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2015年7月4日土曜日

私史・20世紀末の私とPC-98

 どうせこの記事を公開する頃には流行は過ぎてると思うのだけど、Twitterで「#インターネット老人会」というタグが流行っていた。
 元々そういうイベントがあったらしいけど、Twitterに広まってからは、PC昔話あるあるタグになっちゃってるようだ。
 見てると、インターネットどころか80年代まで遡るような話してるガチ老人もちらほら……

 これはちょっと便乗するべきか。
 インターネット……より、もうちょっと古いPCハード、PC-98ネタで。

 例によって、私が喋りたいことを書き散らすので、読みやすさとかあまり配慮されないし、長いのでご了承を。
 割と間違いもあると思いますが、私がそう思うならそうなんだろう、私の中ではな。

 他の昔話は、2000年前後のPCゲームブームに関して、前の記事があるのでそちらで。
 それから、唐突に「GALAXIAN3」について書いた記事もあるよ。



●NEC PC-9801シリーズ

 大体80年代後半から97年くらいまでにかけて、日本で「パソコン」といったら、大体NECのPC-9801/9821が出てきた。
 富士通FM-TOWNSとSHARP X68000を併せて3大国産パソコンとかいってたんだけど、シェアでいくと確か8割かそれ以上がPC-98だったんだっけ。
 それからEPSONは、PC-98互換機をリリースしていた。

 私は、1985年モデルのPC-9801VM2、90年モデルのPC-9801DX2、95年モデルのPC-9821Xa7/C4と、大体5年おきに親が買い替えていたのを使っていた。(どれも型落ちで安くなってから買ったりで、時期は後ろにずれるけど)

 ただまあ、「PC-98を使っていた」ということは、極めてコモンな出来事なもんで、それ自体にスペシャルな記憶はないのよね。みんなそうだったから。
 私はもう、ほぼPC-98時代が終了した2000年まで、PC-9821Xa7/C4を強化して使い続けていたから、その頃はむしろ「98を使うこと自体が面白い」状態だったけれど。


●NEC V30

私が初めて触ったパソコン・PC-9801VM2に搭載されていたCPUは、NEC V30-10MHzだった。
 V30というのは、Intelのi8086の高速互換品としてNECが開発したCPUで、85年頃のNEC PC-9801シリーズの主力CPUとして、またその後の機種でも後方互換性維持のためにサブCPUとして広く使われた。

 V30は、Intel 8086とピン互換になっていて、8086を載せたPCにそのまま入れ替えて差し込めば動いて、高速化できたとか。まあ私はやったことないけど。
 80年代くらいは日本の半導体産業がかなりすごかったので、NECがIntelの上位互換品を自社開発とか、今では考えられないようなことがあったのね。Intelが今ほどモンスター企業ではなかったのもあるけど。


 「互換性のためのサブCPU」とは何か、というと。
 今は、WindowsなりAndroidなりのOSが提供する機能にしたがってプログラムを書くから、そのOSが走るPCならハードの互換性は基本的に気にしなくていい。OSが動いているならハードも互換しているはず。
 だけど、80年代のプログラミングは、CPUをダイレクトに叩いたりメモリを直接書き換えたりとかするから、ハードが変わると動かない場合がよくあった。
 一番単純な話としては、アクションゲームなんかで、CPUが高速化されたらゲーム自体の動作が速くなって遊べない、なんてことがあってね。
 そういうわけで、互換性のためにCPUをもうひとつ載せる、初期ロットのPS3みたいなことをやっていた。


●PC-9801VM2とVX2

PC-9801VM2は、当時としては結構人気のあった機種だった。
 VM2と、次のPC-9801VX2あたりが人気で、個人で買う人も多かったし、私が通っていた小学校の職員室にもあった。

 しかしこの2モデル、どちらを選ぶかでその後のPCライフに大きな差がついた。
 発売は85年と86年というたった一年差のVM2とVX2の間に、機能上の分水嶺があったの。

 性能はただ上がっていくだけのものだから、足りなくても動作が遅いことさえ我慢すればいいだけのこと。
 しかし機能は、ないならそれはできない。イメージスキャナーのないパソコンで、紙原稿のスキャンはできない。
 機能の追加をする手段がないなら、その機能を求められてもどうしようもなくなる。


 で、VX2にあってVM2にない機能があった。

 VM2のCPUはV30だから、機能的には8086世代。
 VX2のCPUは80286だから、機能的にかなり拡張されている。
 例えば、CPUが直接取り扱えるメモリー量が、8086やV30だと1MBだけだったのが、80286だと16MBに広がっている。
 とはいってもまあ、そういった80286の拡張機能はあまり利用されず、大して問題にはなりにくいけれど。MS-DOS Ver.5.0以降を使う場合に、コンベンショナルメモリーの確保をやりやすくなる程度か。

