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2014年2月1日土曜日

姫路 (EXILIM EX-S3)

最近徘徊できてなかったのだけど、大河にかこつけて関西私鉄各社が姫路までのワンデーパスを売りだしているので乗っかってみることに。
場所によって少し変わるけど実際安くて、うちからだと姫路までの片道運転+500円くらいだった。

もっとも、うちは1dayパス発行エリアの限りなく東端に近い上、山陽姫路がエリアの、つまり私鉄で行けるほぼ西端なので、往復に5時間以上。
急ぐんだったら新幹線使っちゃうとか、まだしもJRの方が早いとかあるんだけど、この切符だと私鉄縛り。

ともかく、早起きめに家を出て一路姫路へ。
梅田から直通特急があるから、まだしも乗り換えは少なくていいんだけど。





あっセンサーにゴミが……

で、姫路ではなく途中の支線に乗り換え、網干に来た。
網干に来ると海の方に行った方が何かありそうなのだけど、一応今回の主目的は姫路であるからして、山手に歩いて行く。


山手に1キロ位歩くと、津の宮とも呼ばれる、魚吹八幡神社がある。
なかなかこれは読みがわからない。

関西ではよくある神功皇后の三韓征伐がらみの神社で、帰りにここ宇須伎津の港に泊まり、信託を頂いて玉依姫命を祭ったのが始まり。西暦で202年のこと。
さらに仁徳天皇が霊夢を見て、319年ごろには神功皇后・応神天皇も祀られるようになった。
武烈天皇の時代、505年に「魚の砂吹き寄せ」の故事によって魚吹大神宮と名付けられた。
かつてはこの辺りは海沿いの砂浜だったんだけど、その砂の出処が、魚が砂を吹いて溜まらせたという伝説がある。


えらい立派な楼門がある。
戦国時代に一度戦火で焼かれて(官兵衛のしわざだったりして)、その後1645年に地元の力で再建されたらしいのだけど、由緒書きによるとそれは本殿の話のようだ。
楼門は建築年代不明だけど、1686年(貞享三年)の銘がある瓦が使われている。
ちなみに楼門は兵庫県指定重文、本殿は姫路市指定重文で、どうも楼門のほうが偉そうな認定がついている。


なんかものすごい腹筋の割れ方した像。
スモトリではなくて、文政・天保時代の三ノ宮卯之助という力持ちの男の像だそう。
三ノ宮といっても神戸のじゃなくて、武蔵国岩槻藩の三宮の人。
彼が取り回したという力石が方々の神社にあって、この神社にもある。関東の人だから関西にはあまり来なくて、ここにあるのが最西端とのこと。


拝殿。
なかなかの立派さ。


別のところでちらっとみた網干の観光案内マップでは、魚吹八幡神社は明るい、と書かれていた。
なんとなくわかる感じで、けっこう境内、拝殿前が開けている。明るい。
岸和田のだんじり祭がらみの神社なんかは、だんじりを入れるためにやたらとスペースが開いてたりするんだけど、ここはあの楼門があるから、大きな山車や神輿は入れないと思う。
といって鎮守の森がないわけでもなく、ちょっと裏手(下写真左奥のほう)にいくと茂っている。


放生池が鎮守の森の中にあって、鯉が大小放たれていた。
池に中の島が設けられていて、そこには征露記念碑が立っていた。


神社を抜けて北へ。
食事をしたかったけど住宅地なのでなかなか見つからず、やっと見つかった喫茶店。名前はマドリードというたか、私も昭和生まれだからちょっと記憶力が怪しい。
昭和チックな雰囲気で、「悲しみ本線日本海」とか「年下の男の子」とか昭和な雰囲気のBGMの中、ミンチカツとオムレツのランチ。家庭料理みたいで美味かった。

さらに歩いて、JRの網干駅。
目の前で新快速が出て行って、あー、と思ったらすぐ各停がきた。姫路へ。


姫路から、降りてすぐに広々と大手前通り。まっすぐ行けば姫路城。北へ1キロくらい。地味にちょっと遠い。
途中でレンタサイクルの貸出場所があったのに、申し込みはJR駅の観光案内所で、と、500メートルくらい戻れという意味の案内が。これは商売下手だなあ。


駅に近いところで、大河ドラマ館が。
平清盛の時は歴史館とドラマ館に分けてたんだけど、今回はひとつだけ。

客の入りはまあまあ。あんまり大きな建物でもなく、多分清盛の時の歴史館ひとつよりも小さいから、窮屈な感じがあったけど。
平清盛の時が広々としすぎてたかもだけどなあ。あっちは私が夏に行ったこともあり、かなりがらんとしてたから。

