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2015年5月10日日曜日

泉南のGALAXIAN3

私の出身地は大阪泉州。
実のところ、私は地元のあのガラの悪い下品な気風は大嫌いで、あそこに生まれてよかったことなどほぼなかったと思ってはいるのだが、たったひとつだけ、例外があった。

自転車でいけるところに、ギャラクシアン3があったのだ。




ギャラクシアン3というのは、まあ70年代に生まれていれば説明なんかいらないと思うのだが、逆に1990年に現れたアレを見ていない世代には、あんなものが本当に開発されて建造されたのが想像の埒外かもしれない。

でまあ、Wikipedia見ながら記憶を足して説明するのだが、1990年に大阪で開かれた万博「国際花と緑の博覧会」で初公開された、一応まあ、3Dシューティングゲームか。
しかし、今日日ゲームセンターにあるようなレベルのもんじゃなくて、プレイヤー数28人。
28人のプレイヤーが外向きにまるく座るように座席が配置され、外周にはプロジェクターで投影された360度全周モニター。
異常なまでの超大規模ゲームだった。
そんなのだから、規模も接地面積もアーケードゲームというレベルじゃなくて、今ならUSJにあるアトラクションみたい。

宇宙戦闘艇「ドラグーン」の銃座に着いているという態で、人類に攻撃を仕掛けてきた敵を迎撃するという90年代らしいSFストーリー。
ドラグーンの操縦は自動で、プレイヤーはただガンナーとして敵を撃つだけ。
ぶっちゃけ、運が悪いと後部銃座に座ってしまって、後ろ向きに進む画面で戦う羽目になったりもするけど。
しかもドラグーンの飛行にあわせて、フロア自体が油圧で最大2mの上下動し、傾く。

画面も、1990年という時期には黎明期のポリゴン3D。まあすべてリアルタイム処理してたのは最初の花博のときだけで、あとはLDで背景を流していたらしいけど。
1998年 (誤記訂正) 1988年のナムコ「ウイニングラン」くらいからポリゴンゲームは始まってはいるのだけど、家庭ではやっとスーパーファミコン発売という世代で、ポリゴンゲームに触れること自体が特別に思えるような頃、360度全周超大型モニターで3D。

PCでさえPentium 2がハイエンドの頃だから、こち亀で両さんがハイスペック自作PCを組み立て、中川に「3Dだって楽々ですよ」などといわしめたあたり。(上のウイニングラン発売年書き間違いに伴う誤記のため削除)
PCでは、Intelが80486を発売したのが89年のようだが、90年では日本で主に使われていたPC-9801にi486搭載機はない。386DX-20MHzのPC-9801DAあたりが最新モデル。
また、富士通FM TOWNSが89年に、シャープX68000が87年に登場して、国産16/32bit PC御三家が出揃ったくらいの頃。

おそろしく贅沢な、アーケードゲーム業界に咲いた大輪のバブルの花みたいな代物で、花博の後は、同じくナムコがやっていたテーマパークであるワンダーエッグに移設された。


で、28人仕様のフルモデルは、あいにく2館しか建造されなかったみたいなのだけど、少しスペースと仕様を落とした16人版があった。
銃座が2人座席8つに変更され、フロアの稼働は銃座だけ動くように簡略化された。

といっても、「ゲームセンターにあるもの」としては完全におかしい巨大さの代物には違いない。
当然、どこにでも置けるものではない。費用だって億かかると思う。

この16人版は、難波にあったナムコ直営のゲームセンター・プラボ千日前とか、姫路セントラルパーク、それと相模原のジャスコと、そして私がよく行っていた、泉南スカイシティにあった。
泉南スカイシティは、和歌山発の関西ローカルスーパーマーケットチェーン「オークワ」の大型店舗。
週末に家族が買い物を兼ねて遊びに来る、今のイオンモール的な楽しまれ方をする施設だった。

泉南スカイシティは、2014年についに閉店。
21年の営業期間だったとのことだったから、できたのは1993年だ。
ギャラクシアン3も、93年に導入されたと見ていいだろう。


93年って、「ストリートファイター2」からの格闘ゲームブームが猛烈な勢いになっていた頃。
90年までは、ゲームセンターは不良が集まる怖いところだから、まっとうな中高生は近づかない……っていう感じだったのに、91年のスト2以後は逆に、中高生はもちろん、小学校高学年くらいでさえこぞってゲームセンターに集結するくらい流れが変わった。
だから、駄菓子屋やおもちゃ屋の店先にもスト2や餓狼伝説のゲーム台が並び、田舎でも当たり前にゲームセンターが開店して繁盛し、スーパーのゲームコーナーも何より格ゲー対戦台を並べるのが当たり前、という状態に。