 しかし、CPU業界のその後の展開が、V30と80286に将来性の差をつけてしまった。

 当時、PC本体が何十万円もする高価なもので、簡単に買い換えられるものではなかったことから、「CPUだけ新しいものにして強化する」という需要が大きかった。
 そのためCPUメーカーも、80386とピン互換で、でも中身は80486、というようなCPUを作った。
 IBMがIntelにライセンスを受けて作っていた、IBM486DLCとか。
 さらに、ソケット変換ゲタやドライバーソフトウェアなどを組み合わせることで、IBM486DLCのようなCPUを80286搭載PCに載せる、CPUアクセラレーターという商品が現れた。

 そんなわけで、80286搭載PCであれば、486世代のCPUにまで拡張できた。
 PC-9801VX2なら、そんなCPUアクセラレーターが対応した。
 こういうのを使えば、Windows 3.1などの、80386や486がないと動作しないようなアプリケーションも動作させられたそうだ。

 ところがVM2だと、さすがに基本設計が古すぎるせいか、そこまで世代を飛び越えるアクセラレーターはなかった。



 また、VX2ではグラフィック機能の強化が行われていた。

 もともとのPC-9801は、メモリーの一部がグラフィック表示用に予約されていて、CPUに命令してそのメモリーに直接値を書き込んだらその内容がグラフィックとして表示される、という素朴なグラフィック機能だった。
 最初は、640x400の解像度に、1ピクセルあたり3bitの色を表示できた。各bitが赤・青・緑に割り当てられていて、黒・赤・青・緑・紫・水色・黄色・白の8色を表示できた。

 それが、VM2になって拡張され、1ピクセルあたり4ビットの16色になった。
 かつ、各色に対してRGBそれぞれ16段階の強さを指定できるようになり、4096色中16色を選んで同時に表示させることができるようになった。
 これだけでも画期的な拡張で、この「4096色中16色表示」を要求するから、PC-9801VM2以降でなければ動作しない、というアプリケーションは、ゲームを中心に数多くあった。

(ただ実際は、VM2は標準では1ピクセル3bitのままで、4bitにするにはVRAM拡張カードを追加する必要があった。うちのは追加されてなかったので、ゲームなんかではしばしば動かないとか色化けするとかトラブルが……)

 しかしPC-9801VX2では、さらに「EGC」というグラフィックアクセラレーターがついた。
 直接メモリーに値を書き込むだけじゃなくて、EGCを利用することでより高速なグラフィック処理ができた。
 ゲームなどではEGCを利用しているケースも多く、PC-9801VX2以降を動作条件とするゲームが出た。

 EGCはその後のPC-9801シリーズには搭載されていて、それ以上の拡張は長らく行われなかった。PC-9821シリーズが始まってやっと次の拡張がある。
 また、VM2以前の機種にEGCを追加する拡張ボードなんてものは出なかった。
 EGCを使うゲームは、VM2ではどうやっても動かせなかった。


 そんなわけで、もし親父が買ったのがPC-9801VM2ではなくVX2だったら、次にPC-9801DX2に買い換える必要はなかっただろう。
 でもそんなこと、買った時点でわかるべくもなかっただろうな。
 親父、VM2は新品で買ってるんだ。ボーナス勝手に使い込んで、軽自動車変えるような金額をキャッシュでぶっこんでパソコンにしちゃって。壮絶な夫婦ゲンカが起こったぞ。



●V30と16MBのメモリーボード

うちでは、父親がなぜか入手してきた、16MBという当時としては目玉が飛び出るような異様な大容量メモリーボードを増設してあった。バブル怖いな。なんぼするものだよ。

 この頃のメモリーは、SIMMとかDIMMのような専用スロットじゃなくて、Cバスと呼ばれる汎用拡張スロットに差し込んだ。
 PC/AT互換機だったら、ISAバスにメモリーを増設してるような感じか。
 当時としては普通のこと。

 しかし16MBは本当におかしな大容量で、今の感覚で16GBメモリー積んでる、というよりもっと異様だと思う。
 だって、ストレージが1.2MBの2HDフロッピーディスクなのに、メモリーが10倍以上ある。その論でいけば、2TBのHDD積んでるPCに24TBのメモリーがあるみたいな。


 そんな大量のメモリーどうするんだ、というと。
 元々V30は1MBまでしかメモリーを扱えないし、OSのMS-DOSだってやっぱり1MBしか扱えない。今みたいに、増設したら増設しただけ勝手にOSが利用してくれる、なんて便利なもんじゃない。
 よって、メモリーボードメーカーのドライバーによって、メモリーを利用する。

