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2011年11月12日土曜日

西宮戎神社・神呪寺 w/ EasyShare CX7300

ぼちぼちと近畿圏の鉄道乗りつぶしを進めている一環で、阪急甲陽線に乗ってしまおうということにして、西宮の北部山岳地帯へ。

今日は、日本ではちょっと珍しいであろう、Kodak EasyShare CX7300を持ちだした。
アメリカで2004年の春あたりに発売されたカメラで、おそらく日本での販売はなかった。その頃のKodakは、日本市場からは手を引いていた。
また、当時の日本のデジカメは、最低ラインのモデルでも、300 or 400万画素3倍ズームに、スーパーマクロとか多点測距AFとかシーンモードとかのプラスαがついてる、というくらいになっていた。
そこに、300万画素とはいえレンズは換算37mmF4.5の単焦点、AFもないパンフォーカス機、いわばデジタル写ルンです的な低機能カメラを持ってきても、ちょっと競争力は出せなかっただろう。



まずは、阪神電車で西宮駅まで。
駅近くの西宮戎神社に寄ってみる。福男争奪の大人気ないダッシュが有名なあそこ。


全国の戎神社の総本社。
創建年代は不詳だけれども、和田岬の沖に現れたえびす様を漁師が見つけ、鳴尾に祭っていたところ、「西の方に宮地がある」と信託を受けてここに写ったのが始まり、とのこと。
つまりそれが西宮という地名の由来ともいう。


門の両脇に続く土塀、これが国指定重要文化財の大練塀。
戦争で傷んだのを修理するときに宋銭・明銭が出てきたので、室町時代初期に作られたものだろうとされている。
三十三間堂の太閤塀、熱田神宮の信長塀とともに三大塀のひとつとのこと。三大というのはいろいろあるな。
しかし、ここで写しているあたりは震災に遭って、平成8年に再築したもの。古来の版築工法をとって造ったそう。


門のすぐ外に末社・梅宮神社。
酒の神様というのでありがたく拝しつつ、これは境内末社か境外末社かどっちになるんだろう?

七五三シーズンだから、境内が車だらけ。
さすが日本人、神道への信仰厚く、古来の行事をおろそかにしない。あれは実は徳川家が江戸時代になって始めた、元々関東ローカルの行事だそうだけど。


境内摂社の南宮神社。祭神は豊玉姫神、市杵島姫神、大山咋神、葉山姫神。葉山姫神ってあまり聞かないけど、土地に根付いた神様かな。
西宮の北の方に廣田神社という名神大社があって、その南宮として古くからある。
今は南宮神社が西宮戎の摂社だけれど、もともと西宮戎は南宮神社から派生したものだとか、南宮のあったあたりに戎神社が移ってきたとか、そう読めるような話が散見される。古いのは南宮神社の方で、恵比寿信仰が強くなったから戎神社のほうが本宮になっていった感じ。


で、この児社というのは、看板には西宮戎のではなく南宮神社の末社とある。孫末社とでもいえばいいのか。

南宮から戎神社へと向かう参道は、道の脇に屋台が並び、着飾った親子連れがたくさん。
私も七五三にいったことは覚えているものの、どこの神社に行ったんだったか。

なんというか、さすが戎神社だけあって結構儲かっているようで、いろいろ建物が新しい。
茶屋まで開かれていたが、あれは七五三に合わせただけであろうか。建物が現代建築だったが。


ふと右を見ると、何か変わった雰囲気の摂社がある。
庭津火神社という、奥津彦神・比女神(かまどの神様)を祀る。
この門とも壁とも建物ともつかない構造物の向こうに、塚の形の盛土があって、それをご神体としている。


でもって、西宮神社。
ちょっとだけ見えてるこの本殿が、三連春日造りという日本唯一の形。
なんともまあ、儲かってまんなー、という拝殿。
福の神・商売繁盛の神たる恵比寿さんの場合は、儲かってることを誇示する方がご利益ありそうで、ご利益がありそうだと賽銭・寄進が集まり、寄進が集まるとさらに豪壮な社殿でますます繁盛を誇示できる、と、現代資本主義社会下で恵比寿さんは果てしなく最強になる。


裏手に摂社がいくつか。大きい方が火産霊神社、小さい方(右写真がアップ)が百太夫神社。
火産霊神社は愛宕の神様を祭り、江戸時代にはあったと絵に描かれていた。
百太夫神社は、全国を巡る傀儡子に信仰されていた民間信仰の神様で、彼らが恵比寿信仰を全国に伝えていった縁があるとのこと。


