全然実行できていないが、今年の散策テーマは天皇陵巡拝である。
そういうわけで、羽曳野・藤井寺の古市古墳群にアタック。
今回のカメラは珍しく単機能カメラではなく、NECのAndroidタブレット端末のLifeTouchを持ちだした。
一時期安売りが話題になったLiteTouch NOTEではなくて、キーボードのないパッド型端末。
前からAndroidでちょっと遊んでみたいと思っていたけど、いきなり中国製のよくわからないものでは、不必要な苦労をしてAndroidの印象悪くしてしまうかも、と躊躇していたところ、NECのこれが売られていたので。
事前にあれこれ触って、Camera ZOOM FXというアプリを購入して入れておいた。
また、Google mapsのAndroid版は、WiFi接続時に地図データをキャッシュしておき、オフラインでも地図が見れるという。
なので、羽曳野~藤井寺あたりの地図は自宅でキャッシュしておいて、現地でGPSと併用しながら地図を見るということもやってみた。
近鉄南大阪線の土師ノ里駅で下車。
駅出口から目の前に古墳が見えているのだが、このあたりはそういうところだと後に知る。
地図だけではわかりにくいが、もうあまりにもそこらじゅうに古墳があり続けるというくらいの勢い。
目の前の古墳からは背を向けて、まずはちょっと北に向かうと、允恭天皇恵我長野北陵こと市野山古墳が見える。
写真は南側の後円部だが、そちらに解説板がある。
墳丘は三段、くびれの両側に作り出しがある形。周濠は現在の内堀よりさらに外にもう一重あったという。
で、ここから遥拝所は正反対なので、北に向けて歩いて行くのだけど、ちょっと東にそれてみる。
このあたりは国府(こう)という地名なのだが、実際に河内国府があったんじゃないかと推定されている場所がある。
今となっては単なる芝生の広場のようだけれど、旧石器時代から縄文土器・弥生式土器と多数の人骨などが発掘され、2万年前からずっとここに人が集まっていたらしいとわかっている。
この義侠氏は、どういう方なのかはわからなかった。
西に歩いて行くと、志貴縣主神社という小さな神社がある。
見ての通り、小さいながら地元の崇敬は厚いのか、境内の整備は行き届いている。
延喜式内社で、神武天皇の息子で綏靖天皇の兄にあたる神八井耳命を祀る。
どうも記紀では微妙に弟よりお兄ちゃんが頼りないことが多い気がするが、神八井耳命もそうで、異母兄のタギシミミが神武天皇の後釜を狙って反逆したとき、びびってちゃんと武器を扱えなかったから皇位を弟に譲った、とある。
このあたりはかつて肥沃な田園地帯で、ここを納める豪族は神八井耳命の子孫と称していた。だから、祖神を祀るために建立した神社ではないかとのこと。
隣に式下大神とある社があるが、これは何かわからない。
村上天皇の頃に神社の統廃合が進められ、ここも国府最寄りの有名神社ということで、近隣の神社を集めて河内総社宮とされたりしたことがある。
だから、祭神は神八井耳命の他にも天照大御神やら武甕槌大神やら色々あるのだが、式下大神だけ分けてある理由も不明。
神社からまっすぐ南下して、また允恭天皇陵にアプローチ。
北側の前方部に遥拝所があるのが常だが、北側の道路沿いには家が隙間なく立っていて遥拝所は見当たらない。
北西側、国道170号沿いから入れる。
允恭天皇陵遥拝所。
参道からは、前方後円感のある眺め。
駅前に戻って、駅から見えていた古墳。
鍋塚古墳という。巨大な前方後円墳がいくつもあるこのあたりでは、規模からするとそう目立つものではないのだけど、埴輪などから見ると、このあたりでも特に古い古墳ではないかという。