 メモリーボードはメルコのEMJ-16Mというもので、ドライバーソフトもついてきた。
 それで利用できるのは、ディスクキャッシュ、RAMディスク、プリンターバッファー。他にもあったかもだけど忘れた。

 1.2MBのフロッピードライブ2台なので、2.4MB以上ディスクキャッシュがあっても仕方ない。
 プリンターバッファーといっても、バッファリングする元データがフロッピー1枚より大きいはずもない。
 となると、10MB以上の巨大RAMディスクをつくるしかない。


 フロッピーディスクは、1.2MBをひと通り読み込むまでに1分くらいはかかったと記憶しているので、まあ、当時としても快適なものではなかった。
 ゲームソフト起動すると、コツコツコツコツと音を立てて読み込む。何十秒も待たされる。

 なので、私が常用してたシステムフロッピーは、起動したらまず10MBのRAMディスクを作り、常用するアプリケーションをRAMディスクにコピーする。
 最初のコピーの待ち時間はかかるけど、以後はディスクアクセス速度を全く意識しなくていい快適な環境が。
 まあ、リセットしたら泡と消えるドライブだから、うっかり作成したデータをフロッピーに書き戻せずにハングアップしたりすると、もう全部パァだけど。

 まー、持て余してたなあ。使いようがないよ。
 普通メモリーは足りなくて困るものだったのに、うちじゃ余りすぎてどうにもならないっていう……


●PC-9801DX2

で、PC-9801VM2もいい加減古くなった93年ごろ。

 当時の最新モデルは、テレビCMもバンバン打っていた人気モデルの、「98メイト」ことPC-9821Apだった。
 CPUはIntel 486DX2-66MHz、グラフィックも640x480 256色表示に拡張され、Windowsへの対応を見据えた高級機だった。

 とはいえ、そんな高価なもの買えないので、2世代前のモデルの一番下のグレード、PC-9801DX2を中古で買ってきた。親が。

 PC-9801DX2は、80286 12MHzを搭載している。
 先述の通り、80286モデルだったら、CPUアクセラレーターで486くらいまで強化できる。
 最新モデルには敵わないまでも、そこそこのとこまでいける。


 買ってきてすぐにIBM486DLC3に換装されて、標準搭載の80286はポイされたわけだけど、この80286、見ればIntel製じゃなくてAMD製だった。
 後に独自の設計でIntel互換CPUを作っていくAMDだけど、当時はIntelからライセンスを受けて80286と同じものを生産したりしてたのね。


 親父が前に買ったVM2は、いわばハズレクジみたいな機種だったけど、DX2は当時のプアマンズチョイスとしてはなかなかベターだったように思う。
 性能は、CPUアクセラレーターで割安に補えた。

 また、DX2という機種は、PC-9801シリーズで搭載されていた機能を、すべて網羅したような機種だった。
 HDDの内蔵もできた(40MB)。
 FM音源を搭載して、ゲームでちゃんと音楽が流れる機種でもあった。音源は省略されている機種が多くて、最新モデルであっても、廉価機の「98フェロー」ことPC-9801BXには搭載されていなかった。
 Windowsの時代に乗れる機種じゃなかったけど、MS-DOSに割り切るならば、特に快適に使える機種のひとつだった。

 まー、主にゲーム機として優秀だった、って感はあるけれど。


●PC-9821Xa7/C4と延命

これは確か96年にうちに来たんだったか。
 95年の前半、Windows 95発売のほんとに直前にリリースされた、MS-DOS 6.2 + Windows 3.1搭載PCだった。
 OSの変わり目直前の機種って、安く買えるからね。
 それに元々、性能はPentium世代、機能は削れるだけ削って、値段はお安く、というようなモデルだったから、購入価格は10万円しなかった。
 機能が削られているのは、これまで使ってきた拡張ボードを使えば補えるから、以前からの98ユーザーには手頃な機種だった。

 97年あたりのインターネット黎明期には、このPC-9821Xa7に外付けの28800bpsモデムをつなぎ、Windows 3.1にTrumpet Winsockという接続ソフトウェアを入れて接続した。
 これが私とインターネットの初めての邂逅だったな。


PC-9821シリーズも、CPUが486の世代のものを買っていたら、少しハズレ感があった。
 時代的に過渡期のもので、Windows 95についていくのが精一杯。アップグレードできる範囲もあまり大きくなかった。

 しかし、Xa7になるともうPentium世代。
 Pentiumも、最初期モデル(66MHzと60MHz)はバグがあったり、発熱が大きかったりして苦しかったけれど、Xa7のは扱いやすい次の世代で、75MHz。

