今日のカメラは、リコーCaplio RZ1。
大阪からはまず京都に行かねば比叡山に到達できないが、その前に。
中之島でひよこ閣下に謁見してきた。
(アヒルなのだが、初めて見たときになぜかひよこだと決めつけてしまって、仲間内でずっとひよこということになっているので、今後ともひよこ閣下で通す)
水上に威厳を輝かせる閣下だが、ついに陸軍まで編成なされたようだ。しかもいきなり機械化されているあたりに本気を感じる。
そろそろ大阪府・大阪市の二重行政を解決するため、閣下自らが親征して大阪を征服し、閣下のもとに政治を一元化なさるおつもりかもしれない。
それから淀屋橋駅までぷらっと歩いて、京阪の特急に乗車。
一気に京阪本線を三条まで、鴨東線(もちろん閣下の東にあるという意味の路線名だろう)にそのまま乗り入れて、終点出町柳駅へ。
そこから、叡山電鉄叡山本線に乗り換える。
えいでん!
全車両がえいでん!化してるわけではないらしく、たまたま乗れたのは巡りあわせではある。
もうちょっとこう全面ラッピングとかになんないか……と言うのは野暮かもしれない。期間終わって元に戻すコストも大変じゃろうし。
さすがに八瀬までくると、駅一つにも景観を立てるような造り。
まだ比叡山のふもとに過ぎないが、すでに景色がいい。
200メートルも歩いて、すぐケーブルカーの駅へ。
叡山ケーブルは、高低差でいえば日本一の561メートル。
大正14年開業で、線路脇の鉄柱にもしっかり大正14年と書かれているからご注目ください、と車内アナウンスがあった。見ると、最近ペンキを塗り直したばかりの鉄柱に、活字で大正十四年と打ち出したプレートがついていた。
日本でもかなり古いケーブルカーだが、これは線形が一直線でなくカーブするタイプで、そのへんに当時の高い技術がつぎ込まれたとかどうとか、そんなアナウンスもあったような。
今調べた限り、大正時代開業かつカーブのあるケーブル路線は、他には見つけられず。雑にしか見てないから、単に見落としてる可能性も高いけれど。
山頂へは、ケーブルカーからロープウェーに乗り継いでいく。
ロープウェーの方は、昭和3年に日本初の「空中ケーブル」として開業。
旅客用ロープウェーはこれより前にもいくつかあるから、「空中ケーブル」という語に何か特殊な定義があるのかもしれない。
最も古くから営業しているロープウェーではあるようだ。もっとも、大戦中に廃止されて設備も一度全部撤去されてるから、それで別物になったというべきかもしれない。
展示されている原動機などは、戦後の再開時から2010年まで使われていたものとのこと。
で、ここで私はロープウェイに乗り込まず、ケーブル駅の中でやってる「千日回峰行写真館」を見て、そのまま駅を通り越して登山道の方に。
ちゃんと「延暦寺」と書いてある道標に従った方向に向かったのだが。
何この道。
丸太埋めてあるところからして、登山道なのは間違いないのだが……。
早速T字交差点にぶつかるが、特に道標もない。山上に向かうところだから登っていけばいいだろ、と、本来やっては不味いことを敢行。まあ、駅近いし。
あとで分かった所では、どうも京都一周トレイルなる、何日も山小屋泊まりしながら京都の外周を一周する、ベテラン登山家向けのコースの一部だった。
ともかく歩いて行くと、ロープウェーの下をくぐり、開けたところに出た。
スキー場だ。でも廃墟だ。10年くらい前までやってた比叡山人工スキー場。
道標は、ここを横切れ、という指示。
横切ったらすぐ、ダートではあるものの、車が通れるような道が。
延暦寺で入手した地図を見ると、この道がケーブル駅まで続いている。やはり私が道を間違えていたようだ。
八瀬近衛町・秋元町あたりの集落が見える。
広くなった道をどんどん行く。なぜかずっと虻が一匹ついてくるが、追い払いながら行く。
道端にいくつか石碑など建っていて、比叡山らしくなってきたな、というところで延暦寺の境内に入る。
「延暦寺境内は拝観料が必要です!!」と、なんというか無粋な看板が横にあったが。
延暦寺境内で最初にぶつかったのが、法華鎮護山王院というところだった。
圓珍という高僧の住房で、没後にも木造が安置されていたというが、圓珍派の学僧がモメて比叡山を飛び出し、圓珍像を抱えて大津まで去っていったとか。
ちょうどこの山王院が、西塔と東塔の中間地点のようだった。
私はともあれ東塔の方へ。
弁慶水、とある井戸。武蔵坊弁慶が沐浴したことがあるらしい。
