新居の雑草
ひとり暮らしのくせに猫の額ほどの庭付き一軒家を借りてるのだけど、庭に雑草防止シートをかけていても隙間から少し顔を出す。
しかし雑草といっても、セイタカアワダチソウとかじゃなくて、小さな花をつける草が生えてくる。
これは調べてみるとアカバナユウゲショウだった。
別に珍しいもんでもないようだが、あまり草花に関心なかったので。
ボケてるけど、背景に写ってる小さいのはヒメツルソバとのこと。
近所の家の前にはどこにも咲いてるのだけど、一応観賞用植物だけどタフで簡単に育つから雑草化しがちだそう。
これはよく見かけるオニタビラコか。
春の七草のホトケノザと間違って食べられることがあるそうで、別に食っても差し支えないとか。
ムラサキカタバミ。
根で増えるので駆除が困難らしいけど、わりときれいな花だし、葉が茂るから他の雑草が生えるのを抑える面もあるとか。
奥の方に見えてる枯れ草は、4月に雑草が出始めてるのを見て除草剤撒いてみたら効いてきて枯れてるやつ。なんか小さい白い花をつけるものだったが……
雑草にしてもわりとかわいらしいのが多くて、繁茂具合では咲かせておくのもいいかなあ、という気がしてるが、まあこれから夏にえらいことになる可能性もあるのでしばし様子見。
高田の良かった飲食店
お金もないのであまり外食せず家でたいてい食ってるけども、休日くらいは外食もするようにしている。友人が遊びにきたりして、飯食いに行くところも知らないとなると不便があるし。
しかし、近鉄南大阪線高田市駅が最寄りではあるんだけど、この駅前はどうも飲食店に欠ける。良し悪し以前にほとんどない。飲み屋はあるが。
ファスト風土ってやつで、下街道(国道24号-166号)沿いまで行けば色々チェーン店があるのだけど、しかし166号の駅近くのあたりにはやっぱり店がない。単車転がせば数分だけど歩くと結構遠い。
JR高田駅の商店街とは逆の東側、店が少し並んでいるところに、飛行船というランチも出す喫茶店。
ハンバーグランチを頼んでみると、値段は700円前後と安いから、まあ冷凍食品的なのが出てくるのかなと思ったら、ちゃんと店で作ったハンバーグ。出てくるのに少し時間がかかるあたり、注文受けてから焼いてる。
外見もこの通りの80年代っぽさ、中もやっぱり子供の頃入ったような雰囲気。いい。結構古くからやってる店らしいので、多分できた時の雰囲気そのままなのかな。
別に高級とか贅沢な味じゃないけれど、ちゃんと作ってちゃんと美味しい、しかも安い。
JR高田・近鉄大和高田駅近くのオークタウン大和高田にある、KAZOKU亭というとんかつ中心の定食屋というくらいの店もいいな。
ここもとんかつで1000円、チキンカツとかなら800円くらいの値段で、気張らない。
メインのカツはもちろんちゃんとしてるし、カツのソースが別皿でタルタルとトマトソースがついてたり、キャベツの他にも付け合せや小鉢が複数あったり、ごはんにはゆかりが掛かってたりと、いろんなところにちょっとずつ手をかけてくれてるのが嬉しい。
トマトソースがパスタ用のソースっぽかったりとかするけど、なんだか値段を上げないように、ひと手間かけて良いもの出そうとしてる感じ。嬉しい。
神社・寺院
大中春日神社
JR高田から真っ直ぐ西に、橋の手前で左手に川沿いにいくとすぐ。
ここには「弁慶の七ツ石」と、義経逃避行伝説がある。
壇ノ浦戦後、義経は頼朝に疎まれて居場所をなくして、四国から九州へと逃れようとする。
しかし尼崎から出た船が嵐に流れて大阪住吉に流れ着き、改めて吉野へ逃れようとする途中、静御前の実家があった高田に立ち寄った。
前途の安全を確認するべく斥候を出して、その帰りを待つ間に義経・静御前・弁慶ほか一行が腰掛けて待ったという石が七つ、それがこれだと。
笛吹若宮神社
なぜそうなってるのか詳しい経緯は知らないのだけど、笛吹若宮神社という名前の神社が、近鉄御所線忍海駅からちょっと行ったあたりに3ヶ所ある。