 NEC独自規格のPC-9821とはいえ、Pentium世代になってからは、かなり世界標準のアーキテクチャに近くなった。
 CPUも、汎用のSocket 5やSocket 7がついて、そこに載せられていた。
 グラフィックも、2MBのVRAMを備えた、Trident TGUi9680というWindows用グラフィックチップが載せられた。
 486時代は拡張スロットも独自規格だったけれど、Pentium世代では普通のPCIスロットがついた。(これまでのCバスという16bit拡張バスも残っていたが、486世代にできた32bit拡張バスは廃止してPCIに移行)
 HDDやCD-ROMドライブなども、今までSCSIやSASIといった規格のものを使っていたのが、一般的なIDE接続のものになった。
 メモリーも、普通の72pin SIMMで増設できる。
 そういった周辺機器を制御しているチップセットからして、PC/AT互換機と同じ、Intel 430FXとかVLSI Wildcatとかそういうものを使っていたし。

 そういう中身であるからして、パーツを盛り込んでいけばどんどんパワーアップできる。
 だから、Windows 3.1世代末期のモデルが、ずっと後まで戦えた。


○CPU

まずCPUは、K6-2/IIIやCyrix MIIなどを使えるようにするアクセラレーターが出ていた。
 こういうのを使えば、Pentium 75MHzが、K6-III 500MHzとか、そんなところまで強化できちゃった。
 しかし、ソケット変換ゲタを使うアクセラレーターはちと高校生には高価。
 古めのモデルでも、ゲタだけ再利用されて使われたりするから、中古もあまり出なかったし安くもなかった。

 そこに救世主的に現れたのが、IDTのWinChip C6というCPUだった。
 ソケットは、Xa7/C4のSocket 5にそのまま入る。発熱も低いので、Pentiumと同じものをそのままつければ十分。
 また、MMX-PentiumとかK6-2は、発熱を減らすためにCPUへの供給電圧を2.2~2.8Vくらいに下げていたから、それをゲタで変換してやらなきゃならなかったけど、WinChipはPentiumと同じ3.3V。
 MMX命令が追加され、MMX-Pentiumと同等の機能に拡張されているのに、互換性は非常に高く、他のCPUよりもトラブルは起きにくかった。K6などはBIOSが対応しなくちゃいけなくて、PC-98なんかだとBIOS対応は無理だから、ゲタやドライバーで対処していた。
 また、CPUのクロック倍率設定も、Pentiumで1.5倍の設定をすれば、4倍と解釈する。ベース50MHz・倍率1.5倍の75MHzで駆動していたPentium機にそのままつければ、200MHzで動く。
 PC-9821Xa7/C4では、ベースクロックも倍率も自分で設定できたから関係ないけど、変更できないPCのアップグレードパスにもなった。
 つまりは、手軽なCPUアクセラレーターとして使われるべく設計されたCPUだった。

 とはいえ、まあ、K6-2ほど強烈に速いわけではない。
 クロックは200MHz前後。K6-2なんかもう400MHz超えてたと思うし、Pentium 2もあった。
 実際の速度も、200MHzでまあ、100MHzのPentiumよりは速いのはわかるけど、という程度。
 特に浮動小数点演算が遅い。まあ、当時のPCで使用感に直結するのは整数演算だったから、Intel以外のCPUはどれも整数演算偏重の設計ではあったけれど、それにしても遅かった。


 そんなマイナーで狙いがニッチすぎるCPUだけど、なんと後継モデルWinChip 2が出た。

 私はこれも購入したけど、これがガラっと良くなっていた。
 今までの浮動小数点演算が遅すぎるのが大幅に改善され、特に遅くなくなった。これじゃ100MHzのPentiumと大差ないな、と思うようなシーンがなくなった。

 また大きかったのが、AMD 3DNow!命令に対応したこと。
 当時ポピュラーだったMP3エンコーダー「午後のこ~だ」を使って、3DNow!有効でエンコードすると、再生速度の4倍くらいのスピードで変換できた。確かPentium 100MHzやWinChip C6 200MHzだとせいぜい1倍くらいだった。
 私がその頃にやっていた一番重い処理がMP3エンコードだったから、この速さは感動的なものがあった。(K6-2使えばもっと速いというのはおいといて)

 このWinChip 2は、私がPC-9821Xa7/C4を手放すまで使った。良いCPUだった。

 ちなみにWinChipという商品はここで終る(マイナーチェンジ版WinChip 2 Rev.Aが出ただけ)が、その後このコアはVIAに買収される。
 VIAには同じく買収された旧CyrixのCPU開発チームがあり、Pentium 3互換CPUとしてCyrix IIIを開発していたのだが、これがコケる。
 その結果、WinChipチームが開発していたWinChip 4のコアが、Cyrix IIIという商品名で売りだされることになる。
 さらにC3と名前を変えて、遅いものの低消費電力などを売りに組み込みや超小型PCに浸透していく。
 その次のC7も、Nanoも、かつてのWinChipを作っていたCentaur Technologyによる。