近くに残っている横倒しになって朽ちた看板からすると、昔は水を汲むことなどできたのかもしれないが、いまはこのとおり、見ることもできない。枯れそうにでもなったのかな。
料金所があったので拝観料を支払い、チケットを貰って入場。
最初は阿弥陀堂。
次は戒壇院。
僧侶が大乗戒を受ける比叡山で最も重要なお堂、とのこと。
大講堂。
大講堂のあと、国宝殿博物館に寄る。(撮影禁止)
種々の貴重な仏像やら、あとは秀吉が比叡山の所領を与えたりした書状など古文書の類などの展示があった。
それから大講堂から国宝殿への道の脇に、比叡山仏道史の名シーンを総天然色のイラストにした看板がいくつも並んでいる。キリスト教の宗教画というほど厳粛でない、親しみやすい絵柄であった。
さっきからさっぱりそっけないが、私は仏教はあんまりピンとこないので、どう楽しめばいいかわからない。(じゃあなんで比叡山来るんだよ)
大講堂から根本中堂に降りる道の途中、お社があったので足を止めると、登天天満宮という。
太宰府に流された菅原道真公が亡くなって、都恋しさに怨霊となって京に災いをもたらしていたところ、比叡山東塔の尊意和尚がそれを封じた。
悪霊は尊意和尚に襲いかかったものの、和尚のありがたき説法に悔い改め、十一面観世音菩薩となって祈る者から災いを遠ざけよう誓って天に登った。ゆえに登天天満宮という。
比叡山にあっては菅公でさえその程度の扱いに……
根本中堂の前に周辺の建物を廻っていると、文殊楼というのがあった。
もとは慈覚大師が常座三昧を行うために建てたそうで、今は二階に文殊菩薩を祀ってある。
で、二階に上がってみようとすると「無理に上がる必要はありません」とか看板があるので、何かと思えば、傾斜80度くらいあるような強烈な階段がある。
私みたいにでかい人間ならともかく、お孫さんの受験成功でも祈りにきたおばあちゃんなどでは大変だ。
文殊楼は高台にあって、根本中堂を正面から見下ろす位置。
降りていく階段がまた妙に急で恐ろしかったが、そもそも根本中堂を見下ろしながら降りていく、というルートを取るのが好ましくないのかもしれない。
そして根本中堂。の前に、右手にある宮沢賢治の歌碑を見てから、さらに奥の星峯稲荷社へ。
微妙に変わった作りの社殿に思えるが、なんだろう。
稲荷社といいつつ、本尊は荼枳尼天、とある。荼枳尼天は辰狐王菩薩とも呼ぶし、延暦の頃に白狐となってこのあたりに降臨した、となっている。
で、いよいよ根本中堂。
あいにく入ってからは撮影禁止だったのだけど、回廊に囲まれた中庭と、その中庭を挟んで眺める根本中堂が素晴らしく美しい。ここは見事な建築に思う。
これで一回りとして、坂本ケーブルの駅へ向かう。
地味に離れていて、600mほど歩いて到達。
この駅がまた良い感じで、登録有形文化財。内部のビード繰り出し装飾など、大正モダンの洋風建築。
二階が展望テラスとして解放されていて、琵琶湖側の景色が見える。
坂本ケーブルの車両は、意外とスパルタン。
坂本ケーブルはケーブルカーながら途中駅があり、駅だけ見ると秘境駅そのもの。
通過することも多いが、私の乗った車両では偶然にも、乗車客があって停車した。
そして麓の坂本駅に到着……したところで、近くに座っていた60歳ぐらいの白人旅行者が英語で「京都へ帰りたいがどう行けばいいのか」と話しかけてきて、どうにかこうにか応対していたら坂本駅の中などまるで見るの忘れてしまった。
坂本駅もまた登録有形文化財なのだが。
坂本駅から左手、北へ歩いて行くと、日吉大社がある。
大社といっても今となっては大人しめのスケールになっちゃってるところもあるが、日吉大社はでかい。
ここの鳥居がちょっと変わった形で、上に合掌が乗ってることで神仏習合を表す。
延暦寺の守護神とされているし、神道と天台仏教が結びついて山王信仰になったりと、そういう性格が出ている。
境内に神馬がいる、のは割と珍しくもないが、神猿(まさる)がいるのも風変わりか。山王信仰では猿が神の使いとされている。
幼名を日吉丸といい、サルとあだ名されていた秀吉は、ずいぶん日吉大社に贔屓していたそうな。
西本宮近くで何やら賑やかで、屋台がいくつも掛けられている。
どうも、浅野温子の読み聞かせイベントなど行うという。その客目当てで、飲食やら物販の屋台が来ているようだ。
ちょうど食事をしていなかったところで、蕎麦一杯200円というので頂いた。
それから、岐阜の可児から来て地酒を売っている所があり、試飲あるといわれて頂いた。
そこで美味しかった純米酒「明智天海」を購入。林則夫酒店の製品。
