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2011年12月17日土曜日

橿原神宮・八木 w/ FinePix 2800Z

やっぱり日本人なら神武天皇を祀る橿原神宮には一度はいっとかなあかんやろ、ということで参拝に。
記紀も一読したし橿原神宮も伊勢神宮も参拝したし、そろそろ普通の日本人を自称しても大丈夫かしら。


今日持ち出すのはFinePix 2800Z。
カメラ本体はパンフォーカス超廉価機のFinePix A201あたりと共用っぽい簡素なフルオートのみのシステムなのに、やたらと豪勢な6倍ズームレンズ(換算38-228mm F2.8-3.0)を載っけてる、ちょっと不思議な立ち位置のカメラ。

日本橋駅から大和西大寺へ、そこから橿原線で橿原神宮前まで。
大阪から行くなら、阿倍野橋から南大阪線でという選択もあるけれど、まあ、気分で。

大和西大寺は、近鉄奈良線・京都線・橿原線の交点だけあって、駅ナカが妙に充実していて、展望テラスと称するものまであった。


テラスに出てみると、鉄向けサービスなのかなあ、という調子。
時刻表と付きあわせて時間を狙えば、複数車両が一気に通りかかったりするんかな。


乗り換えて、橿原神宮前駅へ。


そして表参道からまっすぐ橿原神宮へ……はいかずに、近くの真言宗別格本山・久米寺に先に寄ってみた。
由緒の看板がかすれてはっきり読めなかったのだけれど、聖徳太子の弟の来目皇子が建立したとある。それから弘法大師が真言宗を開いたところだともいう。


大師像は眉が凛々しい。


また、久米仙人なる人物も祀られていて、その眼前ではかわらけ割りをやっていた。
かわらけ投げは結構やってるとこもあるのだが、ここでは投げるのではなく、スレッジハンマーで粉砕する。

久米仙人は金剛山葛城で生まれて吉野山で修行し、神通力で空を飛ぶ力を得、それで聖武天皇の東大寺建築に神通力で大木大石を運ぶ働きを見せ、三十石の田地を褒美に授けられたという。
そして仙人は、一切衆生の中風と下の病を除くために久米寺の薬師如来に願い、孟宗竹で自ら箸を作った。その箸を使えば病にかからない、という。

久米仙人の話は、今昔物語集やら徒然草でも触れられているような有名な話だそうで、そこでは、神通力で空を飛べるようになったものの、空から女のふくらはぎに見とれて、その俗念で力を失って墜落。
それからタダの人として東大寺建築に参加し、同僚から「仙人だったら超能力で一気に仕事すませろよ」と煽られ、七日七晩祈って法力を回復し、そのようにした。
その功で聖武天皇が田地30石を与え、その土地に建立したのが久米寺だ、とされている。(Wikipedia)
現地では、由緒の方に「来目皇子による建立」と書いてしまっているせいか、久米仙人が建立したとは書いていない。(ついでに女にみとれて墜落とも書いていない)


境内には、金刀比羅宮と三宝荒神が祀られている。
金刀比羅宮の方は鳥居が破損しちゃってるなあ……。
三宝荒神のほうの鳥居は、全体的には明神鳥居だけど笠木だけクラシックな丸木。やや変わった造り。本殿も変わった造りで、屋根が神社と言うより寺っぽい。

実は南側すぐに久米御縣神社というのがあったのだが見落として、橿原神宮のほうへ行ってしまった。


逆からの写真だけど、鳥居。
なんというか、橿原神宮はでかい。鳥居も軽く10メートルはある。境内も非常に広いし、道も広々、木々も豊か。建物は散在という程度にしか建っておらず、しかしひとつひとつは大きい。
やはり神武天皇を祀るとあればこれくらいでなければならないか。


神宮本殿の南側に池がある。


池の畔に、末社の長山稲荷社がある。
橿原神宮は明治に作られた新しい神社で、こちらの長山稲荷はずっと古くからあった。


これは果たして拝殿なのか、本殿を雨から守る屋根というべきか。
去年、橿原神宮ご鎮座120年で長山稲荷にも多額の奉幣が集まったそうで、それで社殿を整えたとか。


そして畝傍山をバックに橿原神宮拝殿。広大。
門に「紀元二千六百七十一年」と書いた看板がかけられていたが、ここでは紀元といったら神武天皇即位紀元であるのが当たり前。

