淡水湖にある島で、しかも有人島というのは日本ではここだけ。
島根・鳥取の中海とか、浜名湖にも有人島があるんだけど、あれらは海とつながってるので。
小さな島の小さな集落なので、泊まりがけではなく日帰り。
JRで一路、近江八幡駅へ。
沖島には、ここからバスかタクシーで堀切港まで移動し、渡し船に乗る。
船は約2時間に1本、目指していたのは12:15発。
バスはわずかに一日5本で、ウェブサイトの説明を見ると、どういうわけかバスが着いた頃には船が出ていて2時間待ちになるように見える。12:15の船にのるなら9:40のバスに乗れ、と……。
4人で出かけていたので、タクシーで行くことに。割り勘ならそう高くもないので。
その前に少し腹ごしらえなど。
沖島には、食事のみ利用できる民宿があるとのことだが、あまり当てにして失敗しても怖いので。
近江八幡駅前にはイオンモールがあったので、入って行くとスガキヤ発見。
いつもながらの軽い味わい。かつおだし。
駅前ロータリーの彫像、なぜかヤカンを持っている。
なんなんだろう……?
少し早めだったがタクシーに乗り込み、堀切港へ。
近畿で最も運転の上品な県といわれる滋賀県。
タクシーも、速度違反せず黄色信号で止まり、狭い道では譲りあうエレガントな運転。
和泉ナンバーなんか非常でもなんでもないパトカーが制限速度無視してることあるのに。
道中は、広い平野に畑がずっと続くような土地。
もともと琵琶湖を埋め立てて干拓したところだそうで、京都の漬物に使う野菜をよく作ってるとか、また今はスイカがよく売られている。道中に農産物販売所がいくつもあった。
タクシーは、30分よりは少し早めに到着。
駅北口から乗り込めば近かったが、うっかり南口から乗って遠回りになったりして、料金は3800円ほど。
帰りはちょうど3000円だった。
バスは690円らしいので、4人以上なら割り勘でリーズナブル。
堀切港の景色を写真で何枚か。
漁港ではなく渡し船の港なので、雰囲気は違う。
魚のにおいはしない。船はいっぱいあるんだけど、これは沖島の人たちの自家用船だそう。一家に一隻くらいの普及率とか。
港に止まっている多数の車も、沖島の人の自家用車だそう。他所の人はこの港に車を停められない。
琵琶湖も場所によっては汚染がかなりあるけれど、このあたりは透き通ったきれいな水。
魚が泳いでいるのも見え、サギが飛んできてでかい図体で立っていた。
猫はちょっと表情いまいち。結構美猫だったのだが。
待つうちに、船が来た。
真昼間の船とあって、観光客らしい人が乗っていく。
船から降りてくるのは、釣り人らしい人が多かった。
釣りに行くのか、釣りを終えたのかはよくわからなかったが、島に渡ってからは不思議と釣り人を見なかったので、終わってきたのかな。
船は小さく、新しくもないけれど、沖島の小学校の行事予定やら、児童の図工の時間に作った作品やらが掲示されているアットホームなもの。
渡し賃は片道500円。
距離はわずかに1.5キロで、港から沖島が見えていた。
沖島からも、港が見えている。
ついた。港を降りたらすぐ漁業会館。
この漁業会館が一応観光拠点になるだろうか。自販機あるし。
自販機は、一応島の中にもいくつかあったけど、どこにでもあるというほどではない。
夏に行くと熱中症の危険もあるので、水分補給は怠らず。
ついた時点では、地元のおかあさんが土産物を売る屋台を開いていたのだけど、帰るときには品切れしていたようで店じまい。ちょっと残念。
よそものが集められていた。
ブラックバスやブルーギルを利用して「よそものコロッケ」なるものを作ってるそうなんだけど、あいにく品切れだったよう。
沖島は意外に平たい島ではなく、東西に山が立っているような地形。
集落は島の南西端にあって、さらに西側にもう一つ小さな山がある。
なかなか写真映りのいい地形といえると思う。
港すぐ近くの漁村の碑。
右隣にあるのは魚介類供養塔。
こっちは島の西端。
ずっと行った先には民宿があるそう。
これだけ見てると海のようだけど、あくまで琵琶湖の中。
道の狭いのも独特の姿。
沖島には自動車というものが走っていない、というか、道幅からいって走ることができない。
原付くらいは走れなくもないけれど、危ないせいか、見かけなかった。
沖島で最もシェアが高いらしい乗り物は、三輪自転車。
なんでことさら三輪が強いのかはよくわからない。転ばないからだろうか、荷物が積みやすいからか。
港の近くは結構な住宅密集地。
家々の隙間を縫うような路地を通って歩いて行く。
郵便局はある。
開いてたらハガキでも自宅向けに記念に送ってみたかったが。
島唯一の神社、奥津嶋神社。
藤原不比等が創建したという、延喜式内社。古くは紫式部が歌に詠んだこともある。
