最近私の中で今頃韓流ブームがきてるので、韓国ラーメンやら韓国海苔やらよく食べるのだけど、韓国映画はこれが初めて。
たまにテレビでやってる時代劇らしい韓ドラをちらっと見たりすることはあるけど、なんかこう、部屋や屋内のセットの使い方が独特というか、四角い部屋の壁ひとつ取って真横からまっすぐ撮ってるようなシーンが多いなあ、と思うくらいで。
あれだと吉本新喜劇か、あるいは志村けんのだいじょうぶだぁみたいに見えちゃうけど、あれはああいう様式なんやろか……
さてどんなものが出てくるのだろ、とテアトル梅田に行ってみると、予想以上の人気ぶり。開演一時間くらい前だというのに最前列しか空いてない。そして程なく立ち見から札止めへ。
最前列ど真ん中に陣取って、しばし待って劇場へ。
そうすると、テアトル梅田の最前列って、スクリーンの位置がかなり高いね。すごい見上げる。私は背が高いから、座って背もたれに首を預ければ大体いいんだけど、
ここのところ、テアトル梅田は予告編に興味深いものが見つかって連続鑑賞してたのだけど、あいにく今回はあまりピンと来ず。うーむ。
で、本編を見て、と。
想定した内容としては、まず北朝鮮から偽装家族として韓国へ送られたスパイ一味が、たまにバレそうになったりして慌てて誤魔化すコメディ。
しかし、隣の韓国人一家と交流を持ってしまううちに情が移り、共和国への忠誠心と、知ってしまった南の人々の姿との板挟みになる、分断国家の悲哀というか、政治的な物語。
さらに、板挟みの末に何らかの別れのシーン、予告でも「隣の韓国人一家を皆殺しにしろ」と命令を受けていたから、まさか本当に殺すのか、それができなくて隣の一家のために祖国を捨てて粛清の追手から逃げる道を選ぶのか、あるいは黙って北へ帰ってしまうか、なにかそういう別れの悲劇みたいなのがあるのかなと。
その想定は、まあ、コメディかつ政治的かつ悲劇、という枠組みくらいは合っていたけど、中身は思ったものとはかなり違った。
まず全体的に見て、やっぱり素朴というか荒削りというか、そういう感じはした。
というかあれだな、私が見慣れてるような日本のアニメやドラマや邦画なんかで、泣けるシーンと笑えるシーンが交錯するようなタイプの作品だったら、ここは笑うとこです、ここは泣くとこです、と、わかりやすい。
例えば、予告編では笑うところっぽく見えていた、隣の韓国人一家が急に訪ねてきたから慌てて首領様&将軍様&元帥様の肖像画を隠すシーン、本編だと意外に笑いどころっぽくはなかった。
急に訪ねてくるとわかった、慌てて肖像隠した、そして迎え入れた、それだけの感じ。
急に訪ねてきた、やばいバレるあれ隠せこれ隠せてんやわんや、強引に入ってこようとする隣人一家を玄関で食い止める、散らかってるくらい気にしないわよと無神経炸裂する隣人、突入されるとほぼ同時に将軍様肖像を抱えて別室に脱出、申し訳ありませんと肖像に謝罪して何食わぬ顔でリビングに戻る、そして団欒のパーティーが始まる、でも肖像を隠してる部屋を気にしすぎて何隠してるのと興味を持たれ、またそれを必死でごまかして……と、日本人が作ったらこんなことやっちゃうと思う。
しかしまあ、そこまでわかりやすくしてやらにゃ笑えんのか、と、思わんこともない。ちょっと正直、最近の日本のテレビドラマ、コメディ"タッチ"でいいところをあまりにも丸出しのギャグにしようとして異様に見えることあるし。
それにこの映画の場合は、「北の工作員」という存在が、あまりギャグっぽくなってしまってもいけないと思うから、やりすぎるわけにもいかない。
ただまあその、隣の韓国人一家の夫婦げんかの叫び声が筒抜けに聞こえるくらいのところで、結構な大声をあげてスパイ一味のリーダーが他のメンバーを叱り飛ばしてたりして、これ隣にバレてんじゃないのかと思えちゃったりはした。
てっきり、実は隣家にバレてたんだけど黙っていてくれて……という展開かと思ったらそうでもない。
あれだけ大声で叱りまくったり、ベランダに出てスパイ生活の愚痴や北で事実上の人質になってる家族を思う嘆きやらを語り合ってたり、そういうのは何の問題もない行動だったことになる。問題に見えたけど。
結果的に「間抜けな工作員やな」と思わなくもなかったりして、やっぱりちょっと、素朴というか荒削りだなあ、というのはこのへんの感じ。
しかしながら、「北のスパイ」として共和国から命令されて実行する諸々の活動というのが、ちょっと日本人の私には予想できなかったハードさ。情報収集くらいかと思ったら、反共和国分子の暗殺もあたりまえ。
そしてそこまでハードな活動を、自分がやらなければ北に残した家族の安全が脅かされる、という一心で実行していくスパイ一家。
最後まで見たら、家族愛と人への情がテーマの映画なんだろうと思ったけど、ここまで強烈に家族愛に縛られる人たちを設定できるのは、あの北朝鮮を韓国から見ていてこそ出てくるのかもしれないな。
また隣人の韓国人一家が、連日夫婦げんかで家庭崩壊寸前、子がギリギリのかすがいだけど、その子ももう両親にうんざりしているような、かなり酷い家族。
スパイ一味が彼らの姿を見た最初の言葉が「これが資本主義の限界だ」で、その後もずっと家庭環境が改善したりしない。
だからスパイ一味は、単に南朝鮮の豊かさと幸福を目の当たりにして、北の生活が色あせて見えた……なんて単純な心変わりをするわけでもない。
この隣人一家の設定は、家族愛についてぐっと深みを出したと思うし、隣の奥さんの、まあ率直にいってクソ女っぷりがかなりわかりやすい笑いどころにもなっていたし、実に良かったな。
終盤の大きな展開は、家族と隣人への情ゆえに起きてしまい、情ゆえにどんどん悲劇に転がり、そして情ゆえにたった一歩だけ踏みとどまる流れだけど、これは徹底的に情を描き切った感じでよかった。
映画にこめられた政治的メッセージも、その最後に踏みとどまった一歩に込められてる。その一歩って、終盤の悲劇の最初の一歩でもあったから。相当ダイレクトな描き方だったけど、だから勢いと力があった感じ。
初めての韓国映画だったけど、こんなふうに「北朝鮮のスパイ」というものを描けるのは韓国人だけだろうなと思えたし、最初の一作としていい選択だったな。