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2012年8月14日火曜日

高知旅行2日目(高知・中村) w/ K-x

旅行二日目。

一日目はほとんど移動だったが、二日目は高知県内の徘徊に充てる。


琵琶湖近くを通りかかった時、そこらじゅうにやたらと戦国BASARAの白髪イケメン石田三成のポスターを貼ってあるのを見かけたことがあったのだが、もしかして高知も……と期待しながら来たのだが、特にそういうわけではなかった。
とはいえ、長宗我部元親の居城は少し離れた岡豊城だから、そっちに行けばあるいは状況が違ったのかもしれない。


宿から国道の方に下りてくると、なにやらフクちゃんの姿が見え、近づいてみると「横山隆一記念まんが館」という施設であった。

水木しげるを擁する鳥取も近頃売り込みが激しいが、高知もまた著名な漫画家を輩出している。そしてどちらも「まんが王国」と名乗っている。
やなせたかしと横山隆一はもちろんとして、西原理恵子や徳弘正也、はらたいらなど、そうそうたるメンバーといえるだろう。
鳥取の方は水木しげる、青山剛昌、谷口ジロー、赤井孝美といったこれもそうそうたるメンバーであるが、両まんが王国のどちらが王国にふさわしいかは難しいところである。

個人的に懐かしいところでは、子供の頃読んでいたコロコロコミックで「わーお!ケンちゃん」という志村けんのギャグ漫画を描いていた竹村よしひこ。20年以上前で、さすがにコロコロという年じゃなくなりつつあった頃の漫画だけれど、不思議と未だに印象の残っている。
梶原一騎原作「カラテ地獄変」の中城健も高知の人である。さすがに、金髪女性を逆さ吊りにして拷問するようなページがまんが館で紹介されていたりはしないけれど。

館内は、フクちゃんの始まりから人気ぶり、戦時中の行状、連載終了時の惜しまれぶりなどをたっぷり紹介し、それから横山隆一氏のアトリエ、ホームバー、アニメ制作会社「おとぎプロ」の紹介などが常設展示。
特別展は「黒潮からのメッセージ まんがと科学のコラボレーションによる作品集」とあり、黒潮についての科学的解説と、海と黒潮をテーマにしたカラー1コママンガ作品の展示。
ふらっと高知にきた私にはなかなかいい展示で、室戸の方で海洋調査をやっている室戸ジオパークの紹介から、高知に竜巻が多いといった気候の話まで、面白く見られる。
まんが作品も、一枚絵でいわゆるアートチックな作品が多いが、しかしさすが漫画家らしいディフォルメと発想の妙がある。

事前にこういうものがあると知らなかったので、たまたま大通りと少し外れた道を歩いていて偶然通りかかったのだが、こう面白いところに出くわせたのは幸運だった。



外に出ると、山に雲がかかっている。
上から見ればさぞ絶景だろう。こんな雨降ってて暑い日に山登りなんて嫌だけれど。(といいつつ、今日の夕方にはそれをやることになる)


はりまや橋交差点の方に歩いて行くと、近隣の守護神である秋葉神社の看板が見える。
近づいてみると、お社がひとつ。またえらい神域を削られ尽くしたものだ。


はりまや橋から、土電を南の方に乗る。


そして端っこの桟橋通五丁目駅まで。
ここで土電の一日乗車券を購入。高知市内は190円均一になっているが、その均一区間を一日500円で乗り放題になる。

ここからは、わんぱーくこうちアニマルランドという遊園地があるのだが、さすがに私がひとりで行ってもなんなので、そっちには行かない。


北へ向かって歩くと、土電の車両基地があった。


さらにもう少し行くと、高知市立自由民権記念館がある。
日本を洗濯しようとした坂本竜馬はもちろんとして、土佐は改革の気風が強い。
薩長土肥で打ち立てた明治政府にも、土佐では自由民権運動が猛烈に盛り上がり、それはもうガチガチやっていた。

板垣退助が刺された短刀、なんて展示品もある。
展示内容は、ちょっと土佐の自由民権運動にある程度予備知識がないと、知らない名前ばっかりでついていくのが難しいか。

自由民権運動を抑えるため、明治政府は新聞の発行禁止などの言論弾圧をやっていたのだが、「大日本帝国憲法を否定した」と高知新聞が発禁を食らった。
その言論弾圧に皮肉ジョークで対抗するべく、高知新聞社は、亡くなった高知新聞の葬儀を大々的にあげて、高知の人々も万単位で参列したという。
内外タイムスというスポーツ新聞も新聞葬をやったことがあるのだが、ナイタイよりはるか前に先例があったようだ。

ほかに企画展で、戦後の引き上げの頃を漫画家が描いた作品展やら、高知空襲の写真展なども行なっていた。
高知の革命の気風は、現代においては町中にたくさんある「九条は宝」といった看板に見られるようで、どうもこの記念館もなんとなくそっちの香りがする。