○グラフィックカード

PC-9821Xa7/C4には、標準でTrindent TGUi9680というグラフィックチップが、2MBのメモリーとともに搭載されていた。
 しかしこれは、当時としても速い方ではなかった。
 確か、ビジネス用途中心の設計で、256色モードだとそこそこ速かったらしいんだけど、我々ホビーユースやインターネット利用だと、16bitカラー(65536色)は使いたい。けど、それだと遅い。
 遅いってもちろん、3Dグラフィックとかじゃなくて、Windowsの普段の画面描写のレスポンスが悪いの。

 Xa7/C4は、PC-9821とはいえPCIスロットがあるので、いくつかのPCI用グラフィックカードが利用できた。
 まあ、グラフィックカードのビデオBIOSがPC-9821対応でないとダメだから、なんでもとはいかなかったが、I-O DATAやMelcoといったサードパーティが頑張ってくれていた。
 けど、実のところ互換性の大きな部分がMS-DOSなどの古い表示のところで、Windows 2000だけで使うならかなり動くものが多かったとか……


 それで、初めて買ってみたのは、I-O DATAのGA-PG3D2/98PCIという、S3 ViRGEを搭載したグラフィックカードだった。
 けどまあ、これは体感できるほど性能差出なかったな。ベンチマークは速くなったけど。

 S3社は、486時代以前には高性能なグラフィックチップを開発・販売していたメーカーで、PC-9821でも高級機には、S3のVision 864を使っていたりした。
 しかし、Pentium時代に未来予測を間違って普及価格帯路線に舵を切って大失敗、主役の座をMatroxやnVIDIA、ATiに奪われていく。
 その逸走第一弾が、ViRGEだった。
 安くってそこそこの性能で、まあ、数は売れていたのだけど、「安かろう悪かろう」の代表みたいなイメージになっちゃった。


 次に、Matrox Millenniumを手に入れた。

 これは1995年当時のハイエンドグラフィックカードで、その後なかなか破られないレベルで、Windowsの画面描写処理が速かった。
 また、画質が良かったのもポイントだった。
 当時は今みたいに液晶にデジタル接続ではなくて、ブラウン管モニターにアナログ接続だったから、アナログ信号の品質が悪いと、画面がにじんだりピンぼけ気味になったりした。
 画質が良いのは、回路設計の良さの証明でもある。

 これはPC-9821に標準搭載されたモデルがあったせいか、普通にPC-9821で使える。
 オンボードのグラフィックとは完全に体感レベルの速度差があって、画質の良さもあって非常に快適になる。

 しかしそんな良い物も、惜しいことにDirect Xが存在しない時代の製品だったから、Direct Xを使うとアクセラレーションがまったく効かない、という機能不足があった。全部CPU処理になってめちゃくちゃ遅い。
 新しいゲームが一切遊べないわけで、95年のハイエンドも、案外早く時代錯誤なものになっちゃっていた。だから安く買えたんだけど。


 最後に買ったのは、MelcoのWGP-FX8Nという、3dfx Voodoo Banshee搭載カード。
 PC-9821対応のグラフィックカードの中で、普段のWindowsの描画も、DirectXによる2D描写も、3D処理も最も速いと定評があったのが、Voodoo Bansheeだった。
 PC/AT互換機の方でも評判がいいグラフィックチップで、nVIDIA Riva TNTやMatrox G200、ATi RAGE128あたりと互角にやりあった。2Dでも3Dでも良好な性能を見せる。

 とはいえ、ボードの回路設計の質なども良いI-O DATA製のGA-VDB16/PCIに比べると、こっちのMelco製は一枚落ちる扱い。
 90年代後半のI-O DATAってすごく力の入ったメーカーで、GA-VDB16/PCIは元々ギリギリまでオーバークロックされていて、基板の回路設計も上質で高画質、ドライバーまで独自にチューンしてある、なんてことをやるメーカーだった。


 WinChip2 200MHzとWGP-FX8Nの組み合わせは、94年の廉価PCに、90年代後半をなんとか戦い抜ける性能を与えてくれた。
 当時、「重い」とか「不安定で止まる」とかいわれていた、リーフの「こみっくパーティー」も、うちでは十分快適に遊べていた。
 当時流行っていたRTSの「Command & Conquerer」とか「Age of Empires」だって、遜色なく遊べた。
 同人格闘ゲーム「The Queen of Heart 99」だって、ちょっと激しいエフェクトでもたつく程度。