以前は沢田の七ツ塚といわれる小古墳がいくつもあったけれど、戦後の開発でこれ以外は失われてしまったとのこと。
170号線を南下して、仲津姫陵の前方部へと向かう最短コースで右折。
すると、道の脇に明らかに古墳という塚がふたつ。
石碑も建っていたが、ちょっと読めるところまで近づくのははばかられる感じ。
google mapsで地図を見ると空き地に見えるが、航空写真を見ると方墳っぽい。
通り過ぎたあたりで、三ツ塚古墳という看板があった。
ふたつしか見なかったと思うが、航空写真ではそれらしいところが3つある。西のひとつは潰されて平地になっていた気がするけれど。
東から八島塚(おそらく左写真)、中山塚(右写真)、助太山古墳と並ぶ。
周濠が共有されていて、助太山古墳が38mとやや小さく、他の2つは50m。
道を折れて、仲津姫陵・仲津山古墳に。応神天皇の皇后で、仁徳天皇の母。
地図で見た限り、このあたりでは3番目に大きいほどの巨大古墳。
仲津姫陵と向い合って、明らかに前方後円墳という小山がある。かなりのサイズだが、特に陵墓参考地などではないようで、立ち入りできる。
しかし此方側からは何も情報が得られなかったので、一旦ペンディング。
仲津姫陵に隣接して、前方部の右前を守って立つかのような位置に、古室八幡神社がある。
由緒がなくて詳しいことはわからないが、これはもしかして仲津姫陵の陪塚の上にあるのだろうか。小高い丘になっているのだが。
さっきのなんだかわからない前方後円墳の方に戻ると、梅が植樹されている。
ゴールデンレトリーバーを散歩させている人もあり、完全に公園扱いのよう。
一回りして南側に来てみると、石碑と案内板、そして墳丘に上がっていく遊歩道があった。
古室山古墳といい、仲津姫陵や応神陵よりも先に作られた古墳だという。
すぐ北と南をその巨大古墳に挟まれているわけだから、どちらかの陪塚というのならわかるのだけども、先にあったとなると、実はすごい人が眠ってたりしてしまわないんだろうかしら。
西名阪自動車道を南にくぐると、またこぶりな前方後円墳らしいものがある。
大鳥塚古墳という。出土品からは5世紀前半のものと推定されており、応神天皇陵と同じ頃になる。そうなると陪塚なのかと思うが、そう指定はされていない。
北側に赤面山古墳というのがあるというが、それらしいものは見当たらなかった。西名阪自動車道に踏みつぶされたのだろうか。
南には丸山古墳があるとあり、おそらくそれは応神天皇陵の参道脇にある円墳だろう。
そして、応神天皇恵我藻伏岡陵に到達。
仁徳天皇陵に次ぐ、日本で二番目の巨大古墳。ちょっと巨大すぎて、近いと巨大さを実感できるように見るのが難しい。
ちょっと離れて、道路沿いから見ているほうがでかさが感じられる。
宮内庁の施設があり、参道の風景はかなり綺麗に作りこまれている。
ここから国道170号に出て、道沿いの餃子の王将で食事。
久々に入ったら、思ってもいないほど量が多い。そろそろこれだけ食べるのしんどいな。
地図を見ていると、野中神社というのが見えたのでそちらに歩いて行く。
近づくと、またどう見ても古墳としか思えない丘がある。
歩いていたときは気づかなかったが、大阪ミシン卸売りセンターなる目立つ店の裏側にも、前方後円墳があったようだ。
本当に無数に古墳があるものだが、1000年ほど前、このあたりに低い家と田畑しかなかった時代には、このあたりの風景はどんなことになってたのだろう。
巨大な応神天皇陵と、見渡す限りの小古墳で遠くが見えにくいくらいじゃないか。
どうも、その時見ていたgoogle mapsでは、野中神社は東側にあると書いていた。
しかし西側に、こんな薬師如来堂と、古墳に上がっていく道がある。
上がっていくと、そこに野中神社があった。