ここは駅から北西のほうにあるやつ。
笛吹連の祖神社になるのかな。詳しくは有名神社サイトの「神奈備」へ。
それなりに観光客も来るのか、神社の隣の民家にいた奥さんが近くにある他の神社のことなど教えてくれた。
(でも説明された場所に行ったつもりが発見できず、後日地図で場所を確認したので今度いくつもり)
柿本神社
近鉄御所線忍海駅すぐそば。
柿本人麻呂を祀る。人麻呂が持統天皇から賜った領地がこの忍海あたりで、住んでいたこともあるとか。
人麻呂は707年に石見国で亡くなるのだけど、領地だったここに改装して神社を建てたのが始まりとか。それが西暦770年。
同じ敷地に、柿本山影現寺という柿本神社の神宮寺がある。
空海の直弟子で、人麻呂のいとこともいわれる真済上人が858年に開いた。
山田寺跡
641年着工の、仏教伝来直後の古寺跡地。
これ以上古くなる余地がほとんどないような古寺なのだけど、回廊の一部が形を残して発掘されるという驚異的な発見があって、保存処理の上で近くの飛鳥資料館に展示されている。(後述)
建てたのは蘇我倉山田石川麻呂という人物で、蘇我馬子を祖父にして蝦夷の兄弟の子になる。でも蘇我氏本家と仲悪かったらしく、大化の改新では中大兄皇子に協力した。
のだけど、弟に讒言されたせいで軍を向けられ、抵抗せずに自害してしまった。
自害の時点でまだ山田寺は完成していなかった(金堂はできていて住職も入ってはいた)ため、しばらく造営が止まった。
しかし持統天皇が石川麻呂の孫にあたるせいか、造営が再開されて600年代末くらいには完成していた。
平安時代には華やかだったらしいけど、鎌倉時代には衰退、その後ずっと続いたけど明治の廃仏毀釈でとどめを刺された。
一応明治に再興されはしたが、今は観音堂と庫裏が残るだけ。住職もいない。
飛鳥坐神社
いつの神社かわからんほど古い、事代主命を祀る神社。
元々は高市の神奈備山にあって、829年に信託によって飛鳥に遷座してきた。
事代主命から七代目の子孫が初代神主。崇神天皇から大神臣飛鳥直(おおかみのあそんあすかのあたい)」という氏姓を賜って、今に至っても87代目の宮司が守っているそう。途方も無いな……
81代目の宮司・飛鳥助信の六男の孫が、国文学者の折口信夫だそう。へー。
飛鳥寺
蘇我馬子が仏教伝来とともに開いた、日本最古級寺院にして蘇我氏の氏寺。
この寺から、平城遷都といっしょに元興寺として奈良に移ったが、元の場所に残されたのがこの飛鳥寺。
このお堂の中には釈迦如来の大仏がいる。
大仏といっても天を衝くようなものではなくて、高さ3メートル足らずの坐像。
何でも609年に作ったときは、戸より大きくて中にどうやっていれるか苦心したとか。間抜けエピソード。
1400年の間に、寺に落雷して炎上したこともあって、修理に修理を重ねられている。でも、ごく一部とはいえ609年に作った当時のものが残ってるとか。奈良は底知れないな……
博物館など
葛城市歴史博物館
近鉄御所線忍海駅すぐそば。
葛城市はなにしろ二上山を擁するので、いきなり地質学のような展示がくる。
葛城市はその名の通り、蘇我氏や物部氏と並んで有力豪族だった葛城市の本拠でもあり、近くの山が古墳群になっていたりもするとか。
同じ建物が市民のレクレーションにも使われていて、行った日はカラオケ大会のようだった。
奈良文化財研究所 飛鳥資料館
飛鳥地方だけあって、伝来した直後の初期仏教や、古墳関係などの展示。
旧い土器やら廃寺の瓦とかそういうもんはもう、よくわからんけど日本中で展示されてるって感じで退屈なのだけど、ここの展示品は、なんだか変なものがあって面白い。
飛鳥には、仏像とも違う石人像とか、装飾的な噴水の石とか、なんか変わった感じのものがよくあるみたい。
重要文化財クラスが写真撮影可(フラッシュ不可)で展示されてたりもする。ここは常設展は撮影できる。
