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2013年3月20日水曜日

知多半島の旅(2) 内海町 (LUMIX FZ2)

半田から先は、一旦武豊で名鉄に乗り換え。
当初の予定では、名鉄の端っこ、河和と内海までさっと乗ったら戻ってきて、ずっと移動して常滑を見ようか……と思っていた。

しかし、どうも思っているより知多半島が大きい。
名鉄の線路も、内海から常滑にいくためには、かなり名古屋側に戻ってから折り返さねばならない。


武豊駅下車。
予定ではさっさと移動だが、しかし武豊は武豊で、味噌と醤油で知られる見どころの有りそうな町。うーむ。


とりあえず駅近くの武雄神社に参拝。
三社横並びの本でんで、中央が須佐之男尊を祭り、左が大己貴命と少彦名命、右が弥五郎殿命(イマタネツグノミコト)。
弥五郎殿命とは聞いたことがないが、どうも愛知県津島市の津島神社でもそういう名前の神様が祀られているよう。武内宿禰の末裔だとか。

古くからあった神社だけどいつからあるかは不明のよう。
承久の乱の後に岩田朝弘という武士がこのあたりに長尾城を築城して、その場内鎮護として祀っていたそう。


月詠の森といわれる社叢は、月見の名所だったそう。

このちょっと南側が長尾城址と、駅近くの案内看板にあったが、どうも中途半端な空き地がある程度で、遺構らしいものは目に入らなかった。
後になって地図をみたら、線路のすぐ西側に路地があって、そこから入ればよかったっぽい。
戦国時代くらいまであった城らしいけど、そういえばあんまり戦国時代に知多半島の地名は聞かない気がする。近くの勢力が大きすぎて、臣従するくらいしかしようがないのかも。


知多武豊駅前には、なぜかスーパーマーケットが2つ並んでいた。
それから、こんなご時世にまだパソコンパーツショップがあるよう。

駅に近い方のスーパーに入って、フードコートくらいあるかな……と思ったら、たこ焼きとお好み焼きを出すところがあったので、軽く昼食。


ここで時間は12時頃。さて、どうするか。
兎にも角にも、名鉄に乗って南へ。先に来たのは河和行き。


パノラマSuper。名鉄1000系というやつだそう。
このレトロフューチャーな感じはいいな。新幹線も300系が好き。

どうするか迷いながら、河和駅に到着して一旦駅を出る。
河和駅はどうも、ここから船に乗り換えて離島観光に行くところのよう。
面白そうではあるけれど、そこまでは時間取れないので、後日また機会があればということで、今回は折り返し。

河和から、富貴という景気のいい名前の役で乗り換えて、名鉄知多新線へ。
端まで乗ると内海駅。


顔の違う車両が並んでいた。
多分上が6500系で下が3700系だと思うのだけど、どうも下みたいな顔した6500系もあるみたいで、私にはよく識別できない。


駅に渋い観光看板。いい。
こんなかんじで歩いてみるのも良さそうだが……雨ふりそうやな。写真を見ての通りの曇り空だ。


駅近くに観光案内所があった。
よく見ると知多娘の内海お吉が貼られている。
知多娘、ここまでかなり多くのところで目にしている。結構やる気でやってるんだなあ。

ここでやっと決断して、常滑は諦めて今回は内海をしっかり見ることに。

駅前の看板によると、内海駅を高架にするとき、貝塚が発掘されたそう。
8,000年以上前の、東海地方最古の貝塚だそうで、先苅(まずかり)貝塚と名付けられている。


内海駅は開発の都合か、内海の町よりかなり北に外れている。
1980年に内海まで全通したそうだけど、すでに町が混み合って線路引けなかったかな。
南に15分くらい歩くと町に来る。



国道247号まで来たら、東のほうへ。
すぐ内海川があって、それを越える。

超えたあたりは、地元の観光マップによればスイーツ通りだそうで、ケーキ屋などが並んでいる。
まあ昼飯も軽かったし寄ってもいいかなーと思いつつも、あいにくイートインできるところはなかった。どこも客入りはなかなか。


