2014年4月26日土曜日

ふじと台・和歌山 (PowerShot S50)

先日南海本線に新しくできた和歌山大学前駅に接続する形で、新たにイオンモールができた。

和歌山大学前駅開業と同時に駅の見物には行ったけれど、駅前は丘を削って工事中で、特に何もなかった。
あれがどうなったものか。



なんじゃこれは。リゾート地か。

中に入ってみれば、まあ新しいこともあるけれど、他のイオンモールよりももう少し小洒落たような造りになっていた。
他のイオンモールで見たことのない……といっても別にそこらじゅうのイオンモールを見てるわけでもないけど、近くの他の店舗にはないテナントが入っている。それもなんやらオシャレな。
私はオシャレな店など個別の名前は知らないけれど、なんか陳列の雰囲気が違う。
それでいてヴィレッジヴァンガードがあったり、歩いてたら鉄道模型のレイアウトが現れ、何かと思えばポポンデッタが出店していたり、そういうところも拾っている。

しかし、最近の大型ショッピングモールって、家電量販店を入れないことが増えたなあ。少し前に堺にできたアリオ鳳にもなかったし。
まあ、この雰囲気のところにジョーシンやコジマが入るとちょっと浮く気はしなくもないが……。
奥さんが服見てる間にやることない旦那さんの行き場など不要ということか。何たる差別か。
(というか電器店の方が、駐車場付きの大型独立店舗を出すから、モールに入りたがらないだけだと思うけれど)


なんかピザ食べたくなったのでフードコートのピザ店で、アメリカーノなるものを頼んでみるとこんなの。
なんだかずいぶんチーズの少ないピザで、見えない程度に入っているソーセージと、このポテトのバランスを考えると、なんか素うどんをおかずに白飯食ってるみたいな。アメリカ人は関西人と通底するものがあるのか。


外に出てみると、450kWのソーラー発電所を設けてあった。パネルは京セラ製のようだ。



和大前駅に戻って、せっかくなので和歌山市駅まで。

入っている高島屋も、今年8月で閉店になる。さっきのイオンモールがとどめになったそう。
だんだんと、南海和歌山市駅からJR和歌山駅近くの方に賑やかさが移っていってしまったようで、和歌山市駅前はもうかなり寂しい。
南海本線・JR阪和線とも、関空ができて以来、大阪-和歌山間の直通列車の本数が減り、また所要時間も延びて、と、どうにも駅の力が弱まってしまったよう。


駅前に旧跡案内の地図があったので、見てその方向に歩いて行ってみる。

和歌山の海側、加太からちょっと北あたりに、紀伊水道を護る砲台陣地が昔からある。
そこのチェックのために軍艦奉行の勝海舟が来て、ここに滞在していた。坂本龍馬も来てたとのこと。


さらに近くに、南方熊楠の生誕地がある。
南方熊楠について検索してみると、まんがキャプチャーというサイトで、南方熊楠を紹介するマンガ
があった。
昔「てんぎゃん 南方熊楠伝」というマンガがあったそうで、面白いと聞くんだけど、連載打ち切られて20年以上放ったらかしにされてるとかで。



もう少し行くと、和歌山こども科学館。
プラネタリウムが売りのようだけど、私はさすがにこどもという歳ではないのでパス。

この写真で向かって左側に、和歌山市発明館という施設の跡地があったけれど、閉館していた。
ぐぐると、なんとも味わい深い施設だったみたい。


ここまで来たから和歌山城にも行こう、ということで歩いて行く。
まあ何度も来てるからざっくりと。



北西の吹上口から入る。


吹上口入ってすぐの石垣。
小さい石を隙間に打ち込むような工法なんだろうか。


西の丸の紅葉渓庭園。今はもちろん新緑。


向こうに見える御橋廊下。


せっかくなので御橋廊下をわたってみる。

床板がちょっと変わった張り方をしてある。
床板一枚一枚が、上り坂の上端側が、隣の板の下端にかぶさるように張ってある。すべり止めだろうと思うけれど、油断すると角を踏んで痛い。


御橋廊下上から。

上がったところの石垣には多聞櫓が建っていたようで、その礎石が見つかっている。


石垣に使われている砂岩に、化石が入っている。
コダイアマモという植物の化石で、これが友ヶ島の砂岩からも見つかっていることや採石場の跡地があることなどから、和歌山城の石垣は友ヶ島の岩を持ってきたんだろうと見られている。