そんなわけで、ギャラクシアン3のような超大型ゲームを入れてしまっても、なんとかなりそうに思える空気だったのかもしれないな。

泉南スカイシティは、当時としては大型ではあったけれど、今のイオンモールほどでかくはない。
それでも、ほとんどワンフロア占領するほど広々としたナムコランドがあったのは、当時のゲームの勢いを物語るのかも。
一応、子供向けの乗り物とかスイートランドなんかもたくさん並べていたのだけど、高い天井だからってモノレール作って上から遊覧できるようにしてるような、妙に過剰投資な店で。
まだ残るバブル景気の勢いだったのか、あるいはゲームバブルの勢いだったのか……


で、93年時点って、私はまだ中学生。インターネットなんてものもない。
情報源としては、格闘ゲームの記事を目当てに読んでいたゲーメストがあったけど、さすがに93年ごろに90年リリースのギャラクシアン3をそれほど取り上げていたとは思えない。
だから私には、それほど興味のあるゲームではなかった。
ただただ、なんだかものすごいゲーム置いてる、という圧倒感だけ。

人々にも、花博に行ったり、テレビや雑誌で断片的に見た記憶があったのだろうか、またできたばかりのスカイシティの集客料もあってか、ギャラクシアン3を遊ぼうとする老若男女の大行列ができた。
スーパーのゲームコーナーに超巨大ゲームが置かれ、それに何時間待ちという行列を作ってプレイする、という、色々おかしい光景。

並んで待って入場すると、着座前にモニターの前でブリーフィング。
「コードネームM8774C・プロジェクトドラグーン」って今でも覚えてるな。
最近はアトラクションとか、時には美術展などでさえ冒頭に映像ブリーフィングがあるのは多くなったけど、私には多分これが初めての体験。

それで、複座の銃座席に上って。確かわりと高かった。まあ上下動するようになってたし当然か。
縦に握って人差し指と親指にトリガーがあるガングリップが、両手用でついてる。これを動かせば照準も動く。
ゲームが始まったらあとはシンプルで、目の前を飛び交う敵機をとにかく撃ちまくる。
残弾もないし特殊アイテムもない、ルール的にはシンプルなシューティングだけど、何しろ座席ごと振り回されながら、全周の大画面に向かって16人がかりでやる。

最後にキャノンシードなる、敵基地の中枢みたいなところに飛び込んで、プレイヤーたちの周りをぐるぐる回るスパークビットなるものをとにかく壊して、規定以上壊せれば勝利、足りないと敗退。
慣れた人が多いと勝てるんだけど、ふつうの人らとやったら結構負けてたような。


やってみるともう、すごい体験だったな。
今だったらUSJにでも行けば、規模や技術的にそれ以上のものは味わえるんだろうけれど、この規模のポリゴンシューティングを1993年に、というのは何もかもが規格外で。
最先端技術であるポリゴン3Dによる見たこともない画面が全周に、すごい勢いで飛び交っている中に自らガンナーとして参加できるんだから。



……でも、このウルトラなゲームを、一度二度プレイして終わっていれば、「すさまじいゲームをプレイした特別な記憶」となってたんだけどね。

ナムコ・ワンダーエッグとか、プラボ千日前だったら、近くの人が飽きるまで、遠く東北九州から一度はやってみたいと、ゲーム好きの人が長らく集まり続けていただろうと思う。
しかし、他所の人がくる理由のまったくない泉南市の、オークワのゲームコーナーに、そういついつまでも大勢の人が詰めかけるとはいかなかった。

何時間待ちが15分待ちになり、ほとんど待たなくてもよくなった。16人揃わなくもなった。
やがて、待ち人ゼロになり、入り口に常駐する係員もいなくなって、ほとんど誰もやらなくなった。
誰も来ない客を待つ無残なギャラクシアン3は、ついには電源を落とされて客が来たら起動するような有り様に。
(あの大規模なゲームをすぐ起動・終了できるものかわからないので、電源落ちてたのは私の覚え違いかもしれない。明かりの消えた筐体とか、遊びたいといったら起動待ちっぽい時間があったような記憶があるんだけど)

プレイ料金もだんだん下げられて、最終的に200円になってたかな。


で、私は、そんなギャラクシアン3にもののあわれでも感じてたのだろうか、これをひとりでプレイするのが好きだった。
200円でひとりのために動かしても赤字になると思うんだけど、まあそれは私のせいじゃない。

90年代の傑作シューティングゲームに、タイトーの「RAYFORCE」があるわけだけど、私あれ大好きだったのね。
ゲームとしても傑作だったのだけど、バックストーリーが、「地球が知能を持ったコンピューターと機械によって占拠され、人類は月に逃れた。地球奪還のために、最終兵器として開発された戦闘機X-RAYで出撃するも、目の前で人類の宇宙艦隊は壊滅。もはや勝利したところで帰るところもないままに、たった一機で地球の最深部へと向かう」というような、実に中二病で超クールなもんだった。
筐体ひとつでやるシューティングの中じゃ、今でもあれが一番好きだな。

