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2012年2月5日日曜日

岸和田 w/ sora T10

NHKの連ドラでにわかに注目の集まる岸和田にいってみた。

持ちだしたカメラは、東芝 sora PDR-T10。
単焦点レンズでかわいらしいルックスで、現役当時から購入検討対象に入れていた(結局買ったのはKD-400Zだから、全然クラスが違うのだけど)。
だけど時代が下がると、不人気機種だからか縁がないのか、中古で転がってるのもなかなか見かけず、先日やっと初めて発見した次第。



南海本線で岸和田駅へ。


海側に出ると、すぐ商店街。
都心から30キロ離れた郊外だけど、意外に寂れず生きている。岸和田人はかなり地元に執着が強いイメージだから、あまり買い物=市内へという行動スタイルではないのかもしれない。
この商店街をずっと海の方まで行くと、大型ショッピングモール(岸和田カンカンベイサイドモール)ができているのだけど。そのせいか、商店街の食品スーパーらしいところは閉店していた。


タイムリーなネタということもあり、「カーネーション」にちなむ店舗がいくつか。


このコシノ洋裁店(コシノギャラリー)とNHKギャラリーは向かいあわせにある。
コシノギャラリーに入ってみると、コシノとどう関係があるのかわからないけど洋菓子やら、漬物やら黒豆やらを一階で売っている。
二階がギャラリーになっていて、コシノ家の人々の写真約150店を展示。


それから、当時の仕事部屋を再現したというコーナーも。

商店街を海の方へ歩いて行くと、途中でアーケードが切れ、もう少し行くと左手に寺の並ぶ筋がある。


西方寺は商店街に面しているので、そこを入っていくと寺町筋。
右手手前から西方寺・本昌寺・円教寺と並び、左手に本徳寺(右写真)。
本徳寺には明智光秀の肖像画がある。明智光秀自身が開山した寺じゃないかとか色々伝説があったりも。

海の方に出て、岸和田カンカンベイサイドモールへ。


ここで岸和田名物・だんじり停止線。


大阪臨海線を渡ると、神社がある。
関西空港を作っている時、橋のかかる泉佐野の南北10キロ以上で海岸線を埋め立てて陸地が伸ばしたのだが、このあたりもそういう場所。かつては旧岸和田港があった。
この浪切神社も、その時に遷座してきた。前どこにあったのかは知らないけれど。


だんじり祭の安全祈願をする神社だそうで、こんな碑があった。

本当かどうか全然裏付けがないのだが、昔聞いた話で、かつてのだんじり祭はルートも決めずに街中を各だんじりが走りまわり、他のだんじりと遭遇したら壮絶にぶつけ合う、文字通りの喧嘩祭りだったそうなのだけど、あまりに死者が多くなるから、今のようにコース決めて順に引いていくようになったとか。
その時代なら果たして、安全祈願などされたであろうか……


ついでにちょっと岸和田カンカンベイサイドモールに入ってみた。
総合スーパー+ファッションアウトレット+シネコンという施設だけあって、人気はなかなか。私がおもしろがるような店はなかったけれど。

昔ここにヴィレッジヴァンガードが入っていたはずだが、撤退していた。まあ、ヴィレヴァンを好むような街ではない気がする。


紀州街道まで戻って、南へ歩いて行く。
このクラシックな建物は、四十三銀行の跡。大正モダンの大大阪時代の遺物。しかしこの看板はもうちょっとどうにかならんものか。

紀州街道は、このあたりは一直線な道であまりに見通しが良すぎ、軍事上よくないということで、ここからもう少し南でクランクがある。
そこが90度-90度っていうタイトな曲げ方をしているから、だんじりが家屋にぶちあたる名所になっている。
しかし今通ったら、イン側の建物が45度に大きくカットされていて、だんじりの通行に配慮されていた。まだぶつかるんだろうか。


街道をいくと、きしわだ自然資料館。
ここと岸和田城・岸和田だんじり会館の3ヶ所セットの入場券が700円。ここだけだと400円。岸和田城は300円。だんじり会館は600円。

大阪が東洋のマンチェスターといわれていた頃、酒蔵から繊維業・レンガ製造と手を広げて財閥を成した寺田家というところがあるのだが、この建物は、寺田銀行の「面影を残す」と手元のパンフレットにある。建物そのまま使ったにしては新しいから、それっぽく建てたということだろうか。