これはもう明らかに古墳の上にある。
野中宮山古墳という前方後円墳で、5世紀前半のものとのこと。このあたりでは小さめだが、154mもあるのだから十分大きい。
神社周囲は公園になっていた。
神社は貞観17年(875年)に従五位下を授けられた古い野中郷の鎮守社で、明治の合祀ラッシュで一度よそにまとめられたが、昭和25年に地元の要望で現地に復元されたとのこと。
野中神社から南へ。
なんか東にかなり大きな前方後円墳が見えるのだが、私の通ったところからは近づけず。
今調べると墓山古墳というものだそうで、墳丘長225mの大物。応神天皇陵の陪塚ということになっている。
陪塚の陪塚らしい方墳があり、それが通った道の傍にあった。
近くに墓地があったのだが、これらのお墓だけフェンスに囲まれていた。何かあるのだろうか。
南下していくと、イズミヤがある。
府道186号と31号の交点に、古市大溝というものの解説板があった。
最近まで細池といわれる細長い池があったそうだが、それが古代の大人工水路の痕跡であったという。
日本書紀にある、仁徳天皇が石川の水を引いて田を潤す溝を掘ったという話がそれじゃないかともいう。でも、古墳を壊して掘った形跡があるから、その古墳よりもう少し後の6世紀前半のものじゃないかとも。
国道170号を西に渡り、図書館を越えてから北上すると、仁賢天皇埴生坂本陵。
前方部が大きい形が特徴。ちょっと見た目じゃわからなかったけれど。
スレスレには道路が通っていないので、ちょっと長めの参道がある。
古墳の名前としてはボケ山古墳というらしくて、高麗の先進技術を取り入れ、豊かで平穏な治世を築いたという名君・仁賢天皇に、ボケ山とはまた。
市立図書館まで戻り、その南に公園が広がっている。
峰塚公園、というイカニモな名前だから入ってみると、やはり峰ヶ塚古墳という前方後円墳がある。
墳丘長98mとこの辺の古墳にしては小さめだが、6世紀に入ってからと建築時期が新しい。仁徳・応神陵の頃を最大に、その後どんどん古墳は小さくなったので、その時代としては相当大きなものになるそう。
現在は失われているものの、外堀がかなり広く取られていて、そこまで含めるとかなりの広大な古墳になる。
大王クラスの陵墓ではないか、と看板にはある。
この公園には他に、小口山古墳というのもある。
30メートルくらいの円墳で、そう大きいものでもないのだが、石室が公開されている。
軽里の堀抜石棺、といわれる、見ての通りに岩を掘り抜いて作ってある。
公園東側の道を南に500メートルほど行くと、左手にまた古墳が見えてくる。
道沿いにすぐ遥拝所がある、清寧天皇河内坂門原陵。
古墳としては西浦白髪山古墳という名があるのだが、清寧天皇は生前には白髪皇子と呼ばれ、どうやらアルビノだったのではないかという。
その北西には、白鳥陵という、また雄大な古墳がある。
これはヤマトタケルの陵墓となっている。
ヤマトタケルについては記紀に浪漫あふれる物語があり、九州出雲に東国まで平定した後、都まで帰りつけずに伊吹山で病を得、能褒野で倒れる一連のストーリーは見所。
そんなヤマトタケルは、今の三重県亀山市の能褒野に陵を築かれ、そこから白鳥に化身して西に飛び立ち、河内に降り立ってそこに陵をまた築いた。
その河内の陵が、この白鳥陵。ロマンティック。
ここからちょっと東に離れ、近鉄の車庫と長野線の線路を越える。
国道170号を行くと、近鉄南大阪線の跨線橋のすぐ南あたりに、
安閑天皇古市高屋丘陵、高屋築山古墳。
神仏習合の頃に、安閑天皇が蔵王権現と同一とされていたりしたことがある。
今回の古墳巡りはこれでひとまず終了。
しかしうっかりしていたけど、古市駅すぐ東側にある白鳥神社を参拝すべきだったなあ。