かつては名神大社だったらしい。さすがにそれは規模的に難しい気もするが、本土側にも奥津嶋神社があるみたいで、名神大社はそっちのことだという説もある。
祭神は多岐理比売命。
法元・平治の乱で都を追われた源氏の一族が、船で逃げるときに難破して沖島に流れ着き、そのまま住み着くようになったという伝説があり、珍しい源氏の落人部落ということになっている。
平家の隠れ里は、四国や瀬戸内の離島なんかにぽつぽつあるもんだけど、源氏は珍しい気がする。
まあ昔は琵琶湖は交通の要衝で、船がガンガン行き来してたわけで、いくら離島だからって沖島で隠れ住むのは難しい気もするんだけど……。
と、無粋なツッコミをしてしまうが、私は実は祖先が平家の隠れ里出身で行ったことも何度かあり、あの交通の不便さと比べるとなー、と。
ちょっと高台に登るので、集落が一望できる。
斜面を削った狭いスペースに、社殿が詰め込まれるように入っている。
コンパクトだけどいろいろ作ってるのは、名神大社の誇りか。
神社脇に細い山道があり、階段が上がっていっている。
登った先には、案の定奥宮があった。
地図で見ると、西南の小山の頂上近くにこの奥宮があるようだ。
地面を見ると、そこらじゅうぎっしりとアリの巣穴が開いている。
よくこんなに密集して中で繋がってしまわんな、と思うくらい大量の穴があった。
神社から降りて西へ。
家の隙間にしか見えない路地に、こういう碑がある。
西福寺という真宗のお寺があった。
源氏の落人七氏のうちの一人、茶谷重右衛門なる人物の末裔が、蓮如上人の下で得度して開いたお寺。蓮如の真筆があったりもするそう。
ちょうど西福寺のところを通ると、島を一番短い距離で縦断できる。
港が南にあり、北西側に出られる。
子供が琵琶湖に飛び込んで遊んでいた。十分およげそうな綺麗な水。
こっちがわをずっと行くと、田畑が開梱されたエリアがあるようだ。
ちょっと遠い気もするが、三輪自転車を転がすか、あるいはもう船で行っちゃうのかもしれない。
また戻ってくると、集落の中心らしいコミュニティセンターがあった。
「島学区は、シートベルトカチッと作戦」展開中、という看板があったのだが、でも、シートベルトつけるような乗り物はここにはないんじゃ……
近くにおきしま資料館というのがあったのだけど、あいにくやってる家の方が留守だったよう。
次は、集落の東のほうへ。
三輪自転車。
真新しいのは見かけなくて、どれも結構年季が入っていた。
自転車屋というような店は見かけなかったが、修理する人はいそうなものだけどな。漁船扱ってる人が三輪自転車くらいメンテできるんだろうか。
ここには写っていないが、なぜかシートに四角い缶をかぶせているのがたくさんあった。
猫よけかなんかだろうか。
こういう店があったのだけど、あいにくお休み。
他に雑貨屋らしいのがあると聞いていたんだけど、地図でその場所を通ったけど発見できず。
とうとう最後まで、商店といえる店は見つけられなかった。ないことないと思うんだけど。
消防車、というのは使いものにならない土地なので、消防艇がある。
レンズが広角でよくわからないと思うが、正面に堀切港が見えている。
右手の白い四角い建物は、国民休暇村。
集落の東端あたりにくると、ぱっと開けて、小学校があった。
パノラマの撮れるカメラだったらよかったんだけど、ここは素晴らしい景色だった。
水泳の授業となれば、校舎からグラウンドを横切って、そのまま琵琶湖に飛び込める。
……と思ったら、この広場は学校のグラウンドではなくて、みんなの共用広場だそう。
秋には島をあげて運動会をやったりするとか。
道は2筋あり、ひとつは海沿い、ひとつは少しだけ山手。
海沿いから来たので、山手を戻っていく。
こんな階段がある。
だんだん自然に還りつつあるが、これを上がっていくと……
こんな広場に出た。
ここが、さっきの小学校がもともとあった場所。
古い木造校舎でも残ってたら最高なのだけど、まあ、移転が1995年だったそうなので、20年も使わない校舎維持するのは難しいか。
ここからの眺めもなかなか。
港に戻ってきて、15分ほど潰したら船がやってきた。
2時間おきの船だが、ちょうど2時間あると一周りできる沖島。
もっと離れたところに神社があったり、山に登ってみる道があったりもするので、隅々まで見て回るならもっと時間はかけられるけれど。
近畿圏からなら日帰りで楽しめるので、レトロな漁港の景色を楽しむにはいいところ。
何があるわけでもないけれど、何かのために行くわけでないのが乙というもの。
もうちょっと港までの交通の便が良かったら行きやすいのだけど、最近離島振興法の対象になったので、それで何かテコ入れされるかもしれないな。
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