高宮神社というのが見えるが、これはまた階段が長い。軽く登山の勢いだ。
すみませんパスしました。


曹洞宗の宝積院というお寺。
結構お寺の集まってるエリアのよう。


尾州廻船内海船船主・内田佐七家。
偶然にも公開日。入ってみると、ちょうど地元の方の案内を受けられた。

江戸末期から明治にかけて、知多半島では廻船が流行っていた。
大阪の菱垣廻船や樽廻船と競合するように、上方と江戸の間で貨物輸送をやっていたそう。


天井が屋久杉という豪勢さ。
このへんは細かい板だけど、床の間なんかドンと一枚だ。


欄間も下手に彫刻なんか入れずに屋久杉一枚板。


庭もなかなかの代物で、茶人の指導で設計されたそう。
廻船が荷を下ろしたら、喫水を下げるために石を積んだりしたのだけど、それでいい石があったら庭に回したとか。
しかし単なる重石のみならず、付き合いのある大名から頂いた価値あるものもあるそう。
(でもなんか、盗みが入って困りそうだからとかそんな話していたので、どれが値打ちものかは一応伏せよう。藤堂家経由で古田織部が庭に使ってた逸品を譲り受けてるとかで)

こうも豪華な屋敷を建てられるほどのお大尽だけれど、しかし、廻船業というのはあまり豊かな村では興らないそう。
船が沈んで積荷もダメになろうものなら凄まじい大損害を受けるから、かなりの博打みたいな商売。田畑が豊かなら博打に手は出さない。

私の生まれた町というのも、あまりに降水が少なくて農業がダメだった土地。
そしてやっぱり江戸時代には廻船業に乗り出していた。


四代目のご当主が文化人でもあったそうで、襖の書は当主の筆跡。
このうえには槍掛けがあって、苗字帯刀を許されていた証。

四代目は、海運業がそろそろ行き詰まることを見越して、船を売っていろんな事業に転身を図った。
銀行を始めたり、肥料屋をやったり(これはすぐやめ)、国鉄武豊駅から内海までの乗合自動車を始め(後に知多バスになっていく)、サンドスキーや鉱泉を開発して環境産業を興したり。

ちなみに私の生まれた町は廻船をやっていたのだが、その後の転身に失敗して没落した。



屋敷の2階から。


台所奥の食料庫には、50年前の梅干しとか恐ろしい張り紙をしたものがあったり、大昔の三ツ矢サイダーの瓶が。
半田のカブトビールが一時期三ツ矢サイダーを合併していたから、その縁でこの辺りでもポピュラーだったのかもしれない。



南隣に、西山浄土宗の慈光寺。
西山浄土宗の勢力多いのかなこのあたり。


あごなし地蔵さん。
隠岐島には、遣唐副使の小野篁が、阿古那という美女と分かれるのを寂しがって彫った像が祀られて「あごなし地蔵」と言われるようになったものがあるそう。
内田佐七の三代目が隠岐で風待ちをしているとき、その話を聞いて参詣して分祀してもらったそう。


本堂はこんな感じ。



隣には泉蔵院というお寺。真言宗智山派。
どうも知多にきてから、随分参道がまっすぐで敷地が細長いお寺が多い気がする。

その南側に、山の上に上がっていく階段に「一色城跡」と看板があるので登ってみる。


丘の上。看板あるのみ。
室町時代に、三河守護の一色範氏が建てた城だそう。しかし別に一色氏の根拠だから一色城というのではなく、もうちょっと北の大野城が本拠地だったそう。
後には佐治氏の居城になった。


展望台になっていて、いい夕日スポットでもあるそう。


下りていくと、知多娘の内海お吉のネタ元、唐人お吉の生まれた所があった。
唐人お吉といえば伊豆下田のイメージだけれど、ここで生まれて下田に行った人。半島から半島に行く人やな。


