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2014年8月30日土曜日

常陸国旅行記(1) ひたち海浜公園・阿字ヶ浦

なかなか大阪から大洗は遠くて行く機会を持てなかったのだけど、珍しくもつくばに用事ができ、そのついでに立ち寄ってみることにした。
大洗だけじゃ何なので、近くのひたちなか海浜鉄道も、ということでそちらを先に。

まさか私の人生にあって、産業技術総合研究所に関わることがあるとは思ってもみなかったのだけど、現地で知ったところでは、地質標本館とかサイエンススクエアとか、一般公開の展示施設があったので、関わろうと思えば開館日に行けばよかったようだ。
さておき、産総研に宿泊して朝の七時、高速バスに乗って水戸へ。





水戸駅で、いきなり「納豆購入額 日本一のまち 奪還!」という横断幕がかかっていた。
さすが水戸だが、これまで水戸が日本一を転落していたということにも驚いた。
調べてみると、1年だけ偶然にも、とかじゃなく、7年に渡って負けていたらしい。しかも最後に水戸の上に立っていたのは福島市だ。

それにしても、水戸駅前はビックカメラとヤマダ電機が向かい合わせに建っているが、また激しいケンカするもんだなあ。


簡単に朝マックして、JR常磐線で隣の勝田駅に。

ここでひたちなか海浜鉄道に乗り換えるのだが、ひたちなか海浜鉄道湊線ではICカードが使えない。
なので勝田駅で一度改札を出て、磁気切符を買って再入場、湊線ホームに向かったら目の前で発車されてしまった。それで40分ほど待ち。
実際は、湊線の改札口にICカード集札機があったから、一度出場するなんて手間かけなくてよかった。そうだよねそれくらいのことはやってるよね。

言い訳なのだが、改札内に改札がある駅は関西にはあんまりない。
すぐ思い浮かぶのは、南海本線和歌山市駅改札内のJR紀勢本線改札くらい。
しかしこれはどちらの路線もICカードが使える。改札機はあるけど、これは私鉄-JR間の乗り換えになるからそれを記録するためのもの。これはこれで、磁気券の改札機もあるわ、横に素通り通路があるわで複雑なのだが、それゆえによほどイレギュラーなもんに見える。

勝田の駅前は、寂れている感じはないけれど、ちょっと観光するようなものがある場所ではない。商店街も駅からは見えなかったし、あってもまだ開店する時間じゃなかった。
コンビニで土産物など冷やかして、やっぱり納豆が多いななどと思いながら時間待ち。


常磐線普通列車。
ところで、常磐線の快速ですらない普通列車が10両編成で、しかもグリーン車があるというのは驚いた。
東京の方まで直通してる車両なんだろうか。


ひたちなか海浜鉄道湊線には、キハ20型とかすごい古いものもあるらしいが、主力として走っているのはこのキハ3710型だそう。わりと新しい車両だ。

駅名票がおもしろデザイン。
ちょうどみなとメディアミュージアム(MMM)というアートイベントの開催期間で、駅や近辺で色々やってるようだったが、このあたりはアート好きの気風があるのかな。

車内には観光客らしい人も多く、そういう人たちも含めて多くは途中の那珂湊駅で下車。
私はとりあえず端っこの阿字ヶ浦駅まで。


阿字ヶ浦駅にこういうポスターがあって、これもMMMの展示品だった。
各駅にそれぞれ駅の風景と少女を描いたポスターが掲示されているらしい。

駅から、もう少し北の国営ひたち海浜公園への無料シャトルバスが出ていた。夏場限定の運行かな。


はい到達。
ここからしばらく園内を散策。


途中で「歴史ギャラリー」というところを見かけて入ってみれば、かつてこのあたりは旧陸軍水戸東飛行場や、戦後は米軍の射爆場になっていたという歴史が解説されていた。
昔聞いた時にあまりにも印象的だった米軍機母子殺傷事件も、ここで起きたこと。
他に100件以上の誤爆と、なぜだか機銃による誤射も10件以上、それでついに抗議運動が起きた末、71年に停止、73年に返還となった。
射爆場に潜入して、超低空を飛行してくる爆装したF-105Dサンダーチーフを画面いっぱいに捉えた写真なんて展示されていて、ちょっとなかなか他では見れそうもない。

なにぶん不発弾やら山ほど埋まってる土地だけれど、人が立ち入らないおかげで生態系が保存されていたそうで、そんな土地を20年くらいかけて公園に仕上げて、1991年に開園した。