今年の大河、黒田官兵衛がテーマとなると、秀吉の麾下に入るまではかなり地味な話にならざるを得なくて、その辺どうかなあと心配してたけど、私はまあ、現時点ではまあまあ気に入っている。
ただまあ、小寺政職なんて聞いたこともない、という、特に歴史ファンでない人からすると、なかなか人物もわからんでのりにくいという声も聞いた。
それを言った人、というかまあ私の父親なのだが、あれは多分備中高松城の水攻めとか有岡城への幽閉とか、そのへんの話すら知らんであろうから、そもそも大河ドラマに期待してるものが私と相当ズレてそうな。



撮影可能エリアから一枚。劇中で使ったアイテムらしい。
六韜だよ。ちゃんと中書いてるんかしら。

最後に出演者のサイン色紙が並んでいたけど、どれも来館者へのメッセージを添えているのに、江口洋介だけがカッコよくキメたサインだけをドンと大きく。かっこいい。
しかし物販もなかったのは寂しいな。あったらあったで人が詰まって鬱陶しいけど。


おっとISO640のままで撮っちゃったからざらざら。

姫路城は、改築に入る前に一度ツーリングで来たことがある。
あのときは免許取りたてで、車齢20年以上のFZ250 PHAZERを走らせてはるばるやってきて、帰りに播磨の山手の酷道のワインディングですっ転びそうになり(耐えた)、まだ10月頃だったはずなのに山の中が寒くて寒くてえらいことになり、大阪に帰り着いたらクラッチの重さにやられて左手の握力がなくなっていたっていう。


菱の門。ここをくぐれば二の丸。
英語でいうとダイヤモンドゲート?


工事なう。


ここをくぐれば本丸だが、現在のところ天守閣は公開していないし立入禁止状態。
少し前は、工事の様子を間近で見られる櫓が立っていたらしいんだけど、それももうなくなっている。
その分入場料は400円、大河ドラマ館を出ると貰える割引券で200円に。


天守の向かい側の建物で、官兵衛の歴史についての展示が行われていた。
黒田24騎の話とか、中国大返しの実態についてとか、なかなか面白い話がいくつか。甲冑の展示も充実していた。


これが最寄りの撮影位置か。


西側から、キリシタンの官兵衛によるといわれる十字紋の鬼瓦が見える。


西の丸にくると、ぐるっと半周囲む化粧櫓。
ここは中に入って長い廊下を通り抜けられる。


まあ、ほとんど廊下と部屋だけで、何があるってものでもないのだけど。


武者落とし、ここから石とか熱湯とかを落として、壁を登ってくる敵兵を撃退する。
しかし使用歴があるかのような傷……

ところで、熱湯だとすぐ流れるし冷めるから、もっと粘性の高いものを使ったほうがいいということは当時の人達も気付いていた。
今ならまあ、片栗粉でも使ってとろみつけてやるか、ってところだけど、当時そんな贅沢なことはしなかっただろう。
当時、安くて大量に入手できる粘性の物質というと、糞尿だった、というのは想像できることで、ぐらぐらに煮立たせた糞尿をぶっかけて攻撃していた、という話がある。

合戦のときは色々えらいことになってたんだろう。


なんかすぐ向こうに旗が立ってるのが見える。敵兵か?
多分男山八幡宮のある山だと思うんだけど、あっちでもなんかやってんのかな。

ここに暮らしていた千姫が、男山八幡宮をいつもここから拝んでいたそうで。


化粧櫓でカルタに興じる千姫の像。喫煙者だったらしいから煙草盆もある。


城を出て、北東側に回る。


姫路神社。
明治初期の創建で歴史は短いけれど、廃藩置県で東京に行くことになった酒井家の殿様を慕った領民が、酒井家代々の祖神を祀る神社として開いたそう。愛されてますな。


さらに城の堀を越えて外へ。


この赤レンガの建物は姫路市立美術館。
なかなか興味深いが、すでに時間は4時前。ちょっと寄る時間は足りない。


さらに裏には、兵庫県立歴史博物館

特別展は「旅に出よう 絵地図からはじまる物語」と、歴史博物館にしてはちょっと変化球。
しかしこれが実に楽しい展示。

街道を描く地図にしても、街道が折れているところは巻物自体を折りたたむと地図も折れるように仕掛けて描いてあるようなアイディア地図があったり。
街や宿場を線でつないで、ちょうど鉄道路線図みたいに全国津々浦々の行き方を示した大マップがあったり。