 これだけ性能があれば、この時期のホビーユースを十分やっていけた。


○ストレージ

PC-9821シリーズ特有の弱点として、内蔵IDEが妙に低スペックだったこと。

 BIOS側の問題で、4.3GBより大きいHDDをつなぐと起動しない。(後に多少改善されたけど、32GBまで繋がるけど8GB以下でなければ起動ドライブにできない、とかそんな程度)
 また、当時は利用できたはずのDMA転送ができず、PIO mode 2の8.33MB/sしか速度がでない。遅いだけじゃなくて、ディスクアクセス中にCPUが取られて、全体の動作が引っかかる。
 MS-DOSならともかく、Windows 95以降ではかなりストレスがある仕様だった。

 PC-9821Xa7/C4のHDDは430MBしかなくて、さすがに手狭だから、Seagateの2GBのHDDを買った。
 しかしこれハズレ掴んで、一年くらいで死んじゃったな。当時のHDDって今より弱かったと思う。


 じゃあ、いっそ小容量ドライブといわず、インターフェースごと強化しようとなった。
 ここでもI-O DATAが頑張ってくれて、UIDE-98Mというものを出していた。
 Ultra DMA mode 2、33MB/sの転送に対応する、PC-9821対応のIDEカード。スバラシイ。値段も一万円以下。
 これに、IBMのDJNA-352030だったかな。モデル名でいえば、Deskstar 22GXP。20GB・5400rpmのHDDをつないで、ついでに内蔵CD-ROMドライブもこっちに繋ぎ変えて。

 この頃のHDDはちょっと地雷が多くて、富士通製のHDDが安かったけど、コントローラーチップが腐っててすぐ死ぬとか、IBMも次のDTLAシリーズでガラス製プラッターを使ったらすぐ壊れて集団訴訟を起こされたとか、色々あった。
 DJNAは、幸いに地雷を避けた感じ。


 90年代を戦い切るためのPC-9821拡張パーツとしては、おそらく体感レベルで最大の効果があるのがこのUIDE-98Mだったと思う。
 データ転送待ちの時間が圧倒的に縮むし、CPUを食われないからアクセス時の処理のひっかかりもない。


 当時出始めだった、CD-RWドライブも取り付けた。
 SONY CRX100Eという、CD-Rで4倍、RWで2倍速の、エラー訂正機能もないドライブだった。
 これも、UIDE-33M経由でつないでいたからいいものの、内蔵IDEだと、書き込み中は怖くて一切触れないようなシビアなことになっていたと思う。

 このCRX100E、初期のものだけあって規格に無駄に厳しく準拠していて、700MB/80分のメディアにも640MB/74分しか書き込めなかったな。


○メモリー

もちろん、メモリーもないと困る。
 これは、当時の汎用72pin SIMMモジュールを利用できたから、ただ挿せばよい。

 のだけど、当時はエラーチェック用のパリティビットがついたメモリーがあった。
 PC-9821Xa7/C4は、ベースクロックを50MHzで使う場合にはパリティを見ないが、60/66MHzに設定するとパリティを要求し、ないとメモリーエラーで止まる。
 パリティつきメモリーはメモリーチップの数が増えるから、値段が上がる。

 しかし当時のネット情報を見ると、基板上のパリティ信号線を物理的に切ってやればパリティチェックなくなると、と、実に乱暴な解決策があった。

 今だったらそんな恐ろしいことやらないけど、若さゆえの蛮勇というか、カッターナイフ一本でやっちゃったよ。ちょうど基板表面の線だったからそれでいいけど、やりすぎて積層基板の中まで切ったら……。
 幸いにも成功したからよかったけどね。


 やろうと思えば、メモリースロット4本に32MBのモジュールを挿して、128MBまで拡張できたそうだ。
 しかしそれは高価だったので、16MBモジュール4本の64MBまで拡張した。
 これだけあれば、Windows 98SE世代なら十分だった。


 また、メモリースロットの横にもう少し大きなスロットがあって、CPUのL2キャッシュモジュールを追加できた。CPUキャッシュの後付けなんて今では考えられないけど。
 256KBと512KBのモジュールが存在して、後に見つけて追加してみた。
 けどまあ、正直あんまり体感レベルの差はなかったかな……。MP3のエンコードなんかは少しだけ速くなったっけ。


○その他の拡張

PCIスロットは、WGP-FX8NとUIDE-98Mで埋まっているし、その他専用スロットも使い切った。
 あとは、昔ながらのCバスで拡張する。

 Cバスは古くて遅い規格だから、さすがにPentium世代だと縮小されていく。
 PC-9801時代は多い機種で6本とかあったし、4本くらいが標準的だったけど、PC-9821だと2~3本。
 でも、まだCバスに挿しておきたいものがいくつかあった。

