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2011年11月5日土曜日

枚岡神社 w/ COOLPIX 3700

雨模様なので、雨が降っても映えるところにいこう、ということで今週も神社に。
いつもと一緒じゃないかと思われるかもしれないが。

持ちだしたカメラは、COOLPIX 3700。
近鉄大阪線で東大阪は枚岡駅へ。
駅のすぐ目の前がいきなり、枚岡神社。


神武東征の砌、紀元前3年に勅命で創建されたのが始まり、と社伝にある。元々神津嶽という山の上にあったが、650年に平岡連(中臣氏の子孫)が今の位置に移した。
祭神は天児屋根命とその妻の比女神で、これは中臣氏の祖神で、春日神社に祀られる神様。
奈良の春日大社へここから分祀したので、「元春日」ともいわれる。さらに春日大社から武甕槌大神と斎主大神を分祀してもらって、今の祭神は四柱。
そういう経歴通りに、延喜式では名神大社、中世には河内国一宮、明治の社格で官幣大社。
枚岡"大社"と名乗ってもよさそうなものだけど、大社を名乗るには何か条件でもあるのかな。
(でも駅のすぐ近くに建ってる碑には「元春日枚岡大社」となってる)


なで鹿、というのがいた。
武甕槌神が鹿に乗って旅立った鹿島立ちの故事にちなんでのものとのこと。1848年作。


拝殿。ここまでくるのに結構上り坂と階段をのぼる。
七五三の祈祷をやってたりして、本殿のほうで祝詞を挙げてたり、おばあちゃんに連れられて子供が来てたり。



大社格の神社にしては境内摂社はたったふたつ、若宮社と天神地祇社。
明治頃に、近郷の13の神社と、境内の19の摂社をまとめてここに祀ったとのこと。
宿坊村の市杵島姫命神社もここに祭っていると書いているが、その神社は今もある。吸収合併みたいな合祀じゃなくて、総社みたいなものなのかな。


境内から、生駒山系の山伝いに南下していく道があるので、そのまま向かう。
途中で、楠正行ゆかりの井戸、というのがあった。
南北朝時代の四条縄手の戦いがここであった、という(四條畷市でやったという説が一般的なようだけど、このあたりにも四条・縄手という地名があるので)。
そうとしか書いてないけれど、井戸と楠正行のつながりは……?


井戸の向こうは梅林。
明治十四年に、枚岡神社の氏子が、枚岡神社神護寺跡に整備した公園。時期からして、廃仏毀釈運動で寺だけ壊されたのかな。

梅林を抜け、住宅地エリアに入り込む。
まさに山の手で、一戸建てがどれもこれも見るからに富裕な感じ。
集合住宅っぽいのでさえ、デザイナーズハウスを複雑に組み合わせたような、ずいぶん凝ったものだったりしている。


歩いていると、五条古墳というのにぶつかった。
30メートル四方の方墳で、昭和10年に梅原末治の調査が入ったらしいけれど、古い刀剣が発掘されたというくらいで大したことはわからなかったそう。
見学したい場合は、地主(らしい人)に電話しろ、と看板があった。

この先が、ひとひとり歩いて通るのがやっとというような、あぜ道のような道。
大丈夫かなあと思いつつ直進すると、無事に突っ切れた。(別に私有地に侵入したりしたわけじゃなく、里道らしい)


突っ切った先に、市杵嶋姫命神社。さっき天神地祇社のところで名前を挙げたところ。
鳥居と社殿だけの、村の氏神様という感じ。鳥居の注連縄も腐ってないし、まだまだ信仰が生きている。

ここからさらに南に突っ切って、東大阪市立郷土博物館に行きたい……のだけど、もう道が入り組んでいてわからない。
まっすぐ突っ切れる道があったのだけど発見できず、山手なのでかなり急な斜面を下りたり上がったり、1キロ以上ロス。平地の1キロなら平気の平左なのだが、体が重い私は斜面を行くと汗だく。


たどり着いた。それにしてもえらい山奥に作ったものだなあ。
汗だくになってやってきた私に、係員の方が枚岡神社からの最短コースを記した地図をくれた。見かねられた……

このあたりで発掘された土器などに刻まれた文字・絵・文様についての特別展があり、常設展はこの近隣の遺跡から発掘されたものなどを展示。
古墳から出てきたらしい人骨まで展示していて、ちょっと驚く。

で、郷土博物館のすぐ向こうに、山畑古墳群というのがある。


割と大きな山畑22号墳、これが珍しく双円墳……らしいんだけどあいにく片方壊されている。残っている方は、石室も覗ける。
この北側に、38~41号の小さな古墳が並んでいる。