土電で県庁前まで移動して、ちょっと歩くと、もともと山内家の下屋敷だったところに三翠園というホテルがある。
そこに、山内家の下屋敷長屋というのがあった。

ホテルはまあ実に立派な建物だが、そんな広い屋敷の片隅に続く長屋。まあ使用人でも住んでいたのかなあという感じだが、実際のところ何に使っていたのかはよくわからないらしい。
古い調度品をそれっぽく置いてあったり、二階は土佐の偉人紹介などの展示をしていた。


山内一豊もゆるキャラ化するご時世。

ところで、山内一豊は「やまのうちかずとよ」ではなく「やまうちかつとよ」と読むのが正しいらしい。
歴史ファンにはそういうのうるさい人がいて、うかつに真田幸村なんて口に出すと「幸村って誰ですか」といやみったらしく厳しいツッコミが入るそうだが、こちらもやはり「やまのうちかずとよって誰ですか」とツッコミを受けてしまうのだろうか。

三翠園向かいの公園もかつての屋敷の一部だったようだが、今は特に何もない。
そこを通り抜けると、


山内神社がある。
名前通りに、山内家歴代当主を祀る。
最初は初代一豊と二代忠義を祀る藤並神社というのが高知城内にあったのだが、そこからさらにその後の当主を祀る神社ができたり、合併したりあれこれして結局ここにまとまったよう。
当然それほど古い神社ではなく、最初に一豊を祀った藤並神社が1804年の創建とのこと。


社殿は1975年ごろに作られたものだそう。
高知は大空襲があったので、もとの社殿は焼けてしまった。

すぐとなりには山内家の宝物殿もある。


北の方に歩いて行って、高知城の南西側からアプローチ。
江戸期の本丸が完全な形で現存する。周囲の郭なども現存のものが多いようで、中を通ると歴史を感じる。

しかし、小雨が降って湿度はぶっちぎり、体感気温があまりにも酷い状態、それで城山を登ってきたらなんだかえげつないことになってしまったので、人が多いこともあって城郭内には入らなかった。
気力を削り取られるような不快な気候でもう。


銅像もいくつか。一豊、馬 featuring 千代、他にも板垣退助もあったとかで。


暑さから逃げるように土電に乗り込み、さらに西に行く。
ここまで千代と一豊がメインだったが、次は、


竜馬エリアに入る。
まず竜馬生誕地の碑をチェック。まあ碑があるだけだけども。


それから一本裏手の筋に入って西に行くと、龍馬の生まれたまち記念館という説明的な名前の博物館にくる。
もう名前通りで、竜馬の生涯を紹介しまくるところ。それ以上書きようがないくらい、明確に竜馬の紹介に絞ってある。
さらに企画展として、角谷やすひとイラスト展というのをやっていた。竜馬の名言やちょっといい言葉を毛筆で書いて、コミカルな竜馬のイラストを添えた作品が並ぶ。

高知観光ガイドの拠点にもなっているようで、様々なコースでガイドさんに案内してもらうことができる。高知でゆっくり時間をとるならいいかも。
土産物の販売もあるので、「龍馬が愛した珈琲。」というのを、本当かよと言いたくなるのをあえて無粋は言わずに購入してみた。
竜馬以前から長崎でコーヒーは飲まれていた、竜馬は実に12回も長崎入りしている、海援隊士が飲んだ話もある、なら龍馬だって飲んだだろうということで、当時の文献を元に当時のコーヒーを再現しつつアレンジしたものだそう。
考証云々と無粋をいえば言えるが、飲んでみるとなかなか美味しかった。酸味を抑えてコクがある感じ。


ここから最後の土電乗車。
西の端、伊野駅まで行く。


後免方面は複線だったが、こちらは途中で単線になる。高知大学前の朝倉駅を超えると、駅間も広がってくる。
終点の駅もあっさりしていた。


JR伊野駅に歩いて行って、ここからは特急あしずりで一気に移動。
JR四国2000形は、四国じゃそこらじゅうで見かける。四国の覇者というところか。



一時間半ほど走って、四万十市の中村というところに到達。
アンパンマン列車もまた四国じゃそこらじゅうを走り回っていて、長宗我部に続く四国の覇者はやなせたかしなんだというのがしみじみ感じられる。
もう一台は、宿毛方面に向かう土佐くろしお鉄道の車両。


中村駅前。
駅近くにレンタサイクルがあり、これ幸いと利用。少し市街地と駅が離れた街で、歩くと結構な距離になる。

さてわざわざ降りたというのも、長宗我部より前に土佐のリーダーであった土佐一条氏の居所が、ここ中村にあった。
関白にまで上った公卿である一条教房が、応仁の乱から逃れて所領の幡多に移り住んだ。
そして中村を小京都化して、国人領主を手懐けて戦国大名化する。

