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2011年12月29日木曜日

大阪~名古屋ツーリング・往路 w/ Easyshare Mini

連休ということで、たまにはロングツーリングに出ようということで、名古屋方面までいってみることに。
高速道路を一気に行けば別にロングでもないのだけど、この寒い中で100km/hで走りたくないので、下道使ってロングに。

今回は荷物増やしたくないので、再びEasyshare Miniを持って出た。
Easyshare Miniに付属のAC-USB電源アダプタが非常にコンパクトで、F-07CとEasyshare Mini両方に給電できて荷物がすごく少なくできる。
今までモバイルノートとデジカメであれこれACアダプタや充電器が必要なところ、ポケット2つに収まるくらいにできちゃう。




いつも大まかなルーティングしかせずにエイヤっと出発しちゃうのが常で、しかも車の多い道を嫌がって妙なルートを取ろうとするので、道に迷うのがいつものパターン。
素直に名阪国道を使えば素直に行けるのだが、まず大阪から奈良へは国道310号を選んだ。


310号沿線にある観心寺。
役小角が開いて、実恵という僧が827年に建立した寺院だが、楠木正成が幼年時代に学問を修めた場所であったり、南朝と縁が深く、後醍醐天皇に金堂を寄進されたり(現存)、後村上天皇が政治を執ったり陵墓もあったり、色々ある。


後村上天皇御奮跡。
足利義詮とがちがち戦って、京都の奪い合いをやっている間に一時、十ヶ月間ほど拠点にしていたのがここ。


楠木正成学問所。


そして金堂。大阪では最古の国宝建造物。



先日の神武天皇畝傍御陵参拝から、天皇陵巡りをやってみようかな、と思っていたので、後村上天皇桧尾陵に、と向かってみたら、この有様。改築工事中で参拝不可。
まだかなり長いこと工事が続くようだ。


楠公の首塚。


境内東側に、コウボ坂陵墓というものがあった。
後村上天皇の母・阿野廉子の墓ではないかという。


再びバイクに乗って、ワインディングを走り抜けると五條のあたりに出る。
駅近くで軽く昼食。

ここから24号→370号と移動。
「370号って海南から高野山に行く道じゃなかったかな……」などと思いながら、そのまま進む。
道は吉野川に沿って走っていく。先日鉄道で来たばかりだ。
800m先に吉野歴史資料館がある、と看板を見かけたが、800mほど進んでもそれらしいのが見つからなかった。あれ? とはいえまあ、29日ならもう年末休みかもしれない。

空いた道を快走するも、しかし、行先表示の看板が「熊野までxxkm」などと出ている。
いくらなんでも、名古屋に向かっていて熊野方面へ行っているのはおかしい。
実はそもそも370号なんか走っていたのがおかしくて、事前の想定では165号、近鉄大阪線にそって名張あたりを抜けて走っていくつもりだった。
途中で桜井や榛原へは左折、と看板があったものの、榛原がどこか知らないし(まさに近鉄大阪線沿いなのに)、桜井よりもっと東に来てるだろうと思った。
結局、松阪方面の看板が出るようになってきたので、とにかく見えまで抜けてしまおうとそっちに向かう。


奈良県道16号線に入ってしばらく走ると、「天誅組終焉の地」という大きな碑が見えた。
休憩がてら一旦停止して立ち寄ってみた。

天誅組、なんというか、孝明天皇のために私財を擲って行動しようとしたら政変で梯子を外された、なんとも運のない人たちであるけれども、東吉野村では郷土の誇りとされているようで、ここ以外にも複数の義士の墓がある。
ここは総裁の吉村寅太郎が倒れたところで、それで天誅組終焉の地としている。




東吉野村というのもあまり意識したことのない土地だけど、また来てみると面白いかもしれないな。

この先、さすがに寒いと思いながら高見峠というのを越え(トンネルだけど)、なんとか三重県入りして、道の駅飯高駅というところで休憩。
この時点で、どう考えても名古屋に予定時間に着けない有り様。松阪まで50キロはあって、そこからさらに名古屋まで70キロはある。

あれこれ寄り道してる余裕もなかったので、そのままずっと走り続けた。
松阪につく頃には日が沈み、名古屋についたら午後8時。