持ちだしたカメラは、リコーRDC-5000。
1998年まではDC-xxシリーズだったが、1999年からはRDC-xxになった。2001年からはおなじみのCaplioになる。
DC時代のリコー機は、回転レンズとかオペラグラススタイルとか個性的なデザインだったが、RDC初号機のRDC-5000は、フィルムカメラのようなオーソドックスな形状で出てきた。
しかしオペラグラススタイルは消えたわけではなく、RDC-700になり、Caplio RR1となってその後も続いた。
間違って東口から出たりしなければ。
公園に入ると早速桜並木。
桜の写真はどんどん並べる。
しかし並べると凡庸な写真であるなあ。
桜の歌といえば、香港跳舞王・郭富城の「Para Para Sakura」に如かず、「なんですくぁー? さくぅーらー」と口ずさみながら花を愛でる。
途中に桜宮神社があるので、そちらに寄ってみた。
元は野田村にあったが、1620年の大和川洪水で流され、このあたりに漂着したからそこに再建した、のだけど、また大水で流されかねない低地に建てていたので、1756年に現在地に移転。
現在地は、河川敷の桜之宮公園ではなく、堤というか、一段高いところにある。公園以外の街自体が一段高い感じだが、上げてるのかな。
その後、河川敷は明治になってまた洪水にあって荒廃したというので、防災は予知が大切。
桜之宮公園に戻ると、白妙という品種のサトザクラがあった。
花が真っ白で大ぶりで、全部下むいてついている。
ちょっと遠目に木の色が違う桜があったが、なんだろう。オオシマザクラかと思ったけれど、オオシマならもっと葉が出てるような……
藤田邸跡公園に立ち寄ろうとすると、結婚式らしい一団がやってきて入れなかった……と思ったら意外とすぐ立ち去ったので、入っていく。
藤田財閥(現在のDOWAグループ)の藤田傅三郎氏の邸宅にあった庭園を保存・復元したところ。
桜だけでなく桃なども植わっていたり、池もあれば林もある造り。
写真が多いということは絵になるカットを見出しやすかったわけで、そのへんは作った庭師の腕であろうか。
アイドルだかなにかが撮影会みたいなことをやってもいた。
毛馬桜之宮公園を南に抜け、大阪城の脇をどんどん歩いて下がっていく。
大阪城を抜けようとしたら、西の丸庭園の北側がふさがっていて行けず。
狛犬だけ見ていった。
歴史博物館。
特別展・日欧のサムライたちは、オーストリアのエッケンベルグ城・インドの間にあった絵を修復してみると、インドと思ってたら桃山時代の大坂を描いたものだったとわかり、インドの間が日本の間に改められたことをきっかけに開催されたそう。
日欧の16~17世紀の武具・戦術を比較展示する、というもの。
ある程度甲冑を見慣れてしまっている日本人の私には、西洋のプレートメイルはむやみにかっこよくも見えるが、しかし真田信之の兜の前立てがまるでガンダムで、流行を400年先周りして摂取していたと思えばジャパニーズ・サムライのセンスもかなりのものといえるであろう。
それから、常設展内の特集展示として、中村順平・建築芸術の探求というのをやっていた。
私は別に建築に詳しくはないけれど、精緻で幾何学的な建築図面というのは私好みではある。興味を広げてみてもいいかもしれないなあ。
ここから、地下鉄を乗り継いで北浜へ。
北浜駅近くに、少彦名神社がビルの隙間にある。
祭神はもちろん少彦名命、それから中国の神農を祀る。
どちらも薬神で、このあたり、道修町は昔から薬屋が集まるところ。
参道左手のビル、社務所が入っているのだが、そこの三階が「くすりの道修町資料館」となっている。
道修町や製薬業、製薬会社の歴史を桃山時代から現在まで紹介する、小さなスペースだけどなかなか力の入った内容。数ヶ月ごとに展示替えもやって、何度も来ても楽しめる配慮をしてるそう。
そこから中の島まで歩いて、東洋陶磁美術館へ。
特別展はマイセン磁器の300年。
西洋では白磁の作り方は長らく謎で、18世紀初頭になってようやく自作が始まる。
最初は柿右衛門写しなどの中国や日本のものをストレートに手本にしたようなものから始まり、東洋のイメージを絵にしたシノワズリ、東洋で定番だったざくろを玉ねぎと勘違いして描いたブルーオニオンなどを経て独自のものになっていく。
