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2012年1月22日日曜日

泉佐野神社巡り /w Exilim Z40

今日は泉佐野に来てみた。
先週はりんくうタウンに行ったばかりだけれども。
泉佐野には関西空港にちなんだ面白いスポットがあったりもするので。

持ちだしたカメラはCASIO Exilim EX-Z40。
何の変哲もないようなカメラではあるが、以前新品で買って持ってたHi-Speed Exilim EX-FC150と同じバッテリーで動くので、ちょいと試してみた。




南海本線泉佐野駅から、北西の海側へと歩いてくると、アーケード商店街にくる。
山側の商店街のほうがもう少し商業地らしい雰囲気で、こちらは地元の人達の買い物用というところ。山側は割と新しく開発されて、海側は古来からの街なので。

金運長者の街、とかのぼりが出ていて、何やらまちおこしをやっているような素振りはあるのだけれども、あんまり集客に繋がってる気はしないな。
関空貧乏で夕張に匹敵するレベルで財政の悪いこの土地で、「金運長者」というのもウルトラな感があるが、江戸時代にこの地の豪商・飯野(めしの)家といったら、資産家番付表で西の大関(当時は横綱がないので最高位)に挙げられて、東の三井家と並べられていたほど。(参考)
現代まで続いていればまだ説得力もあろうが……


商店街の隣に、上善寺という寺がある。
永正九年、ちょうど1512年だから500年前、燈誉上人によって草創された。
かつては泉州の本山として末寺55箇所、寺領16000坪で12万石、後柏原天皇から菊の紋をくだされたほどの寺だった。
草創当時はもっと南のほうにあったが、泉州に海賊が横行しており、散々荒らされたりしたので、ここに移転してきた。


水かけ地蔵を拝んでおいた。
お地蔵さんに水をかけて撫で、その撫でた手で自分の同じところを撫でると、そこの病気が治るという。首から上に特によくきくらしい。


商店街を北にぬけて、出てすぐに春日神社がある。
泉佐野は古い町のわりに神社が少ないが、明治の末ごろに市内29の神社がごっそりここに合祀されたよう。
神域はそこそこ広いのだが、なんかほんと本殿がドンとあるだけで、小さな摂社末社が散らばっていたりしない。秀吉の紀州攻めで焼かれてから、いきなり明治末まで飛んで、再興と共に29社が合祀されたというのだから、合理化の流れが神社の造りにも出てる感じだろうか。
この拝殿も瓦葺きの権現造りとは、新しい感じ。明治の技術水準だと、クラシックな神社建築するより安くつくのかもしれん。


しかしこの赤手拭とは何だろう。見るからに最近建てたばかりだし、拝殿という感じでもないし。
ちなみに、これの向かって左に、何を祀っているとも書いていない、社もない、小さな塚に向かって鳥居が建てられて、何やら祀られている。なんだろう。


床を繰り抜いて囲いを付け、縁の下を賽銭箱として利用する合理化。こんなん初めて見るような……


春日神社から、いかにも古い道という微妙に曲がった道が続いているので、そのまま北上していく。



道の脇、町工場の隙間の2メーターもないような狭い道を覗くと、こんなお社がみっつ。
何を祀っているかもわからない。なんだろう。地蔵堂なのか神社なのか。左のは神社っぽいが、残りは地蔵堂だろうか。

さらに行って佐野川を渡ると、すぐにショッパーズモール泉佐野というショッピングセンターと、向かいに住吉神社がある。


ここも、広さは春日神社程度か。


こちらは境内末社があり、子守神社と牛神。
子守神社は見ての通りすごい造りで、牛神の社も近くで見るとコンクリートだから、最近整備されたのは明らか。
牛神って、春日神社にもご神木らしい大樹の下に「牛神」とだけ掘った岩があったが、なにかここらでは牛が愛されているのだろうか。


三菱から寄進があったという碑が、まるで別格扱いのように目立つところに建っていた。


ここから、井原里駅の横を通る広い府道を山の方に歩いて行く。
国道26号線を超えたあたりに、泉州航空神社という神社がある。
空の安全を祈る航空神社とか飛行神社というのは、他のところにもいくつかあるようなのだが、ここは1983年に関空開港にあわせて建立したという。多分私が行った神社では一番新しいだろう。
北野天満宮の宮司の家の次男が、独立して開いたというような話。


この鳥居……。


本殿はともかくとして、右にいるのが。


カイユース(の民間型のMD-500かそのへん)かな。なんで後ろ半分の外装外れてるのかわからんけれども。
これが御神体だとかちらっと聞いた気がするけど、勘違いかもしれない。


で、本殿の下の階は航空資料館となっている。(見たければ社務所に一声かけてくれとあったが、社務所に誰もいなかったので見れず)