北門に抜けて道なりに歩いて行くと、「航空母艦 瑞鶴之碑 この奥五〇米」と道しるべがあったので、そっちに向けて歩いて行ってみる。


すると、イトクの森古墳(池田神社)というのがあった。
30メートルの前方後円墳だそうだが、削られたり神社が乗っかったりしてよくわからない。


その左側が若桜友苑というエリアで、第十三期海軍甲種飛行隊予科練習生の戦没者を祀る殉国之碑と、先の瑞鶴之碑がある。
あたりは公園らしく整備されている。
予科練で使用された練習機や、特攻機の写真とスペックを並べた看板があった。予科練には特攻術専修なんて課程があったと。

一旦橿原神宮を出て、県道161号線の向こうに渡る。


すると、橿原考古学研究所附属博物館がある。
さすがに土地柄か、古代から奈良時代くらいに強い展示。

特別展示では「十二支の考古学 -辰-」というのをやっていた。
土器などに龍を描く文化は中国から入ってきたけれど、日本では同時期の中国の土器などに比べて、すごく簡略化された記号的なイラストになったりもしたよう。これは数千年後にも続く漫画文化の下地であろうか。


再び161号線を横切って、神武天皇陵。
またこれも広大な敷地をとってあって、161号線から300m以上ある参道を歩いてたどり着く。


161号を挟んで神武天皇陵の反対側に、大久保神社というのがあるので行ってみたが、これは地元の氏神様という感じで、お社があるだけ。地元の寄進でかなり綺麗ではあるから、もうずっと篤く信仰されてるのだろう。よそ者には祭神すらわからないけれど。


神武天皇陵の北には、綏靖天皇陵がある。
綏靖天皇、どうにも馴染みがないけれど、神武天皇に続く二代天皇。
綏靖天皇~九代開化天皇までは、欠史八代といって、古事記・日本書紀にも「居た」と書かれてる程度で何をしたかの記録がない。

恐れ多いことに、この綏靖天皇陵のすぐ北に、固まってラブホテルが建っている。これはちょっとどうなんだろう……


国道165号を北に渡ってもう少し歩くと、今井町という歴史的町並み保存地区がある。
富田林なんかと同じく寺内町だったよう。


重要文化財の音村家住宅。
中も見れるそうだが、なんか表札掛かってて今でも住宅として使われてるのか、「見学の方はインターホンで呼んでください」とくる。
土日休みだったりすると、呼び出してしまうのもなんか悪い気がするし、中までは見ず。


西の方には今西家住宅というのも。
これもまた「潜り戸から入ってください、鍵がかかってたら玄関に回ってインターホンで呼んでください」とくる。やっぱり鍵かかってたので……

こういう歴史的町並みのところは、割とはっきり観光地然としていて、見せてる町屋はわかりやすく展示施設、ってところもあるのだけど、今井町は現用の住宅なのか判然としなくて、人見知りの私には入りづらい。
町並み保存というものの、壁や屋根が崩落してしまってる町屋があってびっくりしたりも。あんまり観光地化する気はないのかもしれないなあ……



今井町北西にある八幡神社。
また特殊タイプな鳥居。今日はよく特殊なの見るな。


北上すると、JR桜井線をアンダーパスするのだけど、これが低い。成人男性が少し頭を下げて通るくらい低い。大丈夫か。

この少し北で、蘇我入鹿を祀る入鹿神社というのがあって、事前に気になっていた場所なのだが、モバイルgoogleマップで検索しても出ず、場所がわからずに通りすぎてしまった。
吉良上野介が地元では礼法に通じた仁君とされているように、ここでは蘇我入鹿も逆賊ではなく仏教の擁護者とされているそうなのだけれど。