ポーランドのアウグスト3世が求めて作らせた作品など、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーの動物や人物フィギュアが多数展示されていたのだけども、これがすごく面白い。人や動物の動きを切り取る瞬間の選択が抜群にいい。
ここから梅田と難波で買い物して帰宅。
今日のリコーRDC-5000は、地味な見た目のイメージ通りな絵が出る。
すぐ直前のモデルであるDC-4Uは、かなりのハイコントラストですぐハイライトがぶっとび、コテコテに色が乗り、しかしあんまり解像感がないような絵で、なんとも派手だったが、いきなりRDC-5000は地味になっている。
最近このブログに載せる写真は露出や彩度をいじるのだが、RDC-5000で撮った写真は全般にアンダー気味で、色も淡い。そのかわり、酷い白飛び・黒つぶれもない。
位置づけは高級モデルのようなので、「あとでレタッチしろ」みたいな絵作りにしたのかもしれない。
レンズは換算38-86mm F2.8-3.2の2.3倍ズーム。
柄がでかいだけあって明るく、望遠でも広角でも破綻したような写りは見えず。
ちょい広角が足りない感じもあるが、このカメラは画像サイズが1792x1200とアスペクト比が3:2なせいか、それほど望遠寄りには感じなかった。私がもともと38mmとかが好きというのもあるけれど。
ただ、レンズも色調も露出もいいんだけど、どうもエッジ強調の処理におかしなところがあるようで、条件次第ですごい絵が出ている。
桜をちょっと遠目で写すと、等倍でこんなことに。まあ難しい状況ではあるのだけど……
また、後ボケが異様なほど汚くなったりも。普通に綺麗にボケることもあるのだけど。
変なところをエッジとして拾ってる感じだろうか。
まあでも、1999年当時として画質は良い方だろうと思う。
ほぼ同時にオリンパスC-2000Zが出ていて、これと比べると辛いけれど、あくまでC-2000Zが良すぎるせい。
Sモード、という謎の設定項目があるが、これは高感度モードのようで、暗くなるとSモードと出た。
もともとISO100固定で、ExifもISO100としかなってないのだが、暗いところでは明らかにノイズが増えて、そして意外と手ぶれしないので、おそらく増感している。
絞りは2段階とかではなく、もう少し細かい。
広角端でF2.93/4.0/6.73、望遠端ではF3.14/4.29/9.00などが確認できた。4ステップくらいはあるのかな。
別途、開放F値の項目もあったが、これは広角でF2.83・望遠端でF3.03と表示されている。
レンズのスペックは、F2.8-3.2とあるのだが、少しずつ噛み合わないな。
DC-4Uは絶望的に動作のとろくさいカメラだったが、RDC-5000も、撮影後の記録時間はだいぶマシなものの、起動はやっぱり遅い。
スイッチ入れると2~3秒、液晶画面に「WAIT」と出て待機、それからゆーっくりレンズが繰り出す。
しかしまあ、かちっとした機械がゆっくり動くことには私はそれほど嫌悪感は持たないので、今私が使う分には許容範囲。
スライドスイッチが、背面液晶のバリアを兼用しているというのは珍しい。
レンズバリア兼用はたまにあるのだけど。
定価が高くても許される頃のカメラだから、筐体も当然金属でしっかりしてるし、そして重さがかなりある。動作部もヘンにがたつかないし、ボタンなどのタッチもいい。
みっちり中身が詰まってる感じで、遊びで持つにはこれはこれで。実用には、ストラップ千切れそうで怖いけど。
デザインは……なんかレンズが右にオフセットして、なんか不細工にも見えるが、オリンパスC-21あたりと同じで、高級コンパクトフィルムカメラ風を狙った感じかな。
電池は単三4本。
Energyzerの1900mAhなんて時代遅れなニッケル水素電池(現行品。eneloopばっかりじゃ区別つかなくなるのでわざわざ選んで買った。自己放電しないタイプではない普通のやつ)でも、まあ半日使うくらいなら電池減少警告も出なかった。
まあ、4本機は大体どれでも電池は持つ。
総じて、今更使うと普通にまともな、発売当時なら上質なカメラだったんだろうな、というところ。