で、せっかく来たのだけど西本宮は、浅野温子のイベント前の祈祷をやっていて、テレビカメラまで入っていたから、あまりじっくり参拝したりできず。ううん……。
しかし、日吉大社ほどなら境内摂社も立派かつ多数あるので、どんどん見てまわる。
宇佐宮。拝殿・本殿とも1598年に建てられて、今は国の重要文化財。
日吉大社は、それぞれの説明板に建築についての解説が詳しい。
本殿は日吉造(ひえづくり)といって、これはここ日吉大社の東西本宮と宇佐宮にしかない。
正面ににょきっと庇が出て、両側面にも庇があるけど後ろにはない。
同じく摂社の白山姫神社。
一見似てるけれど、これは両側面の庇がないから側面は切り妻。
これは流造(神社の様式としては一番多い)になる。そう解説板に書いている。
どうも、この日吉大社境内の摂社は、なぜかことごとく、こんな小さなものまで流れ造りばっかり。
神馬小屋が違ってたくらいなような。
途中の宝物殿で、七基の山王御輿を展示していた。
全国の神輿のルーツで、桓武天皇が日吉大神に奉納したのが始まりという。
僧兵が神輿を担いで山越えて京都へ強訴しにいくのが実に四十回以上あった。2トンはあるものを担いで850mの山越えて突撃するパワー。昔の坊さんは凄まじい。
そしていよいよ東本宮。スマートな楼門。
東本宮拝殿。拝殿は流造じゃなくて入母屋造なのね。
文禄五年三月吉、と墨書されたのが残っていて、1596年ごろ建築だとわかるとのこと。
そして本殿。見ての通りの日吉造。
側面と裏手も。
後ろ側の床が一段高くなってるのが、東本宮の特徴だそう。
樹下神社という摂社が、楼門の内、東本宮拝殿のすぐ右前にある。
白山姫神社と同じような大型の流造だけど、こちらは建てられた文禄時代(1595年)の特色が出て、かなり装飾が派手。
さて、そろそろ京阪石山坂本線の駅へ向かおうと思って歩いて行くと、途中で市殿神社というのがあると案内板。
最澄の母親である妙徳夫人を祀る。人を祀る人物神社としては最古のもの、と由緒書きにある。
しかしかなり変わった鳥居だなあ。
すぐ近くは、伝教大師最澄生誕の地・生源寺。
境内が広い砂地で、昭和の時代なら子供が遊びに集まってただろうなあ、という雰囲気が。
隣接して、大将軍神社というのがあるのだけど、由緒が見当たらず。
ここも市殿神社と同じ風変わりな鳥居。境内の広さの割にはお社はちんまりしている。スダジイの大木が滋賀県指定天然記念物とのこと。
そして京阪石山坂本線の坂本駅へ。
えらい凝った造りの駅や。
ここから浜大津→三条京阪→京阪本線で大阪へ。
充実した散歩であった。
Caplio RZ1は、一応業務用モデルで、現役当時は小売店には出なかったらしい。検索から読み取った雰囲気では、モデル末期に安売り商材として小売された感じ。
時期的にはCaplio RXあたりの製品のようなので、多分2004年ごろ。
単三電池とリチウムイオン充電池のどちらでも使える風変わりな電源系は、Caplio G4/G3と共通する設計。
レンズは、Caplio RR330によく似たスペック。
G4 + RR330 - α、というような組み合わせかな、と勝手に空想する。
でもこれ、ニコンのCoolpix 3700ともよく似ている。同じ所の同じ基本スペックのカメラを仕様変えてOEMした、という線もあるかもしれない。
使い勝手はまずまず。
起動もまあ遅いほどではないし、AFもまあ当時ならこんなもん、撮影後の書き込み待ちなどは絶無といっていいくらい。
シャッターボタンのタッチがいまいちよくないし、電源ボタンの位置は天面でなく背面だから、片手で取り出しざまに押したりするのが難しいけれど。
でもって液晶の解像度がびっくりするほど低く、色も冴えない。いくら2004年でもこれは最底辺クラスだな……という感じ。でもまあ、私はフレーミングさえ出来ればよしとするので。
画質はまあ、1/2.5型400万画素CCDなんて当時の安物によくあるスペックで、まあセンサーなり、というところ。
色の出方は若干ネガフィルムっぽくって、これは嫌いじゃない。
露出は全般にオーバーめ。ただ、空が入ると簡単に引っ張られてアンダー気味になっちゃうような感じもある。
レンズはちょっと気になる。
広角端なら歪曲もほとんど目立たない、十分シャープな写真が撮れる。廉価モデルの3倍ズームレンズにしては、広角端は良い方と思う。
しかし望遠にズームするとぐっだぐだになって、そもそも何処にピントがあってるのかわからないくらいボケる。四隅だけとかじゃなくて全面的に。
広角しか使わなければこれでいいのだけど。