本丸の北側から、わりと急な道を登っていく。


本丸御殿跡は、今は給水場にされている。

微妙に意味の伝わりにくい案内板によると、和歌山城の建っている丘は双丘になっている。
羽柴秀長が和歌山城を築城した時は、現在の本丸がある西側に本丸を築いて、こっちの東側は特になにもしなかったよう。(このへんが案内板が曖昧)
関ヶ原合戦の後にここに来た浅野幸長が、こちら側を二の丸にして御殿を建てた。
その後に徳川頼宣が入って、二の丸だったこちら側を本丸に変更した。なので本丸御殿と呼んでいる。
しかし狭くて地形も悪いから不便で、ほとんど使ってなかったそう。そのまま廃藩置県の時に解体しちゃって、その後給水場に。


売店で、竹清水 高野というのを買って休憩。
竹粉を煎じたお茶だそうで、竹の香りと味がする。いや竹食ったことないけど。


和歌山城本丸。
中島望という和歌山出身の異様に面白い作家がいたのだけど、彼が「牙の領域」で和歌山城の上で格闘戦をやるシーンを描いてたな。


和歌山城には動物園が併設されている。
入場無料の小さなところだけど、100年以上の歴史を持つ、日本で四番目にできた動物園。

このツキノワグマのベニーは、動物園にいるのに冬眠しちゃうことで知られ、1月に篭って3月末くらいに出てくるそう。



ホオジロカンムリヅルにカメラを向けてたら、ちょうどぶわさっと。


うさぎが互い違いに。


マーラといういきもの。何かに似ているようで何にも似ていないような不思議ななりをしているけれど、テンジクネズミ科だそう。


孔雀が3羽ばかり居てゴージャス。


毛を狩られる仲間を不安げに見守る羊。


柵に頭を打ち付けて何やら懊悩しているミニチュアポニー。


動物園を抜けて、岡口門から出る。



城の向かいの三年坂通りをわたってすぐのところに、かつて走っていた南海電鉄の市電に使われていた車両が展示されていた。

ここの解説看板が名文。
記名もない誰が書いたともわからないものだけれど、案内看板にこんな文章はなかなかないな。素朴に消えた市電への懐かしさがにじみ出る。

チンチン電車「三二一(さにい)号」
チンチン電車が都会の象徴でした。電車が街路の主でした。
和歌山県では和歌山市だけに明治42年1月から路面わがもの顔にゴーチンチンと電車が走っていたのです。
62年3ヶ月の間、子供にも年寄りにも親しまれてチンチンゴーと走っていたのです。
それが交通マヒのやり玉の第1番にあげられて東京や大阪やあっちこっちの都市で廃止になり和歌山市でも昭和46年3月31日の夜をなごりに惜しまれながら廃止になったのです。世の中はこうして移り変わるのです。どんどん移り変わるのです。
 和歌山市にはもう電車は走っておりません。走っていた電車はみんな魚の巣(漁礁)になって南の海の底に沈められました。そのうちの2台だけが走っていたままの姿でここと海南市とに保存されて毎日みんなの来るのを待っています。
大事にしましょうね。あたたかく見守りましょうね。
昭和48年4月
和歌山市
裏に歴史がかいています


あいにく、柵にきっちり囲まれていて、その裏の歴史はちょっと読みに行きづらい。


隣にはC57型蒸気機関車もある。
こちらにも同じく昭和48年に書かれた解説看板があり、「私は蒸気機関車 C57119です」に始まり、一人称で自分の生涯を語る文章になっている。
こっちはどこで生まれてどこに回され、生涯何キロ走ったというような、少し固いデータ的な話で、321号ほど詩的ではないけれど、生真面目に働いてきた男性の思い出話風とも見れるかもしれない。C57の愛称は貴婦人だけれど。



今回は珍しくキヤノンのカメラ。
というのも、IXY Digital L2を入手したけどバッテリーが腐っていて、互換電池屋でNB-3Lを注文したら、何を間違ったか、PowerShot GやらSに使うようなでっかいNB-2Lが届いた。
しかしクレーム入れるのも面倒だし、いっそのことNB-2Lを使うようなデジカメを調達してしまおうと気を変えた。

