえど、レンズの良し悪しによるところは大きい。(ちょっとレンズに当たり傷のある個体で心配していたが、特に写りに酷い影響はなさそう)
しかしどうも、KDのカリカリにシャープで、日差しの下なら過剰気味に鮮やかな、ピーキーな画質ではなくなった感じ。
ミノルタのデジカメは、傾向としてちょっと地味であまりエッジも立てない、おとなしい画質といわれていたけど、そっちに流れた感がある。
まあ、KD-400Zと違って設定できるので、触ればKD的画質が実現できるかもしれない。
KDのシャープさは画像処理によるところも大きい。同じレンズ・CCDといわれるカシオQV-R40は、あそこまでカリカリの画質ではない。
AEやホワイトバランスは、まあ順当。
ただなー、そもそもこの1/1.8型600万画素CCD、なんかあんまり素性がよくない気がする。
ちょっとモノ撮りをするのでISO400にしてみたら、虹色のノイズがかなり盛大に出る。ISO200に下げても、少しマシになる程度で、黒いものを写したくないレベル。
ISOオートでは、100まではわりとすぐ上げるみたい。実際、200が辛いから、100までは正解だと思う。
(ただ、なぜか1/15秒の下限にあたってもISO50のママのカットもあった。下限にあたったら諦めて最低感度、みたいなプログラムラインなんだろうか。また逆に、なぜか1/1250で切れているのにISO100ということも)
結構あっさり白飛びしてる感じもあるし、どうもいいセンサーとは思いにくい。
1/1.8型は高級モデルに使うものという先入観、400万画素のときのKD-400Zはあの画質だろう、KDでなくてもQV-4000とか大体みんな良かったぞ、とか、他とも比較してしまうが……
ソニーは、1/1.8型600万画素は飛ばして、500から一気に700万に行ったよう。Panasonicにも無さそうなので、多分このセンサーはシャープ製だろうと思う。
シャープ製であろうと推測できるセンサーは、これと携帯電話くらいしか使ったことないのだが、はっきりいってどっちも印象良くない。
画質が飛び抜けて良いわけではない、となると。
ぶっちゃけ画質以外は良いとは言えないKDシリーズ。
ソフトウェアの出来が悪いことによる操作性の酷さは解消されていたが、ハードウェアによるところはほとんどそのまま残る。
バッテリーの持ちが悪かったのは改善してるようだけど、まだ使っていると暖かくなる。温まるカメラは燃費が悪い。
まあ、80枚ほど撮影して、特に減ったとも言ってこなかったので、問題になるほどではなさそうだけど。
本当に酷く小さくて押しづらい十字キー、改善まったくなし。
2002年のKD-400Z当時なら、発色が低温ポリシリコンTFTだった液晶も、2004年になってまだそのままの1.5型。他所は下っ端でも1.8型になっているから、どうにも見劣りする小ささ。
2002年のKD-400Z当時なら、IXYに負けないサイズで抜群の高画質は強力なウリになったが、2004年になって、ミノルタが流行らせた屈曲光学系小型モデルが居並ぶ中では、正面サイズはともかく厚みがあって、小さいとは言えなくなってしまった。
AF1点もそのまま、あんまり速くないのもそのまま。
かつて超快速だった起動速度も、そろそろ他所より飛び抜けて速いとはいえなくなっちゃった。
左開きレンズバリアは相変わらずだけど、これは「カメラは両手で持て」というコニカミノルタからのメッセージだから、私は否定的でない。
強いて言えば、細いポケットなどに入れてる時に引っ張りだすと、レンズバリアが引っかかって勝手に起動してしまうことがあるくらいか。
KD-400Zは名機だと思うし、そのイメージに引っ張られているからだとは思うけど、やっぱりどうしても比べるとG600は平凡なカメラに思えてしまう。
まー、2002年の傑作を少々ブラッシュアップしただけでは、2004年には平凡な製品になってしまうだけなんやなー、という、デジカメ業界の世知辛さか。
評価とは関係ないのだけど、SD/メモリースティックのデュアルスロットというものの、うちにあるハギワラシスコム製のメモリースティックDuo→フルサイズ変換アダプタ経由では、さっぱり使えない。
認識しないか、カードエラーで撮影不能。
純正アダプタならいけるのかな。