天皇陵はまあ、遥拝所はどれもほとんど同じ造りで、似たような写真ばっかりになるのだが、よく見ると鳥居が少しだけ違ったりもする。
応神天皇陵の鳥居は、上の笠木の両端が斜めに切られているし、安閑天皇陵は木製。
LifeTouchは、WiFiはオフにして、google mapsをキャッシュ表示しつつGPSは受信し続けながら移動した。ずっと地図を見ながら歩いたわけではないが、ちょくちょく現在地とルートは確認している。
もちろん、撮影するときはカメラを起動。
使っていないときは、液晶を切ってサスペンド状態にしてポケットに。
ざっと3時間半ほど歩いて、バッテリーは残り3割くらいらしい表示が出ていた。
結構バッテリーインジケータはラフで、しばらくフルのまま動き、95%が長く続き、60%くらいになって、気がつけば30%くらい。
30%くらいになってから、まだバーに持ち込んで詰将棋アプリを遊んだり、動画を見せびらかしたりしたが、まだ電池切れ警告は出ず。
日帰りのウォーキング用のGPS地図ツールとしては、十分使えそう。
iアプリ版google mapsはあまり高性能とは言えないが、Android版は操作も快適で大画面、何よりキャッシュで見れるのが大きい。私の用途にはぴったりくる。
GPSの精度も捕捉速度も、どうやら携帯より高いようだ。歩く速度でも方向を大体正しく拾える。
反面、充電が専用ACアダプターからしか行えず、バッテリー一回分以上のスタミナは出せない。USB充電でもできればいいのだけど。
モバイル地図としては非常に気に入ったLifeTouchだけども、カメラとしては、まあ、二昔前の廉価版携帯電話クラス。
300万画素ってもCMOSだし、シャッター音は消せないようだしすごくうるさい。パープルフリンジが出まくるし、CMOSらしく動体が変形する。
単焦点レンズで歪曲収差が見えないのはいいのだけど、センサーのせいかレンズのせいか、解像度はかなり低い。
晴天順光ならある程度綺麗な感じだけど、条件が悪いと冴えない。逆光だともう、フレアでどんどんコントラストが落ちる。レンズの端にテープかなにか貼りつけて、画角外を塞いでやると少しましになるかも。
この大きく長い筐体の、左端にオフセットした位置にレンズがあるから、看板とか撮るときは結構ずらさないといけない。
ソフトのせいかもしれないけど、レリーズタイムラグも相当長い。1秒近い感じ。起動も遅い。
まー、QRコードリーダーが主たる用途だろう、と思っておくくらいがいいかもしれない。せめて動作が早くて快適なら、画質には目をつぶるのだけど。
経験的に、CMOSカメラは記録画素数を落としてもあんまりシャンとした絵にならないしなあ。CCDカメラだと、フル画素では画質悪くても半分くらいの画素に減らせばキリっとするのだけど。
その他気になったところは、タッチパネルが静電容量式ではなく抵抗膜式なので、マルチタッチはできない。しかし、スタイラスペンで細かく操作できるので、必ずしも悪くない。
かなり厳しい難点は、液晶の上下視野角の極端な狭さ。下手すると90度くらいしかないんじゃないか。
基本は横持ちの機器のようで、縦に持つと、右目と左目で少し違う色合いで見えてしまって、気持ちが悪くなるレベル。
あとはメインメモリが384MBしかなく、google mapsだけでも長時間使うとメモリ不足でハングアップしたり。
ベンチマークを取ってみても、Android機としてはあまり高性能ではないよう。
このへんはまあ、2010年末の古いモデルだから、あんまり言っても仕方ないか。安く買ったんだし。
まだまだ使いこなせているとはとても言えないので、もっと使い込んでみたいところ。
カメラはもういいやw