ギャラクシアン3は、そこまで人類が壊滅的って感じではないストーリーだけど、これがひとりでプレイするとなると俄然雰囲気が変わってくる。
16人なり28人なり揃ってプレイするなら、火力で真っ向勝負して陥落させたキャノンシードに星条旗立てて拳を振り上げたりしたくなるような、ハリウッドっぽいパワフルな雰囲気さえある。
でもひとりだよ。
あの広くて暗いドラグーンの砲塔で、他の射手もいないとなると、これはもう人類は壊滅寸前としか思えない。
軍勢を編成して交戦するような余力もなく、生き残りの少数の人間がどうにかこうにか、壊れずに残っていたドラグーンを発進させた。
私はたったひとりで砲塔に向かって、まだ生きている銃座で絶望的な抵抗を図っている。友軍はいない。隣の機銃を操作する仲間さえいない。
このシチュエーションしかないね。

プレイヤーが少ないと難易度も調整されるみたいで、スパークビットの撃破はひとりでやってもちゃんと可能。
でも、人口の9割を失い文明を破壊され尽くした人類に、もはや未来など残っていないのだ。

というような設定を考えていた。
という話を今考えてみた。


まあ冗談はともかく、これほどのお化けのような代物でさえ、数年の時を経れば見向きもされなくなる諸行無常な雰囲気とか、あれだけのものを独占して遊べる贅沢なような寂しいような感覚とか、なんとも詩的なものがあったな。

ギャラクシアン3をプレイしたことがある人は多いし、何度もプレイした人だって、住んでいる場所がよかった人がそれなりにいるはず。
でも、ひとりプレイを何度も繰り返す、という環境に恵まれて、実行した人はさすがにあまり多くないだろう。



私も高校生になって、遠く大阪市内の学校に行くようになってから、泉南スカイシティからは足が遠のいた。
ふと気が付くと、あの巨大なギャラクシアン3は撤去されてしまっていた。
いつごろのことだったかはわからないなあ……。

ナムコランド自体はあいかわらず、広さは変わらなかった。
しかし、入っているスカイシティ自体の経営が怪しくなっていった。
泉州地方は、90年代にスカイシティのような大型スーパーマーケットが多数オープンしたのだけど、21世紀にはどこも老朽化で客を減らしていった。
スカイシティは特に、近くに2004年、イオンモールりんくう泉南が輝かしくオープンしてしまって、建物の作りも入ってる専門店も90年代センスだったスカイシティでは、まったく太刀打ち出来ない。

私も長らく、スカイシティには見向きもしていなかった。
私は地元に友達なんかいないので、高校入って以後、遊びに行くとなったら高校の友人と阿倍野や難波に行く。
ナムコランドは健在だとはいえ、いまさらゲームをやるためだけにスカイシティにひとりで行こうとは思わなかった。


私が突然学生に戻った2013年、一回りも下のクラスメイトが「スカイシティもうすぐ閉店する」という情報をくれて、久しぶりにいっしょに行ってみた。

老朽化した建物に、地方都市の商店街みたいなシャッター街と化した専門店エリア。
昔いろいろあったはずの飲食店も壊滅状態で、やってるのは1軒か2軒か。
3階までの吹き抜けの下がフードコートになっていて、噴水のある池に高い椰子の木が立っていたんだけど、フードコートの店がすべて閉店していてただの休憩所に。暗い厨房がシャッターもなく晒されていて、不気味なくらい。
椰子の木は健在だったけど、噴水からは水が抜かれていた。
元々食品スーパーを多く経営しているだけあって、食料品売り場にはそれなりに客がいたけど、やはり壊滅的な状態なのは見るからに明らかだった。

ナムコランドも、やはり干からびていた。
案外きれいに掃除はされているものの、どうにも古臭いのが否定しがたい、他所で役目を終えて流れてきた感じの大型筐体ゲームが、広々とスペースをあけて置かれている。
ビデオゲームは、特に記憶に残らないようなゲームがあったくらい。
太鼓の達人だけ新しかったのはナムコだからと思うけど、最新ではなかったのかも。
子供向け遊具のエリアも、かつて走っていたモノレールは当然、動かぬオブジェと化していた。

クラスメイトの若い子が子供の頃に好きだったゲームがまだ残ってる、というから、何かと思えばトーキョーウォーズ。95年のゲームだよ……
対戦して、負けた。


もう、スカイシティは予定通り閉鎖された。
別にスカイシティもナムコランドも、名残が惜しいとか、なくなってほしくないというような思いいれもなかった。
ただ、あのギャラクシアン3と濃密に付きあわせてくれたことだけは、泉州の数少ない良い思い出。
なぜあそこにギャラクシアン3を入れたのか、理由がまったく想像できないんだけど、でも、ナムコありがとうとはいわなくちゃいけないなあ。