見晴らしの丘。標高58m、ここがひたちなか市最高高度らしい。
古民家・旧土肥家住宅。
PENTAX Q10のボケコントロールを使ったら変になっちゃった。

木材の鑑定により、1600年代中頃の建物とわかっているそう。母屋と隠居屋の二棟。
どうもこれからさらに古民家を増やすらしく、これが第一弾として、もっと時代の新しい民家を置いていき、農村の時代の変化を見られるようにする予定とのこと。


こちらは里の家と名付けられ、那珂川を挟んで南の水戸市側、旧常澄村にあった農家を移築したもの。
古民家というほどじゃないけど、まあ私が子供の頃はこういう家に住んでる同級生もいたな。

公園には遊園地的エリアもあり、観覧車が遠景できる。
見晴らしの丘から南へ行くと、砂丘ガーデンというところがある。
が、どうもこのへんはわりとほったらかし感もあるような……
ひまわりのこの種の抜け方は人の手だろうか、愛すべき偶然だろうか。
公園を出て、歩いて駅の方へ。
さらっと書いてるけどそこそこの距離になっちゃうので、無難にはバス使うほうがよい。
ただ、バスが主に勝田駅方面のようで、那珂湊に行きたいとなると阿字ヶ浦駅に戻るべき。
それならシャトルバスを待つしかないが、これは湊線の運行に合わせて発着するので、40分に一度くらいの乗車機会。


もう少し早ければ海水浴場が開いているのだけど。
阿字ヶ浦総鎮守、堀出神社。
堀出神社拝殿。
堀出神社は単立の宗教法人になってるようで、ウェブサイトに由緒の説明もあるんだけど、なんかよくわからない。
黄門様がここの遺跡を発掘したら、酒列磯前神社のものらしい出土品が出たことから、掘り出したから掘出神社となった、くらいのことでいいだろうか。(だったらなぜここが酒列磯前神社にならなかったのかは私にはわからない)


干し芋の神様・小池吉兵衛氏の銅像。
茨城県は干し芋のシェア8割を占める大干し芋産地。
それはこの小池吉兵衛氏が、明治時代に郷土に殖産するべく蒸切干甘藷の製造をはじめ、技術向上から販路拡大まで行って大産業に育て上げたことに始まる。


阿字ヶ浦駅にちょっと戻って。
蒸気機関車時代の給水塔が見える。小さい気もするが。


再び海の方に歩いて行くと、なんだか奈良や藤井寺で見られるような丘があるぞ、と思ったら、川小塚古墳という前方後円墳だった。
墳丘長85mとそこそこのサイズで、那珂台地では最大のもの。5世紀後半頃のものと、関西のものよりはやや時代が新しいか。

遠く阿武隈の山地も見れた絶景というが、この向きでいいだろうか。
海の近くの小高い丘に、比観亭跡というところがある。
水戸藩六代藩主治保公が酒列磯前神社を参拝した際、この丘からの眺めに感じ入り、自分で9尺四方の土地を区画して東屋を建てさせた。
建物はもうないが、立原翠軒の手による扁額が酒列磯前神社にあるらしい。

さて、一応阿字ヶ浦での最大の目的地だった酒列磯前神社にやっと到達。

なんというセンス。
この社叢が見事で、県指定天然記念物。
水戸斉昭公の腰掛石。
拝殿。
酒列磯前神社は、少彦名命を祀る。延喜式内名神大社。
平城宮と交流が盛んだった、菅公や本居宣長など国学者にも愛された、水戸藩の崇敬厚かった、明治の頃には国幣中社で天皇からの奉幣を受けていた、と、色々誇ることがあるようだ。

大洗にある大洗磯前神社と対になった神社で、大洗で少彦名命、酒列で大己貴命を祭って互いに分祀している。
親子神だからセットで祀られることは多いけど、こんな形でふたつの神社をつないでいるのは、まあそう多くはないと思う。
よって、神社好きであれば大洗に行くならこっちにも寄っておくのが正義。

ここからは、磯崎駅のほうが近い。

この見事なローカル無人駅テイスト。
駅の待合には、地元小学生が酒列磯前神社や、ホテルニュー白亜紀を紹介する手書きの案内が掲示されていた。

しばらく待ってやってきた車両に乗り込んで、那珂湊へ。

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