さらに大国主西神社
延喜式に大国主西神社があったと記録されているんだけど、今でいうどの神社かわからない。昔からこのあたりには多数の神社があって、でも大国主西神社というのはなかったらしい。
どれがどれやら、と迷ううち、明治になって近代社格をつけるぞ、となったときに、「西宮戎が大国主西神社だろう。大国主=恵比寿といわれるし」ということで、今の西宮神社を大国主西神社に改名して県社に列した。
が、「大国主西神社の末社に大己貴社があるけど、大国主=大己貴なんだから、そっちがホントの大国主西神社じゃないか?」とツッコミが入り、すぐさま改名、大国主西神社を西宮神社に、大己貴社を大国主西神社にして、どちらも県社に列した。
しかもその大己貴社(現・大国主西神社)が江戸時代くらいにできたものらしく、式内社ではないとわかってしまい、今のところ「どれが式内・大国主西神社かわかったら名前を譲る」ということになってるそう。


ちょっと離れて、稲荷大明神。


さらに松尾神社。
寛政三年にここらの酒蔵のひとたちが建てた、酒の神様として大山咋神、海上安全の神様として住吉三前大神、道案内の神様として猿田彦を祀っている。

このへんで西宮神社を出て、ぷらぷら歩いて阪急夙川駅へ向かう。


途中で、傀儡師故跡なるものがあった。
昔からこのあたりに人形回しの傀儡師が住んでいて、西宮神社の雑役をやりつつ、恵比寿さんのお札を持って全国を巡り信仰を広めていった。
一時は「えびすかき」といわれて大人気になって天覧を受けるほどになり、人形浄瑠璃のもとになったりもしたのだけど、江戸時代が終わると共になぜかここから傀儡師がいなくなった。
西宮神社境内末社の百太夫神社は、そんな傀儡師が祀っていたものを移したもの。

JRさくら夙川駅を越え、阪急夙川駅に到達。
なんというか立体的な駅前。アップダウンがすごい。


ここから甲陽線に乗り込む。
駅2つ行ってすぐ終点の甲陽園駅。

甲陽園駅から、まず北山緑化植物園がある北山公園に行こうとする。
で、北山公園に向かう道は、西宮北高校に向かう道と同じルートであった。
つまりは、「涼宮ハルヒの憂鬱」で見た通りの通学コースをたどっていけばよかったのだが、何しろ私はちゃんと記憶していなかった。
結果、山の手らしい入り組みまくった道でかなりコースロスしながら歩くことに。

高級住宅地だし、道々の写真撮ったりは控えていったのだけど、「あ、ここは」と思うようなスポットは……歩いてる間にはさっぱり思い出せず、今になって舞台探訪に行った人の写真を見て「あ、そこは通った」と思ってる次第。
しかし西宮北高校、この急坂を駅から2キロも歩かないと到達できないぞ。私は今でこそまず健脚な方になってきたけれど、高校時代の体力じゃとても毎日なんて歩いてられん。


県道82号を歩いて行くと、妙龍寺という寺の看板がある小道を見つけた。
北山自然林のハイキングコース図もあり、ここがそうだな、と山に入っていく。


川沿いにちょっといくと、すぐ砂防ダム。
ダムの向かって左手あたりに道が上がっていき、そこに「グリーンベルト整備事業」の解説看板があった。
六甲山地の南側は、明治あたりにはかなり荒れて山肌が見えるほどハゲたりもしていたそう。当然土砂災害も多かったので、須磨から宝塚にかけて、災害防止のための植林・整備が100年以上続けられているとのこと。


で、道を上がっていくのだが、ほんとに山道。
坂道もかなり遠慮なくきつく、階段状に整備してあるものの、背の高い私がエイヤと足を上げないと届かないくらい段が高く、急峻な道を上がる。
まあ、整備されてるということは通れる道だから、とどんどん進む。今歩いている地点が北山公園から外れていることにも気づかず。
途中で妙龍寺へ向かう分かれ道にきたが、「通り抜けできません」とある。途中で何度か見たルート案内板でも、何やら通れないらしい書き足しがある(傷んでてはっきり読み取れないが)。

体が大きいと上り坂はほんとにきついので、行き止まりにぶつかって一旦引き返して下りたら、再度登り始める気力が出ない気がしたので、妙龍寺はパス。


登っていくうちに、北山公園の東側に突破した。
砂防ダムのある川を遡っていった形。

とりあえずgoogleマップを見ながら、甲山森林公園の方へ向かうことに。
目神山町というまたえらく高級住宅地なところをどんどん歩く。
途中で住宅が途切れ、山の中らしくなったところで、道の脇の山の中から、定年後の趣味が登山という感じの老夫婦がいきなり出てきた。甲山八十八箇所巡り、というのがあるらしい。

一度えらく急な峠になったところを抜けると、お寺が見える。甲山大師・神呪寺だ。
向かっていくと、門前に茶屋が集まっている所があった。


これがまた、古いセブンアップやコカコーラの看板が残る。
なぜかカラスを鳥かごにいれて飼ってたようだが、ええんやろか。
すぐ近くには、「神呪寺まであと一丁」の碑も。


茶屋から見えている仁王門。1800年頃に建てられたそう。
歩いて登ってくると、「ついに到達だ」と思わせてくれていい気分。でも車で来ると車道はこの門の向こうを通ってる。