この古墳群のすぐ北の林の中に、なにやら赤い社が見える。
何か小さなお稲荷さんでもあるのかな? と思って近づいてみると、


古池があり、その向こうに奥池大神と刻まれた石。沢には神仏分離されてない感じの社も。
ちょっとしたお社くらいかと思ったら、いきなりこれが現れたんだから驚く。
google mapsにも何も書いてないところだし、どういうところなのだろう。


郷土博物館から道なりに西にまっすぐ降りていく。
瓢箪山駅まで行って帰路につこうかなあ、と思ったら、鎮守っぽい木の塊が見えてきた。


瓢箪山稲荷神社。
瓢箪山古墳(山畑52号墳)という、名前の通りの双円墳がある。山畑古墳群では最大で最古のもの。
日本三大稲荷のひとつとされていて(でも「三大稲荷」のひとつと名乗る稲荷神社が全国に無数にあるらしい)、古くから辻占で有名。
大阪城の鎮護神として、秀吉がここに瓢を埋めて、伏見桃山から「ふくべ稲荷」を勧進したのが始まりという。

で、この神社はなんというか、


そう広い境内ではないところに、ところ狭しと神様が祀られている。古墳の斜面に立体的に立ち並んでいる。鳥居だけいくつも重なるのは稲荷社の常なのだが、ここはご神体がちゃんとある。鳥居のないご神体もある。
ちょっと異様さを見せられるような写真が撮れなかったけれど、神社が神社で埋まってるかのような光景。

ここから商店街を冷やかし(国道170号旧道にあるものだから、国道なのに車両通行止めという事態になっている)、瓢箪山駅から大阪へ帰還。
ちょろっと手近なところに行ってみただけのつもりが、思ってたより面白い神社に出くわせて充実の散歩になった。



今日のCOOLPIX 3700は、前に「Caplio RZ1と似てる気がする」と思ったりしたけれど、使ってみると全然調子が違った。
Caplio RZ1は、起動こそ並みの速度だったけど、撮影・記録は速やかに行うのでテンポよく撮影できる。

しかしこのE3700は、まずいきなり起動が遅い。
レンズが出て、画面が出るけどピンぼけしたままで、2~3秒待機。おそらくSDカードの認識に時間がかかっている。どうも、2GBは大きすぎて気に食わないらしい。
待機終了後、一度AFが働くようなピント移動の動きがあり、そして残り撮影枚数などの情報が出て撮影可能になる。
でもって、撮影バッファが一切無いようで、シャッターを切ると長々と書きこみ待ちが入る。撮影画像プレビューが出るものの、その上に砂時計を重ねる無粋さ。
当然書き込み中に電源OFFもできず、著しく撮影テンポが悪い。

液晶ファインダーの情報表示も、文字だけでいいのになぜかグレーの帯を画面下に取ってしまうから、フレーミングしづらい。
光学ファインダーがついてるんだけど、液晶を切ったらなぜか撮影できず。液晶オフ時の挙動になにか癖があるようで、再度液晶オンに戻すだけにも妙に時間がかかったりする。

で、今日の写真が手ぶれでボロボロなのだけど、ISO感度が50ベースのオートだけのせい。
これがまた、1/8.7秒なんてコマでも増感しない。1/7.4秒のコマで確かISO増感の表示が出てたな、と思ったらISO55だって。
フラッシュを使うと全部ISO200となってるが、これは飛距離稼ぐためだろう。
よりによって雨天で、しかも神社なんて元々薄暗い所で使ってしまったため、手ぶれが出まくってどうにもこうにも……。

ブレてさえなければ、画質はまあまあいいと思うのだけど。
ただ、広角端だけ良いCaplio RZ1のレンズとは別物っぽい。E3700の広角端は、ある程度分かる程度に樽型歪曲がある。

操作性は、露出補正なんかもすぐできるし、AF測距点もちゃんと表示するし、悪くない。
ただ、ジョイスティック風の十字キーのタッチがかなり悪い感じ。これはまあ、8年前のものだから劣化してるだけかもしれないけれど。
シャッターボタンのまわりにある、自然な感覚ではズームが割り当てられるであろう形のスライドスイッチが電源スイッチで、これが間違いを誘う。

2GB入れると遅いのは、2003年当時には想定し辛い容量だったんだろうし、撮影バッファがないのは廉価機だからコストのため、感度低いのは初心者向けの機種なんだからフラッシュを使えばいい、と、言いたいらしいことは見当がつく。
しかし、ニコンが割り切った部分が、的確に私の不快に思うポイントに刺さる。
ひどくいまいち感の高いカメラだった。外見はかっこいいのになあ。