 ひとつは、サウンドボード。
 Xa7/C4なら、本体にもPCM音源が内蔵されてはいたんだけど、これはWindows用。
 MS-DOSで使うなら、PC-9801-86という、FM音源とPCM音源がセットになったボードが定番で、これを入れておけばゲームでちゃんと音が出る。
 もっぱらハチロク音源といわれていたので、98フリークからすればハチロクはスプリンタートレノよりこっち。

 もうひとつは、SCSIカード。
 PC-9801時代は、SCSIにHDDやMOドライブ、CD-ROMドライブなど、ストレージ関係はなんでもつないだものだった。
 HDDはさすがに要らなくなってたけど、MOドライブはPC-98では便利だからよく使っていた。
 一枚230MBと十分な容量、HDDより少し遅いけどフロッピーなんかよりはずっと速く、ランダムアクセスできるからCD-Rのように枚単位で焼く必要もなく、書き込んだデータはめったに破損しない。
 PC-98ではMOドライブからでもブートできるから、MS-DOSとWindows 3.1をインストールして使えるMOディスクを一枚作ってあった。

 それから、IF-SEGA/98。
 セガサターン用ゲームパッドを、PC-98に接続するためのCバス用ボード。I-O DATAの製品だけど、あそこたまに変なものも作るんだ。
 これがあれば、USBのないPC-9821でも、サターン用の質のいいゲームパッドが使える。
 当時はあまりPC用ゲームパッドは普及していなくて、一応規格としては音源ボードについている15pinゲームポートに繋ぐことになっていたが、普及率は高くなかった。

 これで3本。うちではちょうど足りたけど、本体がXa7/C4でなければ足りていなかった。


 さて、Cバス足りないどうしよう、となると。
 外付けCバス拡張ボックスというものも存在したのだが、Cバスのボードが一枚150x170mmもあるでかいもので、拡張ボックスがデスクトップPC並みのサイズになって馬鹿げてくる。
 ボードがでかくて部品をたくさん載せられるんだから、1枚に複数の機能を持たせてしまえ、という発想のほうがスマート。

 うちにも一枚、Q-Vision WaveMasterだと思うけれど、SCSIと音源を複合させたボードがあった。正直使った覚えがないので、見つけて買ってみただけだと思うけど……
 これは完全に固定的に2機能を複合しているけど、ボードを半分あけておいて、そのスペースにサブボードを増設することで、好みの2機能を複合させられるようなものもあった。

 まあ、Cバスの速度で一応足りて、かつ需要の多い機能となると、主にSCSIとサウンドになるだろうとは思う。10BASEのLANボードとかの通信系もあるかな?
 でも時期によっては、グラフィックカードと音源の複合なんてものもあった。おそらくPCI化以前の486機でWindows 3.0~3.1を快適に使うためのものと思う。
 PC-98専門ウェブサイトの「With98」にグラフィックアクセラレーターのリストがあるけれど、あのCANOPUSまでもがグラフィック・音源複合ボードを出していたそうだ。


○マウスとキーボード

PC-9801/21は、マウスとキーボードは独自仕様だった。

 ごく初期には、汎用RS-232Cポートに繋ぐ、シリアルマウスが使われていた。
 しかし、PC-9801VM2で、マウス専用ポートが追加され、そこにつながるバスマウスができた。
 これが長年使われ続け、結局最後までそのままだった。

 ただこのマウスポート、2ボタンまでしか対応せず、スクロールホイールとかは無理。
 PC/AT互換機のPS/2マウスは、マウス側にコントローラーがあって、本体側はデータを受け取るだけらしいんだけど、PC-98は逆で、本体側にコントローラーがあってマウスは信号を送るだけ。
 なので、マウスは勝手に機能拡張ができなかった。

 PC-98末期、ホイールがついたMicrosoft IntellimouseのPC-98対応版が出たんだけど、これは先祖返りするかのようなシリアルマウス。
 シリアルマウスだったら、マウスドライバーでデータを解釈できるから、ホイールにも対応できた。


 一方、キーボードも本体側にコントローラーがある。
 このせいで、PC-98とPC/AT互換機のマウス・キーボード相互変換が、コネクターの結線変更程度では済まなくなっちゃっている。

 PC-98のキーボードって、VM2とかDX2の頃のものはものすごくお金のかかったメカニカルキーボードだった。
 クリックのないリニアタッチの、非常に優秀なキーボードだった。
 美化された記憶を元にいえば、21世紀のガチャガチャうるさいメカニカルなんか足元にも及ばず、FILCOのMajestouchでもまだ少し足りないレベル。

