2013年6月8日土曜日

服部緑地 (K-01 / DA 21mm F3.2 Limited)

見たい映画があったのだけど、十三の第七藝術劇場で、夕方6時半からスタート。
それまでどこを徘徊しようかとgoogle mapsを眺めていると、北大阪の服部緑地に「日本民家集落博物館」なるものを発見。
大阪府下の美術館・博物館は大半に行って、ほとんどは知ってるつもりだったのに、ぽろっと見落としていたところだった。じゃあ行ってみよう。

御堂筋線から北大阪急行に入ってすぐ、緑地公園という駅がある。
西口から降りて、駅ビルのいかにもニュータウンな感じの商店街を抜けるとそこは服部緑地に続く緑道。
そして案内板を見ると、ちょっと南に外れたところで都市緑化植物園をやってるから来てね、と掲示があった。せっかくだから俺はこの南の植物園を選ぶぜ。

来てみると、温室があってそこで入場料を払う。
200円とのことで、府営公園にしちゃ結構取るなー、と思ってたら、温室の入場料じゃなくて、かなりの広さがある植物園全体の入場料だった。

まず温室内から。
花が相手ということで、カラーモードは「リバーサルフィルム」にしてみた。
露出もオーバー気味に。


 最後の、○の中に逆八の字の模様がある植物、マルハチというまんまな名前らしい。

しかしやっぱり、花撮るにはK-01にDA21mmLtd.はもうひとつではあるかな。
まあマクロレンズじゃない割にはそこそこ寄れるんだけど、ボケがきれいじゃないのと、ちょっとAFが頼りない。なぜかAFポイントにある小さな花を無視して背景に行こうとしがちな感じ。

マクロレンズは一本欲しいっちゃ欲しいのだが、まあ使用頻度からいえば標準ズームの望遠端を代用してもいいか。
DA 35mm F2,8 Macro Limitedあたりは、真面目な選択ではあるだろうけど、他にあんまり使わない気がする。
DA 16-45mm F4なんて、ちょっとうすらでかいのが難だけど、私が使うにはいい気がする。

ここまで、写真のリサイズ処理モードを間違って、補完縮小じゃなくて単純リサイズになっていた。
まあ元の画素数が多いからそれほど見苦しくはないと思うけれども。


ここから温室の外へ。


この白いのもアジサイの一種だそう。カシワバアジサイというたかな。
一株に大量に花をつけるのはアジサイらしいとこだけど、形状のせいか、すんごいもっさり感があるな。

かなり多種多数のアジサイがあったのだけど、今年の梅雨は一週間だけざっと降ってそれから空梅雨になってるから、慌てて咲いたら干からびたような状態だった。アジサイにとっても迷惑な天気やで。



途中でハーブ園エリアもあった。


まあ、ハーブはあまり見栄えのいいものばかりではないので、写真的にはちょっと。
温室の方でハーブの展示イベントがあって、レモンバーベナなどレモンの香りのハーブティーを振舞ってもらった。



この変な模様はなんだろう?


巨大なカビの胞子みたいな花。何の花やろこれ。


植物園も思ったより満喫できて、今度は緑地公園の方へ。

和太鼓のイベントがあったり、バーベキュー広場で大勢肉を焼いていたり、まあ、都市の大型公園という風情。
売店に入ると、子供の頃に近所のスーパーマーケットのフードコートでよく買ってもらったフローズン(オレンジ味かメロン味で、シャーベットというよりもうすこしゆるくてストローで飲めるくらいのやつ)を売ってたので、懐かしく買って飲む。

公園南端の植物園から、公園北端の民家集落博物館まで到達。


入り口がこれだが、これ自体が「河内布施の長屋門」とある。
布施は大阪市の東側で、一時期ひったくり多発地帯と話題だった……とそれはさておき、江戸時代の布施の庄屋さんにあった門だそう。


こっちは堂島の米蔵。
今でいえば、地下鉄西梅田駅の南側あたりのエリア。
江戸時代は諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいて、現物どころか先物手形の取引も盛んな金融エリアになっていたそう。当然空手形切る大名がいて……というようなことが中に解説展示されていた。

基本的に、展示されている古民家などには中に入って見学できるのが嬉しい。


飛騨白川の合掌造り民家。ていうか行かなくても大阪で見れるとは知らんかった。
これだけ角度つけると雪には強かろうけど台風とかきたら……と思ったらちゃんと対策があって、屋根の骨組みががっちり固定されてなくて、風に煽られたら揺れるけど元に戻るようになってる。


ちょっとアート写真を気取ってみた軒下のたまねぎ。


摂津能勢の民家。
大阪北部の山間部・能勢地方から丹波の方にかけて、こういう妻入り入母屋造りの民家が分布しているそう。
小さな家で、半分は土間、半分は板の間。
妻のところに家紋の飾りがあったから結構偉い家って話だが、しかし小さい。


奄美大島の高倉。
奄美大島の高温多湿に耐える風通しの良い高床式倉庫。柱の木材はイジュ(ヒメツバキ)で、硬すぎてネズミも爪が立たないそう。


堺の風車。
かつてまだ堺の濠の外が農村だったころ、水利のために実に700基ものカザグルマがあった。
紀州街道沿いを散歩してたら通りかかった小学校の門前に、ひとつ保存展示してるのがあったな。
最近台風でぶっ倒れて、復元が終わったばかり。だからちょっときれい。


南部の曲家。これだけ工事中で立ち入り不可。
空から見るとL字になっているが、母屋に厩をつないだ形。
馬の産地だから厩が重視されていたんだろうけれど、母屋のいろりで暖まりながら馬の様子が見れるようにこの形になったそう。

