私は、映画館から出てきたら大抵は「面白かったー」といってる幸せ者。
けっこう物語に好き嫌いがある方だと思うし、マンガや小説やアニメなんかだと嫌う作品も実際多いんだけど、映画だと不思議に嫌いな作品に当たらない。
なんでだろう、といえば、まあ映画だと十分好みと思われる作品でないとチケット買わないから、というのはもちろんある。
それに加えて、「こういう作品ならこういう内容でないと嫌だ」というような、こだわりを持って映画に臨むことが少ないからだと思う。
前に観た「アクト・オブ・キリング」はもう大傑作だったけれど、こんなテーマの作品が相手だと、予断のしようがなかった。
その前の「ラッシュ/友情とプライド」も、「ラウダはこうでないと許せない」とかそういうのはない。まあラウダの時代を観てる年齢じゃないんだけど。
アクション映画でもハリウッド風大破壊映画でも、大体なんでも、特に「こうあってほしい」という予断は持たない。
まあ、たまに予断を持ってしまう場合もあって、そういうときには期待はずれと思えてしまうこともなくはない。
「隣の家の少女」は原作ファンだったから、映画は主人公が半端に改変されて、原作小説の持つおぞましさを大きくスポイルしていたのが正直物足りなかった。
「ぼっちゃん」に至っては、秋葉原通り魔事件の犯人をテーマにしていながら、彼と向き合うことから逃げていて、単に凶悪犯を客寄せにしただけの筋の悪い作品としか見えなかった。
そして「ディス/コネクト」はというと、これは予断を持って観た側の作品だった。
まあ、ネットをテーマにした映画となれば、もう人生の半分、15年以上をネットと共に過ごしてる私が、予断持たないわけにもいかない。
持った上でこの映画は、テーマにしっかり向き合ってる良い作品だと思えた。
映画のストーリーは、大きく三つの話がからみ合って進む。
子供同士のSNS経由での悪質な嫌がらせのせいで、少年が自殺未遂に追い込まれる話。
チャット経由で知り合った人からクレジットカードや銀行口座の情報を抜かれて、全財産を失う夫婦の話。
ポルノ系のライブチャットに出て暮らしている少年と、それを見つけてドキュメンタリー番組を作ろうとするレポーターの話。
舞台はアメリカだけど、日本でもある話ばっかり。
さすがに児童ポルノの被害者は知り合いにはいないけれど、時々捕まる奴のニュースを聞いて、そういうのがあることは知れる。
全財産を奪われるほどの酷い犯罪被害者はやはり知り合いにはいないけれど、程度問題に過ぎない。企業が個人情報を流出させたことなら私もやられたことがあるし、あるいは下手なことしてウィルスやら不正アプリやらを踏む知り合いは数知れず、まさかあの人がという人もやってるから、私もそのうちやらかすかもしれない。
ネットでのいじめ・嫌がらせなんてもう、たまたま自殺に至らないだけで、そこらじゅうでやってる。自分がなにしてるかわかってるんだかどうだか、喜んで加害者やってる奴が身近に現れてしまったりもする。あんまり酷いと縁切るけれど、自分だって過去に遡ればいろいろあるだろうしなあ。
もしこの映画を観て、「そうかネットというのは怖いものなんだなあ、気をつけないと」というような感想を持てる人は、まあ幸せな人。
ネットが悪用されて、人の生活を破滅に追い込むこともあるということを、知らない、あるいは自分とはあまり関係ない遠い話だと思ってるからそういう感想なんであって、それはそのまま、そして今後も被害に遭わずにいられるならその方がいい。
悲しいことに、こんな嫌な話が今日日のネットにはゴロゴロしてることをよく知ってしまっている私たちにとっては、この映画はどうなのか。
「ネットではこういうことがざらにある」ということを知っているんだから、もちろんリアルに思える。