長宗我部氏は元親の祖父の代で一度滅亡しかけたのだけど、遺児の国親を養育して長宗我部を再興させたのは一条氏。
その一条氏を滅ぼしたのもまた長宗我部。


全国的にはマイナーでも、その土地では英雄とされる人物や大名家はたまにあるが、一条家もここ中村では、街を栄えさせた英雄。
その一条氏の居館があったところが、神社になっている。ちょっとした丘になっていて、いかにも大名の館が作られそうなところ。

祭神は一条家代々当主だが、特に一条兼良を若藤男命として主祭神にしているよう。土佐一条氏初代・教房の父にあたる。
1862年になって、幡多の奉行や目付、大庄屋らが一体となって一条氏を顕彰するために建立した。よほど地元に愛されている。


それから、中村城址の方へ向かう。
しかしこれが、自転車ではとても登れないような坂が延々500メートル。
高知城を上がったときより更に酷い、バケツで水でも浴びたような汗をかきながら登るはめに。


で、上がってきてみるとこんな感じ。
まだこの時点で自覚がなかったけれど、熱中症になりかけていたようで、なんかあまり周りをちゃんと見なかったようだ。城跡を示す碑があったのは写真に収めていたが。
城を5つひっくるめて中村城と呼んでいたそうで、登ってくる途中にもひとつそれらしいのがあった。

二の丸に模擬天守が作られて、そこが四万十市立郷土資料館になっているのだけど、時計を見たら閉館時間の7分後だった。なんのためにこんな必死で上がってきたんだ。

下りは下りでスピードが出すぎるので、フルブレーキかけながら下っていった。


城から下りて、ちょっとルートを変えて駅の方に戻ろうとすると、正福寺跡なるところを見つけた。
法然上人が弾圧されて土佐に流罪になったとき、お迎えするために正福寺が開かれたのだけど、上人は結局讃岐にとどまって土佐まで来なかった。
その後、長宗我部時代に谷忠澄が中村城主をやっていて、その庇護を受けていて、谷忠澄の墓所や長宗我部信親の位牌があったといわれるが、山内氏時代に失われた。
明治になって廃寺になり、その後別の場所に再建されている。

また近くに、幸徳秋水の墓もあったので参拝。
高知というのは人を生み出す土地のようで、幸徳秋水は中村出身。
私の生まれ育った街はとにかく人材が出ない土地で、何百年遡っても誰も偉人がいないところだから、まったくうらやましい。



幡多保健所の南隅だと思うが、こんなところがあり、近くの看板によると貝塚が見つかったところだそうだ。
宿毛にも貝塚があるが、かなり古くから人のいるところだったよう。



四万十川に出てみた。
子供の頃になにかで「日本一きれいな川」と覚えたのだが、今では高知県内でも水質が一番きれいというわけではないらしい。
大きなダムがないことから、日本最後の清流といわれるそうだから、それを覚え違えたかな。


ここらで脱水症状に陥って、ふらふらになりながら自販機にたどり着いて補給して一休み。
駅に戻って、宿毛行きの列車に乗り込む。


列車から四万十川を一枚。


東宿毛駅で下車。宿が東宿毛なのと、かつて宿毛城があったのも東側なので。

時間も遅くなっていたので、さっさと宿に入ってしまった。
ビジネスホテルのはずなのだけど、えらく愛想よく人懐っこい老夫婦がやっている。フロントのある階は大部屋があるようで、どこかの少年野球チームが泊まっている。民宿みたい。
私は変わった苗字をしているので珍しがられ、そんなことからしばらく話し込んだり。
一人旅では大体ビジネスホテルを使うから、きちっとしてるけどこういうフランクさには遭ったことがない。

東宿毛は旧市街だけあってか、飲食店が地元の人向けの居酒屋とラウンジばかりで夕食に困ったのだが、東の県道四号線沿いにあった、喫茶店とレストランと居酒屋の折衷みたいなところを発見して入った。
ここの奥さんもまた人当たりがよかった。宿毛の人は気が優しいのだろうか。
まあ喫茶店っぽいし、業務用の冷凍食品でも出てくるのかなあ、と思ったら、手作りらしいものが出てきて味もよかった。


宿でテレビを見ていたら、昨日私が通り過ぎた高知県東部の安芸で竜巻があったとニュース。
さらに続けて、近畿地方で大雨が降り、京都・大阪間の鉄道が全滅するわ、ついこの前見に行った平等院で土砂崩れがあるわとえらいことになっていた。

私は不思議と晴れ男で、今日も列車に乗っている間に雨が降っているのは見たが、降りている間は、高知市内で若干の小雨にあった程度だった。中村でも宿毛でも降られていない。
しかし私が降られないだけならいいのだが、私が立ち去ったあとに反動で大雨やら竜巻が来てるかのようで、さすがに少し不気味であった。