もう少し北に、人麿神社がある、名前の通り、柿本人麻呂を祀る。
柿本神社という、やはり柿本人麻呂を祀る神社から分祀されてきたそう。本殿は1345年に建てられた小さなお社だが、修理を重ねて今まで残ってるそうで、国の重要文化財。


人麿神社の鳥居からまっすぐ正面すぐにある池のほとりに、「大明神」(かつては人麻呂大明神などと呼ばれていたそう)と書かれた灯籠やら、玉津姫神社のお社がある。

その池からまっすぐ西へいく道を歩いて行く。


天高市神社に到達。あめのたけちじんじゃ。事代主命などを祀る。
天照大御神が天の岩戸に隠れたとき、それを開くべく神々が集まって議論した天高市がここだとか。
なぜか修験道云々と書いた札というか張り紙というかを貼ってあった。



さすがに今日はよく歩いたなあ、と思いつつ、最後に立ち寄ったのがここ、宗我都比古神社。
延喜式では官幣大社だったというから、かつては賑わったのだろう。
入鹿神社は見落としたが、こちらは蘇我馬子が蘇我氏の祖神を祀って建立した。

拝殿に額がかかっていて、

敬神生活の綱領
一、神の恵みと祖先の恩に感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。
一、世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと。
一、大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること。

とあった。世界の共存共栄は祈ってなかったな……


ここから、近くの近鉄大阪線真菅駅にいって、大和八木→田原本といって、田原本線で新王子まで、そこからJRで大阪へ。
今日は平地が中心だったから負荷は小さかったものの、万歩計で二万歩越えまで歩けた。


今日持ちだしたFinePix 2800Zは、1050円でジャンクワゴンにあるのを見たらスマートメディアが入ったままで、特にカメラ自体に期待せず拾ってみた物だった。
スマートメディアは64MBと美味しかったし、カメラも電池の端子に何か付着していて接触不良だっただけ。

で、「フルオートのみに絞って簡単に取り扱えるようにした本体システム」と、「ハイスペックな6倍ズームレンズ」という取り合わせのこのFinePix 2800Z。
この本体システムを、電池二本にして、単焦点パンフォーカスレンズをつけた超廉価カメラがFinePix A201だったのだけど、これは軽快に撮影できるよくできたスナップカメラだった。
しかし2800Zになると、さすがにレンズと本体が釣り合わない……かと思えば、意外にそうでもない。

沈胴式ズームレンズだから、やはりA201ほど素早い起動じゃないとはいえ、速やかに繰り出して3秒くらいで撮影できる。2001年モデルとしてはかなり頑張った速さ。ズーミングもすーっと行く。これはいい。
撮影バッファもちゃんとあって、撮ってから何秒も待たされて何も出来なくなったりもしない。

望遠端が228mmと長いから、感度を手動で上げたいと思うものの、F3.0という素晴らしい明るさのおかげで、昼間の屋外ならどうにでもなる。
まあ、広角端はF2.8で、事実上ISO100固定となると、林の中なんかでは昼間から手ぶれが出始めてしまうけれど。ボディはかなり持ちやすいので、しっかり体を安定させて撮影。

大きいこともあってか、6倍ズームながらそれほど酷い歪曲収差などもなく、200万画素なら全域できっちり写っている。やっぱりレンズは大きいに如かず。
露出補正はしづらいけれど、AEは破綻するほどズレたりしないので、大体信用できる。
ホワイトバランスは、曇ると若干青く転ぶ感じはある程度。このへんは現行機ですらメーカーに寄っては頼りないのもあるし。色はやや明るめに派手目にでる感じ。

電池は、4本モデルだけあって不安なし。


まあ、一応位置づけとしては廉価モデルという商品だから、液晶がしょぼいのはコストの限界か。解像度が荒くて、色も怪しくて、視野角が狭くて、日が当たると見えない。
EVFを使えば日があたって見えないなんてこともないのだけど、これがAFを合わせに行くと止まってしまう。背面液晶以上に荒いから、フレーミングしかできないし。

総じて、使い心地も結果もいいカメラ。2000年前後のフジのカメラは、大体どれもよく出来てるけど、この2800Zは特に好みに合った。