中では、岸和田で採集された動植物や化石などで、自然環境の歴史や変化を学べるようになっている。
知らなかったが、キシワダワニという岸和田で初めて化石が発見された種類のワニがあるそうだ。


そして岸和田城。
これがいきなり本丸の門で、二の丸があったあたりは公園だが工事中でただいま閉鎖中。周囲は市役所やら岸和田高校やら料亭やらに囲まれている。

この地はもともと「岸」とだけいわれていたところ、楠木正成の一族・和田氏が1334年にここに城を築いたことから「岸の和田」で岸和田という地名に変わった。
それから城主があれこれ変わり、江戸に入って1640年に岡部宣勝が入ってから明治まで13代、岡部氏の治世が続く。
ちなみにこの岸和田城と、和田氏が築いた岸和田城は場所が違う。旧岸和田城は南海本線の東側に。

あんまり歴史上で目立つような城ではないが、三好長慶が畠山高政と奪い合いしてたり、中村一氏がいた頃、小牧長久手の戦いに乗じて紀州から攻めこんできた根来・雑賀3万の軍勢を8000で退け、そのまま翌年には紀州征伐という流れの中などで名前が出る。


で、岡部氏って何をしていたんだ、というところだが、なにせ岡部宣勝は1597年生まれだから、戦国シーンでは出番がない。一応大坂の陣では武功を立てたというけれど。
前任の岸和田藩主は重税を掛けて悪政を敷いていて、岡部宣勝が来るときにはもう一揆寸前の状態だったのだけど、着任すぐに話し合いと減税で藩政を立てなおした名君という。


天守はもちろん復元。
1827年に落雷で消失して、戦後の1954年に再建。
この庭は、重森三玲という庭園設計の第一人者によるもので、諸葛孔明の八卦の陣をモチーフにつくったもの。

中は岡部氏ゆかりの書画や武具甲冑、企画展として「岸和田モダンタイム 大正~昭和戦前期の諸相」として、大大阪時代の岸和田の様子などを展示していた。


城を出て、堀に沿って歩いていると、城の真裏にこんな場所が。


そして城の北東側に、岸城神社。
またありありと儲かってる神社の様子。だんじりがらみで奉納が多いのだろう。
境内に広い空き地があって、だんじり入れるスペースなのがよくわかる。


摂末社に、稲荷社と岸和田戎神社。またえらい豪壮な社殿だ……


ここから、岸和田駅の南隣の蛸地蔵駅へ。


南海電鉄おなじみのやたらと古い駅。大正14年竣工。
ステンドグラスのある、当時はモダンでハイカラな駅だったことだろう。




今日のsora PDR-T10は、バッテリーにRCR-V3をいれてみた。

以前、ちょっと近所の散歩に持ちだしたことがあるのだけど、普通のニッケル水素電池を入れると、バッテリーインジケーターが常に減少を示す。
もっとも、電池切れ直前という警告が出ていてさえも、実際には電源断されることなくそのまま撮影できていたのだが、どうも気持ちが悪い。
このカメラが出た頃、東芝がデジカメ向けに、単三形ニッケル電池「GigaEnergy」というのを出していた。電圧は1.5V。
また、CR-V3(3V)にも対応する。
だから、1.2Vがキープされるニッケル水素電池だと、電圧不足で終わりかけに見えるのかもしれない。
で、GigaEnergyはもう買えないし、CR-V3なんかsoraの購入価格より高いから馬鹿らしい。
そこにちょうど、rowaのRCR-V3が思ったより安くなっていた。

買ってみて入れてみると、ばっちりインジケーターがフルを指し続ける。
RCR-V3の中身は普通のリチウムイオンバッテリーだから、公称3.7V。しかし初期にそれでトラブルが出たらしく、最近のものは電圧制限回路が入っている、という。
実際、満充電して電圧をテスターで測ってみると、3.3Vしかなかった。

しかし、家でsoraにRCR-V3を入れて色々テストしてみると、シャッターを切った直後にいきなり電源が落ち、電池を抜いて入れなおすまで不動になる、という現象があった。
発生条件はいまいちわからないが、真っ暗な中でフラッシュを全開で焚いて撮った写真を、SDカードに書きこみながらストロボを再チャージしようとして落ちる、という感じがあった。

