母方の実家は愛媛であるから、四国はいわばルーツといえる土地ではあるのだが、愛媛に行くことはあっても他の県は通るだけ。
まして高知県ともなると、通ることすらなかった。
しかも近頃、大河以来の竜馬プッシュ、そして空前の長宗我部(海賊)ブームで、歴女・歴士が押し寄せているホットな観光地と聞くので、今のうちに行ってみねばというところ。
大阪から徳島へは、萌えフェリーでちょろっと。
徳島駅から、素直に行くなら内陸部経由で徳島線・土讃線経由になるのだが、牟岐線の方に乗り込む。
失礼ながらかなりのローカル線かと思っていたら、このJR四国1500形という新しくてきれいな車両が来た。越美北線とまではいかなくとも、紀勢本線の新宮以東みたいな感じかと思ってたのだけど。
運行本数は一時間に2本くらいあるので、そこまで超ローカルというわけではなかった。
(しかし大部分は途中の阿南や牟岐で止まるので、端っこの海部まで直行するのは一日6本程度)
新しいとはいえやはりローカル仕様というか、座席が狭い。クロスシートなのはいいけど、私の体格ではちょっと膝が窮屈な感じ。
3両も繋いでいたが、乗車率はそれなりにあった。
ガラガラとはいわんまでも周りは空いてたので、徳島駅で買った特選阿波地鶏弁当を広げちゃう。
言うだけあって地鶏の照り焼きは触感が良くて美味。
車窓の景色は、ずっと海岸を走っているわけではないが、たまに河口の町を通るあたりで海が開ける。(写真は木岐駅を出た直後、木岐側河口)
日和佐駅近くで、城が見える。
資料が少ない城らしく、有名な合戦なども起きていないため、あまり知名度もない。現在のお城も、特に歴史的資料にあたって建てたものでもなく、遺構などもほとんどないとか。
牟岐線は、端っこのほうは高架になっていた。
終点の海部駅も、高架駅になっている。
高架駅になっているのだが、構内踏切がある。多分珍しいと思う。
高架駅・2面以上のホーム・末端駅でない(クシ形にできない)・運行本数が少ないといった条件が揃った上で、地平で入り口を分けるなり、中二階に通路を作るなりをしない理由がある、という駅はなかなかないように思う。
海部駅の場合、もともと1線1面の片側ホームだったところ、阿佐海岸鉄道の開業で線路とホームを増設したので、それがこうなった理由だろうか。
で、うっかりしていたのだが、駅からさっき来た徳島方面の線路を見ると、「なにもないのにトンネルがある」という摩訶不思議なトマソンがあったのを忘れていた。振り返ればいいだけだったのに。
もともと山を通り抜けるトンネルだったが、宅地開発で山が削り尽くされて、ついにトンネルの構造しか残らなくなったという。
そして阿佐海岸鉄道に乗り換え。
ASA-300形という、元は宮崎の高千穂鉄道で走っていたTR-200形という車両らしい。
天の川というヘッドマークは何かと思えば、社内天井がこんなふうに。
まあその、トンネルに入ればこうなのだが、トンネルの外ではクリスマスツリーの飾りつけみたいなLED豆球の連なったものが丸出しになってしまうのだけど。
車両の窓にはカーテンではなくすだれがかかり、地元の方の詠んだ俳句の短冊が吊るされている。手作り感ある車内、というところだろうか。
終点・甲浦駅には10分ほどで到着。
ここまでくるともう高知県。時刻は2時頃。
一日170人くらいしか乗らない、私鉄で最も乗客が少ない鉄道であるそう。
まあ……そうだろうなあ、と思う立地ではある。
もともと高知から室戸岬を通って徳島を結ぶ鉄道だったのが、途中で国鉄再建法が施工されて工事は凍結、まだまだ長い距離を残して繋がらなかった。
その末端部分が、「ほとんど完成してたから」という理由で三セク化して開業したのが阿佐海岸鉄道なのだが、それでは生まれた時から夢の跡だったことになるなあ。
夢の続きを期待するかのように、まるで中間駅のような形。続けて工事すればすぐ延伸できそう。しかし行われることはないんだろう。
ここからバスで、室戸岬を回って安芸・奈半利方面のやたらと距離の長い路線バスがある。
バスを待つ間、それほど乗り継ぎ時間も長くないので、すぐそばに見えていた甲浦八幡宮へお参り。
ひよこち踊りという無形文化財の夏祭りがあるそうなのだが、3年に一度しかやらない。やる年なら準備くらいはしていそうだから、今年はないんだろうな。
バスが来たので乗り込む。
ここからは車窓を眺めて過ごす。
甲浦のビーチは人気の海水浴場。
ただ、それもそのはずというか、
海岸線の多くがこんな岩がちなところで、砂浜の海水浴場は少ない。
この岩場だらけな感じは熊野灘の雰囲気に似てるか。
私は大阪育ちなので、海といったら穏やかな内海。海岸も砂浜か、さもなくば工業地のどちらか。
母方が愛媛だといっても、愛媛の海は瀬戸内海だし、南予の方も海岸線が入り組んでいるから、別の突端が視界に入る。
岩がちで、しかも向こうはひたすら海岸線という海は、たまに見ると、海のない国の人が海にくるほどではないだろうけれど、やはり別世界に来た感はある。
岬を回って西側、室戸岬港。
かつて土佐国司をしていた紀貫之が、任期満了で京都に帰るときにここの港を使おうとし、天候待ちで十日ばかり滞在していたところだそう。
江戸時代初期になって野中兼山という人物が開削し、しっかりした港に整備した。
しかしこのバス、停留所の名前が難読停留所名のオンパレードだったような……。