何が使えるかというと、PowerShot S30~80と、G7とG9、Kiss DigitalとN。
G7やG9、ましてKissは捨て値で買えるようなもんではないので除外して、PowerShotのSシリーズなら割と転がっている。
特にS30や40ならゴロゴロしているのだけど、先日ふっと見かけたS50。これは比較的少ない気がするので、確保してきた。

PowerShot Sシリーズは、S20以前はIXYみたいな形のものだった。
S40とS30が、廉価なAシリーズと、ハイエンドのGシリーズの間のモデルとして出た。
スタイル重視のIXYとは違って、Gシリーズと同等の大型センサーを載せ、フルモード露出などハイアマのサブカメラみたいな位置づけ。
更に高速化などマイナーチェンジをしたS45、それを500万画素化したS50。
レンズが28-100mmに広角化したS60(500万画素)、700万画素化したS70、800万画素のS80と続く。この頃はGシリーズが止まっていて、事実上のハイエンドだったとか。


S50は、2003年の製品。
この頃は、1/1.8型500万画素センサーを積んだ高画質かつ比較的コンパクトなモデルがしのぎを削っていて、ソニーはDSC-V1があり、ミノルタはDiMAGE F300があり、ペンタックスはOptio 550があり、コニカはKD-500Zがあり、結構花盛りだった。
1/1.8型500万画素センサーはよほどできが良かったか、どのメーカーのも画質が良かった。

S50も例に漏れず、さすがにどのカットもソツのない写りをしている。
ホワイトバランスも露出も、極端なカットでなければ大体適切。ズームレンズのどこで使っても、変な写りをするところはない。
前にPowerShot S1ISを使った時は、結構ソツのある写りに感じられたけれど、やっぱりレンズスペックを欲張り過ぎない方がいいんだなっと。
S1ISでは、日陰が妙に青く写る感じがしたけれど、S50はそういう感じもしなかった。S50の方が1年位古い製品なんだけどな……

ただ引っかかったのは、ISOオートだと1/8秒まで増感しないプログラムライン。
まあこの時代ならよくあることだったけど、手ブレ警告出すなら感度あげてくれっていう。


バッテリーライフがそれほど長くないのか、119カット撮って終わり際にはバッテリー警告表示が出ていた。
単に互換電池があんまり良くない個体だっただけかもしれない。


2003年時点ではよくあった、スライドレンズバリアがそのままスイッチになるタイプ。
私はこれが好きなんだけど、その後はあんまり流行らなくなったな。(薄型モデルの縦スライドバリアは使いやすいと思えないので別として)
まあ、レンズバリアのスライドが渋くなったりするカメラが多かったのも確かだけど、S50は10年経ってもまあまあ大丈夫そう。
ただ、遊びを作ってるのか、単に傷んでガタついてるのかわからないような動きではあった。

起動時間は遅めで4秒くらいかかる。
この頃の、しかも中級クラス以上の機種なら、「高画質機はある程度遅くて仕方ない」なんて雰囲気だったから問題にはならなかったと思うんだけど。

しかし撮影がちょっと遅目で、ちゃんと幅を指定できるオートブラケットがあるのはいいけど、1枚に1秒くらい掛かるゆっくりした連写だから、なかなか使いづらい。
単写で使う分にはそれほど遅くも感じないんだけど。



フルアルミボディで、前面のヘアライン加工など、高級感ある造り。
ただ私の好みだけど、ストラップホールのあるパーツだけ、プラメッキみたいな質感で、他はエンボスかヘアラインなのになんで、っていう感じはあるかな。


操作系は少し不思議。
十字キーが見当たらないから何かと思えば、本体後ろ側右上隅の、ズームレバーみたいな形のものが十字キーだった。
ズームレバーは、真っ直ぐなスライドスイッチ。小さいし微調整もしづらくて、あんまりよくないような……。

あとはまあ、私が使うと水平を外しやすい形みたい。
元々右上がりに、つまりカメラを右下がりにしちゃう手癖があるんだけど、S50だと傾きが大きくなってしかも撮影中に気付きにくい感じが。

今となっては大型だけど、当時としては普通のサイズ。
中に入ってるレンズとセンサーを考えれば、まあまあ小さめにまとめてるな、というくらい。


まあ、全体的に見て「良いカメラですね」と、それ以上いうことなし。
ひたすら真っ当に完成度が高い。
面白くはない……というのは単に私がキワモノ好きなだけ。