近くに山田寺という、仏教伝来直後に開かれた古寺跡があるのだけど、そこで回廊の一部がかなり形を残した状態で発掘されて、日本最古級の仏教建築資料として保存処理の上で展示されている。
641年に建て始めたらしいので、実に大化の改新より前のものが形を残して出てくるとは、奈良は底知れないな……
天皇陵
飯豊天皇埴口丘陵
飯豊天皇は、22代清寧天皇と、23代顕宗天皇の間、一年足らずの短い期間だけ女性天皇として政治を執ったと日本書紀にある。
なぜ歴代天皇に加えられていないかはわからない。日本書紀では、崩御とか陵とか、天皇に対して使う言葉を使っているそう。
なにしろ旧い時代のことなので諸説飛び交っていて、女帝だったのか、清寧・顕宗天皇の摂政として力を持っていたのか、そもそも清寧天皇も顕宗天皇も実在しないなんて説もあったりして、色々謎の多いところみたい。
孝元天皇劔池嶋上陵
8代孝元天皇の陵。
いわゆる欠史八代に入る、おそらく実在しないだろうという天皇。特に何をやった天皇とも知られていない。
この陵は景色が美しい。なんだか小綺麗。
池に岬のように突き出した丘に入っていく参道、という作りが、なんだか特別な場所に入っていく趣がある。
天武・持統天皇檜隈大内陵
40代天武天皇と41代持統天皇が夫婦で合葬。
持統天皇は初めて火葬された天皇でもあって、それが古墳時代が終わっていく大きなきっかけにもなったとかで。
どちらも有名天皇だからエピソードはぐぐればなんぼでも出てくる。
鎌倉時代に盗掘に遭ったので、暴かれてしまった有り様を「阿不幾乃山陵記」という記録に残した。
天武天皇は棺から引っ張りだされて副葬品を奪われたから遺骨と髪が散らばり、持統天皇の遺灰はその辺に捨てられて銀の骨壷だけ持って行かれた、と、盗掘とはぞっとするようなことするものだ。
文武天皇檜隈安古陵岡上陵
持統天皇の次代、42代文武天皇。
次代といっても子じゃなく孫で、早くに父の草壁皇子が亡くなってしまったため、わずか15歳という若さで即位している。
高松塚古墳のすぐ東にあって、道路と参道の通り方からして小さい古墳なのがよくわかる。遥拝所に来てみたら「え、こっち向き?」って。
高松塚古墳のすぐ北にある中尾山古墳のほうが本当の文武天皇陵じゃないかという話もあるが、別にそちらが大きいわけでもなさそうだ。
(高松塚古墳・中尾山古墳のある飛鳥歴史公園は、ちょうど遠足が多い日だったようで子どもと観光バスだらけでバイクを止められず、立ち寄れなかった)
欽明天皇檜隈坂合陵
29代欽明天皇の陵。仏教が伝来した時の天皇ね。
父はあのややこしい継体天皇。
27代安閑天皇・28代宣化天皇は異母兄。
継体天皇は傍系が突然帰ってきたような即位の仕方だったもんで、元々の妻との間に子供もいたのに仁賢天皇の娘を娶って権力基盤を確保したのだけど、その仁賢天皇の娘との間に生まれた嫡子が欽明天皇。
さらには、日本書紀にある欽明天皇の即位年がはっきりしていないせいで、どうもややこしいことになっている。
継体→安閑→宣化→欽明と順番に即位したんじゃなくて、継体→欽明という順だったけどモメて安閑→宣化系を擁立した勢力が出て一時は二帝併立状態だったとか、そういう説も立っている。
道に沿って小高い丘にむけて階段が上がっていく……と割とよくある参道かと思いきや、丘の峠を越えて下り階段に変わり、それを下りた先に遥拝所があるという予想外の造り。
遥拝所を見下ろすような形で通ってる参道なんて、他になかったと思うけど……。
前方後円墳の前方部のすぐ先に丘がある、という地形がそもそも不思議な気が。なんだろうこれ。
その他小ネタ
近鉄御所線の低すぎるアンダーパス
こんなところをオフロードバイクに乗って通りかかってしまい、タンクに伏せて通過する羽目に。
確か大和新庄駅のすぐ北。
光陽中学校の案内板
どっちや。