酷い目に遭った人たちのその後の行動、あるいは加害者の方の事情の描かれ方も、劇的ではあれ嘘くさくはない。特にネットいじめの加害者側が、悪ふざけが行き過ぎていく過程といい、行き過ぎてしまってからの行動といい。
まあ、ちょっと技術的にそれは無理があるんじゃないか、と思えるような部分がないわけじゃないんだけど、それは枝葉末節。
もちろん、リアルだからそれでいい、ということでもない。
ただ単に「ネットっていうのはこんなに危険で怖くて嫌な世界なんですよ」というだけの話だったら、「そんなことわかっとるわ」と思うだけで、そう大して面白くもない。
ネットで酷い目に遭ったけどどうにか切り抜け、今まで見失っていたものも取り戻してハッピーエンド、というような話だったら、まあ文句はいわないけど、「普通に面白い」くらいの感想になる。
あるいは何もかも手遅れで、事件の被害を取り戻すこともできず、悲惨な現実だけが残る……という話でも、まあリアルだと言い出したらそれがリアルだろうけど、映画としてはなあ。
この映画は、「物語の結末をぼかして想像に任せる」というより、さらにその数歩手前くらいに思えるところで、スクリーンで語る話を打ち切ってしまう。
事件はまだ解決していない、問題も解消していない、受けた損害は回復されていないし傷も癒えていない、家族の絆は取り戻せたのかもまだわからない。
でも、その後にもまだ物語はあるはず。
「これから最悪の事態には至らず、不運を切り抜けてハッピーエンドに向かう」と考えることも、「結局最悪の事態に至って、誰もかもが破滅してしまう」と考えることもできる、それだけの材料だけを提示したところで、スクリーンにはスタッフロールが流れる。
ところで、私も「今のネットならこんな酷いことはいくらでも起こる」という現実を知ってしまっている。
いろいろ便利なサービスが整備されて、何をするにもすぐ簡単にやりたいことができるようになったけど、いきなり悪意を人に向けることすらすぐ簡単にやれてしまうようにもなった。
床下一枚下には誰のとも知れない悪意が渦巻いていて、時に噴出して不用意な人が飲み込まれるのをしょっちゅう見せられる。
ああはならないようにしないと、と気をつけて、下手に他人を刺激せず静かにニコニコ過ごしていなくちゃいけない。
床下に悪意を吹き込んでる奴も誰か居るはずなんだけど、そういう奴らはこそこそやっていてすぐには見えない。こそこそやる方法も充実してるから。誰がやってるんだろう。案外身近な友人や家族かもしれない。
こんなもんに関わらないほうがいいんじゃないか、とは思う。
しかし、今日日ネットなしではあんまりにも不便だ。今更手放すのも難しい。
どうしても付き合っていかなくちゃいけない。
「ディス/コネクト」の語られない結末を、ハッピーエンドと信じるか、バッドエンドだろうと思ってしまうか。
映画自体の中にはその答えはない。
そうすると、結末は私自身の中から出てくる。
ネットは酷いものだけど、それでも人にとって何か意味のあるものであってほしいなら、ハッピーエンドを願う。もうネットに失望と諦めが強いなら、バッドエンドが思い浮かぶ。
映画を通して、自分のネットへの目線を再確認させられる。
月並みな感想文に「考えさせられる作品でした」なんてフレーズがあるけれど、この映画はまさしくそれだった。もう少し正しく言えば、「何を考えているを見せてくれる作品」か。
私にとっては、見る前に持っていた予断を大きく上回って面白い、素晴らしい作品だった。
まあ、しょっちゅうザッピングしながら複数の話が平行する、ちょっと油断するとわからなくなりそうな構成で、私も外国人の顔の区別が怪しいからかなり頑張って観てたし、わかりやすくはない。
多分、ある程度ネット漬けになっているか、なったことがなければあまりピンと来ない話だろうから、客を選ぶ。
でも、この映画に選ばれるべき客なら、観に行く価値は大いにあると思う。