電圧制限回路の誤動作か、あるいはsoraとの相性による別のトラブルか、はっきりわからない。
オリンパスのCAMEDIA C-21でも同じような感じで止まることがあるから、電池側かもしれないな。


今日はフラッシュを使わずに撮影していたから、特にストールすることはなかった。
しかし、異常なほどレリーズタイムラグが長くなることがあり、シャッターボタンを押し切ってから1秒以上かかることがあった。普段はそこまで遅くなく、ごく普通の感覚でシャッターが切れる。
頻度も結構高くて、2割くらいはあっただろうか。
ニッケル水素電池で使ったときには起こらなかったから、これも電池のせいかもしれない。


で、カメラ自体のほうは。
沈胴式でない単焦点レンズだから、起動の早いスナップカメラと期待したのだけど、残念ながら遅い。3秒くらいかかるから、取り出してスイッチいれて、構えてもまだ起動画面が出てる。
で、AFがかなり遅い。1秒は待たせる。パンフォーカスモードがあればいいのに。
この小ささで単焦点なら、スピード感ある動作してほしかったな……。

センサーは1/2.7型200万画素・原色フィルター。
レンズは換算38mm F3.1。ちょっと歪曲してるけど、かなりシャープに解像感がある。
ノイズリダクションもかけてない感じで、暗所がざらつくけど素直なので悪くない。ISO400でも状況によっては良好なくらい。
ただホワイトバランスは人工光だと頼りないか。
今日は曇ってたけど、どっちかというと陽射しがあるより曇ってるほうが、色の出方がいいかも。明るいところの写真は、色が淡白になってる気が。
露出は素直で、さほど強くない中央重点測光って感じ。だから釣られるときには釣られるけれど、あいにく露出補正はメニューの中。

タッチパネル操作という時代を先取りした設計だけど、これがまたレトロなマトリックススイッチ。
4x4のスイッチがあって、左下3x3の部分が液晶モニタになっている。

ちょっと力入れて押さないと反応しない。まあ、誤動作しまくる今時のタッチパネルよりはいいかもしれないが。
全般的に、タッチの反応が遅いのか、あるいはタッチされてからの処理が遅いのか、メニューを出すにも設定を変えるにも、かなりのろくさい動作。

それより問題は、液晶モニタ部3x3の右1列が、ストロボモードやシーンモードのボタン表示になっていて、それが液晶ファインダーにかぶる。
画面1/3が隠れてるファインダーというのはいくらなんでもひどい。フレーミング失敗しろというてるようなもんで、これはカメラメーカーならやらないと思う。全部メニューに入れるほうがまだしもマシだろう。
消せるようにはなってはいるけど、バッテリーや撮影枚数も全部消えるし、電源切ると元に戻る。

この当時にしては珍しく光学ファインダーがないというのも、鼻があたってタッチパネルが反応するからじゃないかなあ。
液晶ファインダーも、かなり見えが悪い類。モニタに光が当たってるとさっぱり。光学ファインダーがないから逃げられない。
私はフレーミングさえできればいい、とかなり点が甘いほうだと思うけど、それでもちょっとこれは。


起動が1秒で、パンフォーカスがあって、光学ファインダーがあって、タッチパネルじゃなく普通のボタンだったらかなり良い感じのカメラになりそうだけど、色々惜しいな。
デジタル機器としてはともかく、写真機として詰めが甘い感じ。やっぱりカメラメーカーと家電メーカーは違うなあ、ってところ。

デザイン先行のカメラであるのは確かだけど、しかしその狙いは悪くはなかったとも思う。
メカの無骨さをこれだけ消してるデザインは当時なかった。
同時期のカメラが、COOLPIX 2500とかPowerShot A30とかOptio 230とかCAMEDIA C-2Zとかそのへん。ルックスで勝負できるのはIXY Digital 200aとDiMAGE Xくらいだと思うけど、方向性が違う。
フロントパネル交換して着せ替えというのも、PENTAXが2010年にやって当てたアイディアだし。(交換方法は、PENTAX Optio RS1000よりよほどsoraのほうがスマート)