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2012年5月1日火曜日

高松 w/ Easyshare Mini

寝て起きるとそこは高松であった。
旅行三日目である。






駅前に小さなお社が見えたので近づいてみると、常磐稲荷神社とある。

生駒親正がここの領主としてやってきたとき、旧領の丸亀から商人を連れてきて町を開いた。そしてできた丸亀町の守り神として、巽の方角にこの神社が作られた。
もとは新瓦町小学校にあったが明治の終わりにここに移転し、戦争で焼けたが再建して今に至るそう。


せっかくだから琴電に乗ってみようということで、一日フリーパスを1200円で購入。
早速、長尾線に乗り込む。

終点までは35分ほど。
のどかな田園地帯を走り、途中で良い感じの山が見えるな、と思うとそこに白山駅があった。
山への道に鳥居が見えて、白山信仰の神社があるよう。


長尾駅。気持ちよくローカル線の終点をやってる駅。晴れてよかった。
駅前広場はかつてはスーパーマーケットがあったそうだが、潰して駐車場にしてある。今となってはレトロな駅舎の見通しがよく、旅行者にはちょうどいい。
乗ってきたのは琴電1300形で、元は京急1000系だそう。


駅の近くには、お遍路参りの四国八十八ヶ所霊場のひとつ・長尾寺がある。
朝も早くからお遍路さんが絶えることなく、じゃまにならないように参拝。


近くを通る街道は長尾街道というそうだが、その道沿いに荒神社があると地図に出ているので、ちょっと寄ってみるとこんなの。
どうも裏側から来てしまっているようで、本殿は逆を向いているし、奥の住宅みたいな建物がなんとなく祭殿っぽい。しかし表に回る通路はなかったし、こっちに賽銭箱まで置いてある。なんだろう?
多分まあ、古くからある神社と住宅開発の兼ね合いでこうなったのだと思うけれど……


瓦町駅まで乗って戻り、今度は志度線に乗り換え。
志度線はレールが直結していないので、乗り換えには少し歩く。
左右非対称なこの車両は琴電600形、元は名古屋市営地下鉄の250形。


こちらは割りと街中っぽいところを、JR高徳線に並走する感じで走っていく。
福井鉄道福武線なんかもそうだったけれど、駅間広すぎるJRを補うように並走する私鉄というのは、結構あるものなのだろうか。


ちょっと道を間違えてJRの志度駅の方に来てしまった。派手な駅舎だ。


目当てのところは海側。
海岸沿いの風景も一枚。

海岸沿いを東にしばらく歩くと、四国八十八ヶ所霊場のひとつ、志度寺がある。


いきなり丸太の柵にものものしく囲まれたものがあるので近づいてみると、海人の墓、というものだそう。
藤原不比等が唐の高宗妃から面向不背の玉というものを贈られたが、ここの海で竜神に奪われてしまった。
不比等が身分を隠して探しにきたのだが、そこで海女さんと恋仲になって子を設ける。
それから不比等が来た事情を話すと、海女さんは海に潜って竜神と戦って玉を奪い返してくる。しかし相手が竜神では無事にはいられず、帰って程なく死んでしまう。
その時の子・房前は長じて大臣となり、行基を連れてここを訪ね、千基の石塔を建てて母の菩提を弔った。それがこれらの塔。

物々しく柵に囲まれているのは、塔を壊した不心得者がいたからだそう。


生駒親正の墓塔も近くにある。
先の海人の墓は、彼が「生駒氏の先祖にあたる」といって志渡寺とともに手厚く保護していた。
藤原不比等→房前→真楯→内麻呂→冬嗣→良房と下って行くと生駒氏にたどり着くそう。


広々とした長尾寺に比べて、志度寺は庭園やら色々たくさん詰っている。


色々あるんだけど……なんか荒れてるような……。なんでだろう。
境内に改修費の浄財を募る張り紙があった気がするが、お金の問題だろうか。参拝者の少ない寺でもないと思うが、しかし戎神社みたいに祭りがあってお金が一気に落ちるようなところではないのかもしれない。