その、なんだ……この神社は宮司の趣味ではないか……。空の安全にかこつけて好きなものに囲まれているんじゃないのか……。
しかし、神社はそれくらいおおらかなほうが面白い。


裏千家の茶室があったりもする。

というところで、この面白神社から出る。



井原里駅に戻りつつ、ちょいと南にそれると奈加美神社というのがある。
祭神は誉田別命(応神天皇)と息長帯姫命(神功皇后)など、ここも近在の神社をかなり合祀したようで、十八柱合祀されている。


お稲荷さんがかなり鳥居が多くて立派。


本殿は大阪府指定文化財らしいが、えらい綺麗にされている。

ここから井原里駅で電車に乗って帰路へ。


今日のExilim Z40は、まあこのカメラ自体にそれほど思い入れや、注目すべき特色が(今となっては)あるわけでもないけれど、Exilimというブランドには懐かしい気分はある。
Exilimは現行のブランドだけれども、今は単なるカメラのブランド名に過ぎないけれど、出た当初はごくコンセプチュアルな名前だった。

初代Exilimが発売されたとき、撮影機能は最低限(ただし当時あったトイデジカメなんかよりはマトモに)として、薄いカード型にパッケージして大きな液晶をつける、という、思い切ったコンセプトに感心したものだった。
ソニーが出した同じような携帯性重視の超小型デジカメ・Cybershot Uは、小さなスティック型だった。こっちはこっちでいいけれど、液晶がすごく小さい。
Exilimには、撮ってその場で見せ合う、ということを重視する考えがあったのだろう。

まあ、超小型デジカメという路線がカメラ付き携帯に駆逐され、しかも「カードサイズで大型液晶」というのは今では当たり前の存在になってしまったのだけれども。
(今となっては、もう存在しないスティック型のCybershot Uの方が人気はあるように思う)


で、初代Exilimは単焦点パンフォーカスレンズと、撮影機能は限界まで削ってあった。
そこに、極薄のまま3倍ズームレンズを搭載する、という狙いで、Exilim Zoom EX-Z3が出た。

ズームレンズは何枚ものレンズを組み合わせているから、電源を切って沈胴レンズを収納しても、どうしてもある程度厚みが残る。
そこで、収納時に一部のレンズを横に逃がして厚みを減らすというものをPENTAXが開発し、それを使って共同開発したのが、PENTAX Optio Sと、Exilim Zoom EX-Z3だった。
これは当時、びっくりするほど小さな代物だったから、どちらもかなり売れた。
(本当に小さかったのはOptio Sの方で、Exilim Zoomは大型液晶のコンセプトもあって一回り大きかった。けれど、当時は「あの小さいExilimがズームになった」的な受け入れられ方もしてた記憶)


しかし、バッテリーの容量はどうしても大きさに比例する。筐体の小さいモデルは苦しい。
そこで、ほぼ同じボディサイズ(厚み0.2mm増)で、バッテリーを大きくして2.5倍の稼働時間を実現したものが、今回持ちだしたEX-Z40、となる。


まあ、これを今になって使うと、「今となってはすべてが当たり前になっている」という感想になってしまう。

画質は当時としても並みの水準。
1/2.5型で400万画素CCDは、当時すでに「サイズの割に画素数が多すぎる」といわれていたもので、やはりノイズが多いのか、ノイズリダクションが効いた感じ。(今時の1400万画素CCDの廉価機ほどではないけれど)
レンズはそう悪い描写じゃないけれど、やっぱり大きなボディで良いレンズのものには敵わない。
同じくらいのサイズでも、オリンパスのμ-miniのほうがちょっと上かな。

AFは、もしかしたらこの個体に狂いがあるかもだけど、ちょっと前ピン気味に外しやすい感じ。
望遠を使うと、被写界深度が浅くなることもあって気になりやすい。レンズの望遠側の描写自体も、ちょっと甘いかも。
AEはまあまあ悪くない。空が入ると普通程度に釣られる。
ホワイトバランスは、薄曇りの天候もあってか、少し青くなることがあった。
全体的に発色は淡いか。私の好みだともうちょっと派手なのがいいかな。

Exilim Z3の頃からウリだったようだけど、動作が軽快。
起動も終了もキビキビしていて、記録待ちの時間もなく、テンポよく撮影していける。
撮影時の十字キー左右に好みの機能を割りつけられ、私なら露出補正を入れると使いごこちがいい。
またISO感度も、ISO200まではかなり積極的に、1/50くらいで増感していっているよう。
ウェアラブルな常時携帯カメラと謳うだけあって、使って引っかかるような遅さは全く感じない。


今使うと、普通としか言いようがないただのコンパクトデジカメではある。
撮影機能を犠牲にせずに小さくしたボディ、大きな液晶、長いバッテリーライフ、軽快な操作性と、2012年現在に当たり前になってしまっていることを、2004年にすべて実現してしまっていた、というのが立派なことであって。