そして奈半利到達。四時頃。
奈半利からちょっと山手に行くと、なんか「モネの庭」なんてものがあるようだが、しかし時間が許さないので、高架駅舎の下にある物産店に入ってみるくらいで。
ここからは、土佐くろしお鉄道阿佐線、通称にごめん・なはり線。
これ、快速電車であった。単行で快速というのは初めて見ると思う。
車内で一息ついて、さっき買った「ごっくん馬路村」。蜂蜜ゆずジュース。
後に見つけるというかそこらじゅうで売ってるのを知るが、水分補給しようと思ったら馬路村ブランドのスポーツドリンクまであった。
高架で見晴らしがよく、また各駅にゆるキャラを設定したりしている路線。
ゆるキャラのすべてはやなせたかしデザイン。高知はやたらと竜馬とやなせたかしがプッシュされる土地。郷土の誇りにして最も強力な集客力。
1時間も走ると、終点の後免駅へ。詩人・やなせの作品がお出迎え。
土佐くろしお鉄道から、土佐電鉄の路面電車に乗り換える。
ほんとは一つ手前の後免町が乗換駅なのだが、どうせなら端まで乗りたいので少し歩く。
駅から出ている真っ直ぐな道を南下していくと、途中で商店街と交差している。
そこのカドに、敷地の広めの神社がある。
日吉神社、とありふれた名前の神社。近江の日吉大社の分祀かな。
なぜか境内が車だらけだが、境内を使って駐車場が運営されている。
由緒書きには、創立年代も来歴も不詳だが、古くからこの地の産土神といわれている。
元禄の頃にかなり大きくなったこともあるそう。明治に社格がついたときは、郷社になった。
商店街の方は、ドキンちゃん像が鎮座ましましていた。
何かと思えば、この商店街が「やなせたかしロード」と呼ばれ、沿道にアンパンマンキャラの石像が並んでいるという。
やなせたかしは少年時代に10年ほど後免で過ごした。しかし彼と町の関係をはっきり示すような文物がなく、形あるもので残したいということで、やなせたかしロードが整備されたという。
中村時計博物館という看板が目に入るが、町の時計屋さんという風情。
しかしただの時計屋にあらず、ご店主は米国時計学会公認の高級時計師試験に合格したという技師。
これまで出会った多くの時計をコレクションして、博物館として公開している。
大量の機械式時計、100年そこらは前のアンティークな柱時計や掛け時計、置き時計。腕時計は高級品からわりと普及品に近いものまで、機械式から多少のクォーツ・デジタルまで。
実に2500点、すべてはきちんと整備された状態で展示されている。
閲覧料は無料というので、代わりにご店主が発行している「時計発達の歴史 点滴石を穿つ」という本を購入した。日時計から原子時計まで、機械式時計の構造まで広く解説している。
やなせたかしロードは続く。
最高神のアンマンマンは、土電(土佐電気鉄道を地元ではこう略す)の後免東町駅近くに鎮座ましましていた。
少し歩いて、後免町駅。
市電がラッピングされまくるのは世の常であろうか。
これは600形電車というそう。
駅の待合がローソンになっているので、両替を兼ねて買い物へ。
馬路村ブランドのスポーツドリンク。はちみつとゆずを使っているのが他になき特徴か。
大阪の阪堺電車などは色々苦しい経営状態のようだけれど、土電は本数も多く、たまに真新しい車両も見かける。
ハートラム(100形電車)という、見るからにハイカラな車両と一度すれ違った。連接車で超低床、VVVFインバータ制御。阪堺にこんなん来ることがあるやろか。
ごめん方面は全線複線のよう。
途中で南国市方面を示す道路標識を何度も見かけたが、それで初めて「なんごく」市ではないことを知った。
な・ん・こ・く、濁りません。(通じる幅の狭いネタ)
そのままはりまや橋駅まで乗車。
はりまや橋交差点は、車道としても大きいが、さらにそのど真ん中を土電のレールが十字交差する、なんだかものすごい交差点。かつては東洋一の交差点とさえ言われた。
もう夕方7時前、この近くに取ってある宿に向けて歩いて行くと、高知八幡宮という神社を通りかかった。
長宗我部よりもっと前、今の高知城あたりに大高坂氏が大高坂城を構えていたのだが、その守護神として石清水八幡宮から勧進してきたという。
江戸に入って山内氏の時代になってからは、藩主直祭の神社として栄えた。
また、神功皇后が応神天皇を身篭った時に着用した「熊の腹帯」というものが、社宝として伝わっている。もともと京都四条家に伝わっていたのが、娘が山内家に嫁ぐときにお守りとして持ち込んだそう。
往時の隆盛を示すように摂末社も並び、また芭蕉の句碑があったりも。
ここから宿にチェックインして、食事するところを探しがてら高知駅まで土電に乗ってみたりなど。
しかし高知駅前はビジネス街的な感じで、あんまり夜に物を食べるところではないようだった。
はりまや橋近くのアーケード商店街も、意外とこう、飲食店となるとなんだか高そうな海鮮和食店か居酒屋ばかり。結局ココイチのカレーになってしまったのだが、そういうチェーン店もココイチしか見当たらなかった。
(私は土地の美味いものを食べようという気がない偏食家なので、いつもどおりに近い行動ではあるのだけど)
ほとんど移動しただけの一日目であったが、しかし、あえてローカル線で時間をかけて移動するのもそれ自体が楽しみ。
大阪からまっすぐで4時間足らずで高知駅まで到着できるのだが、今回は12時間くらいかけている。