門前すぐに、常楽寺という寺があり、そこには平賀源内の墓がある。
志度の町は平賀源内の出身地で、町を挙げて郷土の誇りとして源内プッシュしている。

この志度寺門前から、まっすぐ続く道が源内通りとされている。
道端には、地元の小学生が描いた源内の絵がついた看板がいくつも掛かっている。
私の地元は歴史をどれだけさかのぼっても全く偉人を輩出せず、現代の有名人すらほとんど出ないような土地であるから、誇れる偉人がある土地は羨ましく思える。


源内通り沿いに、平賀源内記念館がある。
源内のやってきた数々の事業を紹介するのだが、俳句に戯作、薬学、鉱山開発、製陶、絵画、洋書翻訳に科学技術とやること果てしれぬ人だけあって、幅が広くて面白い。
復元したヱレキテルを置いてあって、回して火花を飛ばしてみたりもできる。

源内焼の皿や湯呑みなどの販売があって心惹かれたが、無難に和菓子など土産物に購入。
源内もなか、と書いてあるが、まあ、普通のもなかであった。別に食べるとエレキテルが走ったりはしない。


源内通りをどんどん西へ行く。
地蔵寺というお寺があって覗いてみると、ヤマトタケルの伝承がある寺だった。
土佐の海にいた怪魚が瀬戸内海に入り込んで暴れまわっていたので、景行天皇が心配してヤマトタケルを征伐に遣わした。
ヤマトタケルは怪魚を倒して、讃岐一国を褒美にもらって国主となったが、人々は怪魚のたたりを恐れて地蔵菩薩を祀って霊を鎮めたという。

樹齢1000年を超える「柏竜」という柏の巨木があったそうだが、室戸台風で傷められて昭和58年に切り倒されてしまったそう。


もうしばらく行くと、源内先生の銅像がある。
そこが平賀源内の旧邸で、現在は平賀源内先生遺品館という施設になっている。

旧邸といっても、源内から何代か下がってから、建て替えて酢屋を始めたときのものなので、生まれた邸宅が残っているわけではない。
土間で商売をやっていたという感じの建物で、今は酢の代わりに、源内が育てていたという薬草を使って入れたお茶を出してくれた。
販売もしていたので土産に購入。飲みづらいのと飲みやすいのとがあった。


奥には薬草園が作られていて、実に108種類の薬草を栽培している。


また、表には源内先生がオリーブだと勘違いしていたホルトノキが植えられている。
紀州湯浅で見つけて持ち帰ってきた、源内手植えのホルトノキそのもの。


ことでんの原駅に来て電車待ち。このローカル風情。
一線一面の中間駅を使うのは久しぶり。多分紀州鉄道で使ったと思うから、初めてではないはずだけど。


志度線で瓦町へ、乗り換えて築港高松駅へと戻る。
築港高松駅すぐそばには高松城址がある。城跡は、高松城の別名・玉藻城からとって、玉藻公園となっている。


生駒親正が居城として築城した。1590年竣工。縄張りは黒田如水という。
本丸は、土台の石垣しか残っていない。常時公開もされておらず、直近では5月5日に開放されるようだった。

元々は海城で、堀も海に直接つながっていて、軍船がそのまま出入りできるようになっていた。
城郭は都市化で削られて海に面してもいないが、堀は海までつながっているので海水で満たされている。


もともと城内庭園だったらしい場所は、今も公園にされている。
三の丸だったところには飛雲閣という豪壮な書院建築がある。昭和天皇がご宿泊になったりしたこともある。


天守は残っていないが、1671年に建てられたこの東の丸・艮櫓は現存。
重要文化財に指定されている。


東側から出て、高松駅に向けて歩いて行くと、商店街などとは外れたところにうどん屋を発見。
遅くなった昼食を取ることにした。
場所が外れているおかげか、客は地元のサラリーマン風の人ばかり。今日は仕事のところも多い。休みで、すみません。
ぶっかけうどんをつるっと頂いて、あまり労働者のじゃまにならないように素早く立ち去る。美味かった。