 ところがそんな素晴らしい品も、コストダウンの波には勝てない。
 Windows時代のPC-9821になって、メンブレンスイッチに変わってしまった。
 それでもXa7/C4のような初期ならまだ多少マシだったけど、その後もう話にならないようなものになっていった。


 だから私、最後までPC-9801DX2のキーボードを使い続けた。


○さらば20世紀、さらばPC-98

2000年の私はPC屋のバイト店員だったのだけど、その時点でまだ、95年以来のPC-9821Xa7/C4は、拡張を重ねつつ現役だった。AthlonとPentium IIIが1GHzに達したという時代に。
 ほんとに不足は感じてなかったので、もう壊れるまで使おうと思っていた。

 90年代末って、いろんなメーカーが一斉にPC/AT互換機のWindows PCに舵を切った頃だったんだけど、どうにもモノとしてヤバいのが多かった。
 10万円で一式揃うと話題のSOTECなんか、相当粗悪なパーツも混ぜてしまっていたようで、実際に勤めていた店に「爆発した」といって、電源の電解コンデンサーが破裂して死んだものが持ち込まれたりもした。
 日本メーカーから電解コンデンサーの試作品の情報が盗まれ、それが台湾あたりで製品化されちゃった結果、信頼性が十分ではなくてそこらじゅうで破裂・液漏れが起きていたりもしたし。

 でも、価格競争の酷い叩き合いに陥る少し前の95年製で、こなれたスペックのシンプルな機種だったPC-9821Xa7/C4は、なんだかんだで頑丈だった。
 これだけ拡張しまくっていたけど、ハード自体になにも老朽化の気配はなかった。


 ところが勤め先で仕入れたジャンク品に、ふとELECOM印のPC-9801用キーボードが紛れているのを発見。
 触ってみると、ELECOMのくせにずいぶんタッチがいい。PC-9801時代のELECOMって、たまご型のエッグマウスがヒットしてよく使われていたものだった。
 別にPC-98マニアが集うような店でもないし、売れやしないだろうということで、店長に値段つけてもらって私が買って帰った。

 で、帰ってつないでみたら、PCが起動しない。あれ?
 壊れてたか、まあジャンク品だししかたないな、と、ジャンク品を買う当たり前の態度で元のキーボードに戻した。すると普通に起動する。
 ところが、キー入力すると、PCがリセットする。えええ。
 半泣きであれこれリセットを試みたけど復旧せず、キーボードコントローラーを壊された、と考えるしかなかった。
 PC/AT互換機と違って、他にキーボードを接続する手段はない。

 今から考えれば、どうせ当時PC-9821の中古は捨て値だったんだから、同じPC-9821Xa7/C4を買ってきてそっくり移植すればよかった。
 ……のだけど、5年以上、それも10代後半という時期を濃密に付き合ってきたこの個体に、代品で済ませるのもなにか気が進まなかった。


 かくして、ELECOMのせいで……いや、ジャンク品は何があっても自己責任、別にキーボードコントローラーを殺すような壊れ方をしていたのはELECOMのせいではないので、私がいらんことしたせいで、PC-9801VM2以来人生の2/3を共に過ごしたPC-98との別れの時がきた。
 いやほんとにELECOM恨んでないよ。
 その後勤めた会社でELECOMのマウス支給されて、そもそもボールが真っ直ぐ転がらない品質に腹を立てたりとか、たまにELECOM製品買ったら毎回的確に地雷だったりとか、最近買ったbluetoothキーボードでさえキーの品質がスカで使い物にならなくて3日で人にあげたりとかしたけど、別に恨んでないよほんとに。いやこっちは恨まないまでも嫌悪くらいはしていいか。


●どすぶい!

……というタイトルの漫画かラノベが出るタイミングはとっくに過ぎてしまったが、PC-98を失った私は、周辺機器を個人売買で欲しがる人に譲り、自作PCを組み立てた。
 PC壊した私を哀れんで、マザーボードくれた方がいてね。
 今はなきAbitの名作暴走族仕様マザー・BE6-II。オーバークロック機能がむやみやたらと充実した、それでいてド定番の安定品だった440BXチップセットを搭載したSlot 1マザーボード。

 私はここに、CPUはCyrix III-650MHzを投入。Pentium 2やCeleronじゃないのがせめてもの抵抗。
 グラフィックカードは、さしあたり余っていたMillenniumなんか挿しておいて、年末に発売されたPowerVR Kyroを投入した。せめてもの抵抗。
 21世紀はこの新たなPCと迎えたのだった。

 まあ21世紀になって15年も経つけれど、さすがに私も丸くなって、今の主力PCのCPUはIvy BridgeのCore i7だから、つまらんもの使ってるものだ。
 変なCPUとか出ないかなあ。遅くていいから。


●リンク週