そして大正あたりの鉄道の広まりとともに、吉田初三郎を始めとした鳥瞰地図がどんどん出てくる。
私も吉田初三郎は大好きなんだけど、なかなかこれだけたくさん見れた機会はなかった。交通関係の博物館とか、鉄道会社の展示館なんかにぱらぱらと見る機会はあるんだけど。


出たら5時前。
もう、このあたりの大抵の施設は閉まる時間。
このワンデーパスは、行ったものの現地で取れる時間がやや厳しいか。私は網干に寄り道したからあれだけど、しなくてももう2箇所回る程度の時間しかないような……


兵庫県姫路護国神社。
まあ護国神社って歴史が面白かったりはしないけれども。


近くに、播磨国総社もある。えらい派手な楼門だな。


拝殿。

もっぱら総社と呼ばれてきたそうだけど、正式には射楯大神と兵主大神を祀る射楯兵主神社という名前。射楯大神は五十猛命で、兵主大神は大国主命の別名。


境内摂社がかなりたくさんあるのが、さすがは総社というだけある。
写真は長壁神社。
他にも稲荷社も琴平社もなんでもある。

さらには西播磨・東播磨総神殿なんてものがあり、祀られている神様の数ならその総神殿で174柱もある。
神社全体ならそれこそ200近くになって、なかなか珍しいほどの神様過密地帯になっている。


山陽電鉄の駅に戻ると、ちょうど梅田行き直通特急の発車5分前。
乗り込んで、悠々と座って大阪へ。



今日のEXILIM EX-S3。
私がデジカメを触りだしたのが2003年ごろで、この初代エクシリムがリリースされた少し後くらい。
この頃にはえらく流行ったカメラで、かなりの人がこれを胸ポケットからドヤ顔で取り出していた印象が。30代以上なら一度は見たことのある品。

当時のデジカメは、今ほどコンパクトにはなっていなかった。
技術的なこともあっただろうし、フィルムカメラより小さければ十分小さい、くらいの印象を持ってもらえる時代でもあった気がする。
そこに、ポンと飛び出してきた、文字通りカード型のカメラ。厚さ11.3ミリ。

オートフォーカスをオミットしてパンフォーカス、画素数も初代モデルは130万で廉価モデル以下、当然ズームなんかなし、と、削ぎ落とせるものは削ぎ落とした結果としての小型化だった。
けれど、ボディはしっかり金属製で、薄くてもうっかりへし折るような不安は感じにくい。
小さいだけであれば、この時代はいわゆるおもちゃデジカメが幅を利かせていたから、そういうものにもっと小さいのはあったけど、「まともなデジカメとして格段に薄くて小さい」というエクシリムは強烈に存在感があった。


で、このEX-S3は三代目のモデル。
130万画素で始まったのが、200→300万画素と増えた。
オートレンズバリアが内蔵されたり、液晶がかなり大きくなったりと改良され、さらには前面にヘアライン加工が施されてさらに高級感を増したりと、さらなる完成度の向上が見られる。

しかし、同時にEXILIM ZOOM EX-Z3が発売された。
ペンタックスが開発した、沈胴するときにレンズの一部を横にずらして収納時の厚みを減らす、という仕掛けのレンズで、単焦点パンフォーカスだったEXILIMと同じ大きさ・2倍くらいの厚さ(それでも2センチ)でオートフォーカス3倍ズームレンズがついた。

これの影に隠れて、EX-S3はどうにも地味な存在になってしまった。
ジャンクワゴンなんか見てても、EX-S1/S2やMP3再生機能つきのM1/M2はけっこうゴロゴロ見かけるのに、S3はなかなか見なかった。

ちなみに4代目のEX-S20/M20もあって、これはなぜか200万画素に戻った。
レンズバリアはついていて、そしてマクロモードがついて近くが撮影できるようになった。過去のモデルはどれも、1メートルくらい離れないとピンぼけした。


さてこのカメラはというと、こんな「超小型化」がコンセプトの製品なのに、意外にもCCDセンサーが1/1.8型300万画素。
S2も1/1.8型200万画素だけど、S1、S20は1/2.7型。

センサーが変わるとレンズ仕様も変わってくるが、

  • S1 - 5.6mm (37mm) F2.5
  • S2 - 7.5mm (36mm) F3.2
  • S3 - 7.1mm (35mm) F4.2
  • S20 - 5.6mm (37mm) F3.5