小豆島の農村歌舞伎舞台。
能やなんかを奉納するための舞台がある神社は結構あるが、これも荒神社の本殿に向かい合って建っていて、奉納歌舞伎が演じられていたそう。


北河内の茶室。
江戸時代後期ぐらいのもので、別に利休が建てたとか小堀遠州が建てたとか、そんな曰くはない。昭和20年ごろまで私宅で使われていたそう。

ここは茶会をやるときに参加者のみ立ち入り可となっている。



越前敦賀の民家。
これも江戸後期のもので、雪に耐えるために屋根の勾配がきついのは合掌造りと同じ。
またここでも、家の中に厩がある。寒いところだとそういう傾向なのかな。
「杉箸」というちょっとおもしろい地名のところから移築されたそう。しかし大火事で村ごと半焼したり、かつては近くにJR北陸本線の駅があったのに、その北陸線自体がルート変更されて鉄道が消え去るなどして、今は衰退傾向だそう。


大和十津川の民家。江戸末に酒蔵やっていたところの家だそう。
ずいぶん他と趣が違うが、十津川といったら山奥の川沿いで、崖を削って家を建てる感じになり、こういう細長い建物になる。
林業のためにそんな山奥に家を建てるわけで、杉の板材が豊富だからこんな板張りに。


刳り舟なんて展示している。
奄美大島で使われて、スブネと呼ばれていたのが手前のやつ。
奥のが島根で使われていたソリコブネ。
どっちも、こんな大木が手に入りにくい時代になったら、普通の継ぎ板の船に変わっていった。


信濃秋山の民家。
越後中門造りという、壁まで茅葺きだったり、床を板張りしてなかったりと、古民家の中でも中世風の古い形だそう。また、もうここ以外には保存されているところがないとか。

新潟と長野の県境辺りの豪雪地帯なのに、床に板張りがなかったら寒い気がしたけれど、それが火をたくと地面ごと暖まって冷めにくくて、かえって温かいそう。

石を置いてその上に柱を、というのが一般的だけど、この家には柱の端を地盤に埋め込んでしまっている「掘っ立て柱」がある。
多少コストは安いけれど、いかんせん土に入ると木が腐るのが早くてよくない。
江戸中期には、たとえ民家でも掘っ立て柱を使うのは珍しいそうで、なんか建築作業上の都合とかあったんじゃないか、とか。


日向椎葉の民家。民家としてはここで一番南のもの。
日向の中でも、椎葉という村は平家の落人伝説があるほどの秘境集落。
これも十津川の民家みたいに崖を削って建てた細長い建物。

写真に右側7割くらいしか写ってないが、左手が入り口。
左から土間・客間・下座敷・上座敷と並んでいて、上座敷は神様が祀られていて、肥を触った者は一日そこに入れなかったとか。


これで一回り。
外の写真しか出さなかったが、中ももちろん面白い。
民具の展示も多数あって、こういうのは郷土資料館なんかで見ても月並みでつまらんけれど、リアル民家にあると絵になる。

服部緑地は、植物園も民家集落博物館も見応え大。かなり面白いところだった。


ここから西へ行くと阪急宝塚線の曽根駅。
しかし思ったよりかなり遠かった。公園に行くなら御堂筋線がいいな。

そして一旦梅田に戻って買い物とか夕食とか済ませて、十三へ。

第七藝術劇場で観たのは「ぼっちゃん」。

秋葉原通り魔事件の加藤智大を題材にした映画、ということで、実は劇場に入るまではドキュメンタリー的なものかと思っていたけれど、劇場内にこの映画についてのインタビューなどのスクラップがあったから読んでいると、どうも少し違うらしかった。
たしか「ドキュメンタリーではなく彼の感情を描きたかった」だったか、そういう話があったはず。

で、実際見てみると。
この作品の主人公たる梶は、加藤智大と同じような派遣労働者でネット掲示板への書き込みを繰り返す人物、と設定されていた。
けれど、勤め先の派遣会社で、梶はとんでもない異常事態に巻き込まれてしまう。
その異常事態から、秋葉原で人混みを車の中から見ているシーンに流れ込んでエンディングを迎える。

しかし、梶が巻き込まれる事態があまりにも異常すぎているから、この作品中で梶が秋葉原に向かった心理と、加藤がそうした心理とは、一致しようがないように思う。
また、今、社会から圧迫されて苦しんでいる人たちの心理とも、一致しようがなくなってしまう。
梶は割と最初から煮詰まった感じの人物として描かれていて、派遣労働を渡り歩く生活に追い込まれていったとか、そういう話でもなかったしなあ。

加藤が自称するところの引き金、「味方だと思っていたネット掲示板の連中が、なりすまし荒らしという手口で裏切った」という話には触れられてもいない。
梶もまあ、友だちと思っていた人物に裏切られたと思う、という流れはとってはいるんだけれど。
裏切り、といわれる出来事が、文字通りの味方の裏切りとそれへの憎悪か、同レベルと思っていた仲間に先を越されることとその嫉妬心か、これは相当異質だと思う。
映画じゃ後者になってるけれど、加藤の言い分は前者のはず。前者なら秋葉原に怒りを向けるのはわかるけど、後者だと六本木やら渋谷にでもいかなきゃずれてしまう。
(直前に、嫉妬の対象の象徴たる人物に敗北するシーンがあるから、逃げるように秋葉原に向かったというならわかるといえばわかるのだけど)

まあ、もちろん私の中にも、加藤は大体こんな背景であの事件に至ったんだろう、というイメージはある。
よく取材された良いドキュメンタリー映画であれば、それを観たら、自分のイメージが間違えていたかと修正するとか、やはり正しかったかと強化するとか、そういうことができる。
しかし創作の、しかもリアルさとはかけ離れたストーリーだったら、自分のイメージと映画の描かれ方が違っていても、映画のストーリーが間違ってると思ってしまう。

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