JR高松駅に帰ってきた。
徳島行きの特急にはまだ時間があるし、うどんを軽く食べただけではちょっと物足りないので、ウィリーウィンキーでパンをふたつ買った。
ウィリーウィンキーはJR四国の関連企業で、JR四国の駅ナカか駅そばにしかないので、これも四国の味といえよう。


特急うずしおの切符を買ってホームへ。
なんだか見慣れないのがいるので撮影。

右の列車は、よくある通勤電車かと思ったが、JR四国にしか居ない121系というものだった。
鉄道によく乗る旅行をやってはいるのだが、私は別に鉄道ファンとはいえないので、車両の細かい見分けはできず、ステンレスの四角い電車ならよくあるものだと思ってしまう。
左のなんか小さいのは……2000系でいいんだろうか。



特急うずしお。N2000系という車両だそう。

高徳線は単線。ゆえにちょくちょく駅でスレ違い待ちがあるが、本数が多くないのか、そんなに長ったらしい停車はなかった。
指定席を買ったら1号車1番A席で、進行方向の景色を見ながら座っていられる場所。
二両編成の先頭車の前から4列くらいまでだけが指定席、となっていて、しかもそれでも自由席ガラガラという乗車率だったが、まあ平日の真昼間。指定席料金は車窓代と考えよう。

高松から徳島まで1時間ちょっとで結ぶので、通勤需要はかなりあるらしく、ラッシュ時には五両編成で走る。
定期券+特急券でうずしおに乗車できるようになっていて、さらに特急回数券も発行されている上、もともと特急料金が安いので、結構な人気があるそう。


車窓から。琴電と並走しているうちはともかく、東に行くにつれて田園風景に。

徳島駅に到着。


まだ2時半。
とりあえず帰る時間を決めようと、大阪に帰るための和歌山港行き南海フェリーの時間を知りたいのだが掲示などが見つからない。
困ったな、と思うも、観光案内所があるような表示の方に行っても発見できず、仕方ないのでともかくフェリー乗り場行きのバスに乗ってしまった。


しかしフェリー乗り場が意外と遠く、迷って遅れたのもあわせて、到着は3時頃。
船の時間を見たら、次は4時半だという。
1時間半、となると、多分往復で30分くらいかかるとして、徳島駅近辺で1時間潰すというのもなんか半端な気がする。

とりあえず、乗り場近くを散歩してみると、


マーロン・ブランド主演の店なんや……


それから戎神社があった。
社殿を見てもわからないが、狛犬がかなり古そうだから、古くからある神社かもしれない。


また近くの墓地に、三平という人の墓がある。
弘法大師の再来と言われ、天文学・医学に通じた人で、お遍路参りを88回やって神通力を得て多くの人々の病を癒して回ったとか。


で。
南海フェリーといえばあれですね。


いる。


船体にも。船内にも。
売店ではグッズの販売もあった。贈答用にステッカー買っていったよ。


高松の港の景色。日も落ちてきたし、また曇ってきてるけれど。


船にはソーラーパネルを設置していた。10kWあるシステム。


徳島から淡路島の南を通って和歌山に至るので、進行方向左手を見ていいると、淡路島やら沼島、友ヶ島などが見える。


2時間ほどの船旅の後、和歌山港に到着。

和歌山港から特急サザンで帰阪した。
和歌山港駅は、もう今ではフェリーと接続する列車しか来ない駅になっている。
南海電鉄はおよそ駅を古いまま使い続けがちな鉄道会社だが、この毛筆で書いてるタイプの駅名標が未だに残っているところは少ない。



これで三日間の旅行は終了。
最後にちょっと徳島で時間を効率的に使えなかったが、おおむね楽しく過ごせた旅行だった。