と、いちいち異なる。
S1とS20は同じスペックに見えるが、開放F値が違う。おそらく、画素数が増えるとレンズの解像度も上げる必要があるから、絞り込んでるんだと思う。
それにくわえて、センサーサイズを大きくすると、より絞り込まないと被写界深度が浅くなる。パンフォーカスレンズの場合は、最短撮影距離が伸びる。
S3は一番条件が厳しい機種になるので、一番広角で一番暗いレンズになってしまった。

単焦点レンズは一般に写りが良いけれど、それは同じようなサイズのズームレンズと比べての話。
S3だとかなりの湾曲収差が見られるし、周辺光量も落ちている。おそらくピントがよく合ってるであろう2~3メートルくらいの距離でも、それほどシャープでもない。

とはいえ、おもちゃデジカメなんかとは次元が違うまともな写りだし、このサイズなんだからあまりうるさいこと言うのは野暮ってものだ。


カシオだけあって、動作は実にキビキビしている。
さっと出してぱっと撮ってすぐしまう、その用途に合わせて作りこまれてある。
電源ボタンもすぐ指がかかる場所だし、本体右半分はしっかり指がかりがある。オートフォーカスがない分、シャッターを押したらすぐ撮影される。動作はキビキビしている。

また、レンズがF4.2とかなり暗いこともあって暗所には弱い、はず。
だけど、ISOオートでもかなり遠慮なく増感するようで、ベースのISO80からすぐ160や320に上がる。
手元で見ると、ISO160で1/50秒というカットがあった。1/30秒を割るなら増感、くらいになってるのかな。
片手で撮影されやすいカメラだから、たとえざらざらした画質になっても積極的に増感するのは正しい考えに思う。


もっともカシオだけあって、どうにも頼りないオートホワイトバランスだし、そうでなくても鮮やかな赤い車がオレンジになったりすることはある。
このトミーカイラはオレンジじゃないはずなんだよな……。AWBであんまりにもあんまりだったから電球に替えて撮ってこれ。対象によってはもう赤が出ない。

全般的にも、かなり地味な発色の絵作りに見える。
嫌いじゃないけれどね。

絞りはいかなる時にもF4.2なので、変更できる形では入ってないっぽい。
また、太陽を入れてシャッターを切ったら見事に縦線のスミアが入った。
撮影時にカメラの中で「カチ」と動作音がするからメカシャッター入りかと思ってたけど、このスミアから見ると電子シャッターだけに見える。ちょっとわからない。


どうもこれを使い始めるにあたって、中古の純正電池は弱り切って使えず、他の機種と使い回しがきく電池でもなく、ROWAの互換バッテリーを買ってみたら15分で充電終了・10枚で撮影終了と外れを引くし、と、電池でずいぶん困った。
つぶしの利かない電池はちょっと困るとこがあるな。

(関係ないんだけど、IXY Digital L2なんてのも手に入れて同じように電池に困って、FitsのNB-3L互換電池を頼んだらなぜかNB-2L(PowerShot S40とかのでかい電池)が届いていて、しかも箱を開けるときにミスって破損したから返品言いづらくなって、という状態に。今年は電池運が悪いな)

結局JTTの互換電池を入れてみた。
うっかりフル充電してから一週間ぐらい入れっぱなしで放置したのを持ちだしちゃって、網干で取り出したら電池ゲージが3本中2本。
姫路に着いたらバッテリーゲージが1本になっていて、しかしそこから粘りを見せて最後まで耐えた。
メカ部が少ないから、それなりに電池持ちは良さそうではあるんだけど……

どうしても電池に困ったら、光学ファインダーがあるから液晶オフでも撮影はできる。
ただ、液晶オフでスイッチを入れると、5秒くらい液晶が点いている。多分撮影設定確認のためとかだろうけど、EXILIMのテンポだと5秒以内に撮影が終わっちゃったりするので、ちょっと戸惑う。
光学ファインダーもかなり視野率が低いし、また眼鏡越しだとアイポイントも低すぎる感じがあった。ちょっとこれは使いづらそう。


スペックからわかることだけど、撮像装置としては別に優れたものでもない。
しかし、さっと出してぱっと撮ってすぐ仕舞う、という流れの快適さは非常に高くて、やっぱりカシオのデジカメはデジタルガジェットとしてよくできてるな、と感心するばかり。