近くの温泉の敷地に、お吉の像が建っていた。

お吉の生家のちょっと北には、明治時代の横綱・大碇が養子にもらわれて育ったというところもあった。現在も民家が建っていて、個人宅っぽいので写真は遠慮。


ここから駅の方にもどりつつ、櫻米軒の波まくらというのが内海土産の定番というので一箱購入。
知多半島では幅広く売られているようだけど、ちょうど内海に本店があって、ここでは白赤緑の三色タイプも買えるというのでそれに。
つぶあんを求肥で筒状に包んだ、ふた口サイズのもの。

駅に戻って、内海から名古屋まで、1090円。
やっぱり知多半島が思ったより大きい。大阪-和歌山間より高いな。

時間があったので駅前の土産物屋を覗いたら、「果たしてこれは賞味期限までに捌けるんだろうか……」と思えるほどたくさんの波まくらが積まれていて、どうも心配だった。
イカナゴを安くしてくれたので1パック買って、これもおみやげに。

名古屋から近鉄で一気に帰阪だ。
と、名鉄の特急に乗った途端に雨が降り始める。私も晴れ男だなあ。



今回持ちだしたLUMIX FZ2だけども、いつのまにかレンズに不調が出てしまい、起動時にしばしばレンズエラーが出る。
そして起動中のレンズが伸びてる間にぶん殴ると、レンズがちゃんと繰り出て撮影できる……という酷い有様に。
収差酷い感じの写真も結構あったけれど、この状態じゃなあ。

どうも曇り空もあって、随分地味な色合いの写真が並んでしまった。
これもまあカメラのせいじゃないか。

換算35-420mmの12倍ズーム、これはこないだ使ったDiMAGE Z3と同じだけど、FZ2の方はなんと全域F2.8というえらい明るさ。
手ぶれ補正も搭載されていて、広角端だと1/8秒がなんとか見られる程度に写るような効き。これは感心。

しかしDMC-FZ2というモデルは、元々プログラムオート専用機だったFZ1に、取ってつけたようにシャッター速度優先・絞り優先オートをつけたモデル。FZ1をファームアップすればFZ2になる。
その結果として、立派なモードダイヤルがあるのに、「P/A/S」なんてウルトラな項目があって、それに合わせてからメニューで撮影モードを選ぶという素敵な有様に。
で、モードダイヤルにマクロモードが入っていて、マクロにするとPのみになる。えー……。
センサー小さいデジカメでボケ味も何もないから、別にPのみでも私は文句ないのだけど、マクロとなると絞り優先使いたいけどな。

Pでも絞りとシャッタースピードは表示されるし、絞りも2段階とか3段階みたいな雑なもんではなくて、ちゃんと細かく制御できるよう。

背面液晶は1.5型と小さいけれど、まあ時代からいえばおかしくはないか。
ただ、EVFを使うと、なんかもう覗きこんでる時点でわかるくらい水平が出しにくい。もともと私が水平外しまくるへたくそだというのを踏まえても、それにしてもこれはやりにくい。なんでなんだろう。

外見は、ちょうどマイクロフォーサーズの小型モデルみたいな感じの格好。ちょっとボディ部が分厚いか。
レンズしっかりしてる割にはそう重くもない。ホールディングは良好。

今回は178枚撮影して、バッテリー残量表示がゼロに入っていた。
バッテリー自体が小さくないから、思ったより持たないなあというところ。起動時にかなり盛大にレンズを動かすのと、手ぶれ補正のせいかな。


FZ1だったら、明るい高倍率ズームによく効く手ぶれ補正だけ突っ込んで小さくまとめ、ふつーの人がどう撮っても失敗しづらい、とやりたいことが明確でよくできてる。
しかしまー、P/A/Sをつけたって、この付け方では、それが付いていることを喜ぶはずのマニアはむしろ怒るよなあ。

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