いよいよ寺へ入る。
鎌倉時代、淳和天皇の第四妃が空海の協力で開山した寺という。


本堂。隣は大師堂。
弘法大師と関わる寺だから、随所に「南無大師遍照金剛」と書かれている。
祖父母が孫の私をよく学文路大師に連れていってくれたもので、お寺で祈るというと「南無大師遍照金剛」だった。懐かしい。


こんな山奥でも参拝客は多く、子供が激しく鐘を突いていた。


西宮の街並みが遠望できる。結構登ったもんだ。


裏手に多宝塔。
多宝塔へ向かう道からずっといくと、甲山の頂上への登山道になっているようだ。


登山道入り口に、甲山稲荷大明神と白髭大明神のお社。

神呪寺を出ると、目の前を甲山大師道という二車線の道路がある。
これを降りていけばいいのだけど、ちょっと脇に遊歩道があるというのでそっちに。


で、こんなところを歩く。


降りていくうち、途中でお社を発見。なんだろう?
鳥居になんとか大神と書いてあるのだけど、手ぶれしちゃって読めない。


細道を行くと、やがて通り抜けて甲山大師道に合流した。
合流点には、「九想の滝への道しるべ」というのがあった。今きた道がその道らしい。
どうも滝らしいのは見た覚えがないのだけど、見落としたか、あるいはいくつもあった別の道沿いにあったか。

ここからは道なりに歩いて、甲陽園駅に戻った。
それにしてもよく歩いたもので、万歩計は2万歩オーバー。しかもアップダウンが激しい。
カロリー消費は、歩数と連続歩行時間などからの計算で1400kcalくらいと出ていた。アップダウン入れるともうちょっと多いだろうか。二食分だ……


EasyShare CX7300は、まあ、単焦点固定焦点の最廉売カメラではあるのだけど、そういうカメラは沈胴式レンズではないから起動・終了が早くて、スナップに使うには結構良かったりする。
フジのFinePix A202なんて、スナップに限れば同時期の他の大抵のデジカメより気持ち良く使える。あれはスイッチを大きめに作ってあって操作しやすいとか、地味な所が行き届いた名品。

しかしまあ、CX7300は、ちょっと起動が遅い。機械的に動く部分なんか無いから、単にコンピュータプログラムが起動するのが遅い。3秒はかかる感じ。
さらに、ストロボモードを覚えないから、スイッチ入れるたびにオートに戻る。
こういう鈍臭さは、スナップカメラにはちょっとよくない。

まあ、スイッチ入れたままにしてモニタだけオフにして持ち歩く、という運用でなんとかなるんだけど、今度は電池が減る。
モニタオフは、プレビューの処理を切ってしまうとかそういうんじゃなく、単にモニタのバックライトを切ってるだけっぽい。だから復帰が速いし、切ったまま撮影してもギクシャクした挙動になったりもしないのだけど、節電効果は低そう。

今回、そういう運用をしていたら、神呪寺で一度電池が切れた。
ただ、使った電池の充電が悪かった可能性もある。充電直後なのに、最初に入れたときはなぜか即バッテリー切れの表示が出たし、入れなおしたりしてるうちに動いたけど、早々と電池減少の表示が出ていた。
そして、神呪寺で交換した電池では、特にそういう変な挙動はなかった。


これはかなり露出をオーバー目にだすカメラだ、とは事前にわかってたので、多くのカットが-1.0の露出補正。
でも露出補正がメニューの中で、しかも電源を切ると忘れる。撮影モードじゃ十字キーの上下に何の機能もアサインされてないのに……。(ちなみにデジタルズームがなぜか上下じゃなく左右)
FinePix A202では、適当に露出が良さそうなところに向けてAEロックしてから撮影、って手があったけど、CX7300は半押しナシの押し切りシャッターボタン。
モニタのコントラストが高いというかダイナミックレンジが妙に狭くて、ちゃんと撮影できてるカットがカメラのモニタじゃ露出オーバーで真っ白にぶっ飛び、なんてことが多々あって、露出はもうPCで結果観ないとわからない感じ。

感度はオートのみで基準はISO100だけど、まあ天気が良かったお陰でブレ写真はあまり出なかった。
山奥のかなり暗い所で、ISO140に増感されて1/9.4秒というカットがあったけど、これはブレた。やっぱりあんまり積極的には増感しないようだ。
シャッタースピードは、1/2~1/2300秒らしい。とりあえず今回撮った中では1/1650が最速だった。
絞りなどは内蔵していないようで、F4.5の開放のカットしかなかった。

単焦点レンズで、明るさも欲張らずF4.5だから、パンフォーカスでもそんなに酷い画質でもない。
まあ、携帯電話っぽい感じのノイズリダクション強めの絵ではあるけれど。

もうちょっと動作が速くて、ストロボモードさえ覚えてくれれば、スナップならまずまず行けそうだったんだけど……