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2014年12月23日火曜日

2014年のアニメなどまとめ

今年何らかの形で放送されたものについて。

シムーン

これをいってしまうと、過去を美化しまくって新しいものを認めないウザいロートル野郎のようでいろいろアレなのだけど、今年観た中で一番おもしろかった作品というと、11月29~30日にネットで一斉再放送された「シムーン」ということに。
8年も経ってもまだ、本当に抜群に面白いね。

なんかこう、古い作品に固執する嫌なロートルの気持ちがわかるようになってきたな。
自分にとって圧倒的な作品に遭遇してしまうと、その後は、「あの作品より面白い作品があるだろうか」という目を新しいものに対して向けてしまう。
より面白いものとか、超えないまでも匹敵するくらいのものが見つかっているうちは、まだしも次に見る作品に期待を持って前向きに見ていられる。
しかし、作品の流行が移り変わったり、あるいは見てる自分が歳食って客層からずれていったりして、だんだんと良い作品が見つかりにくくなっていく。
すると、向けた期待は裏切られるようになり、次に期待を向ける気持ちもどんどんしぼむ。
それがゼロを下回るとマイナスに転じ、「どうせ今どきのクソアニメなんてろくなもんないよ。あれとは比べ物にならない」とダークサイドに落ちる。

まあその、さすがにそういう感じにはなりたくないから、意識してブレーキかけるようにしてはいる。
だから、いわゆるシリアスな感じのものはあまり見なくなった。そういうのに期待を向けても、期待が偏ってるんだから応えられるわけがない。
最近好んで見るのがきらら系萌え四コマのアニメ化ばっかり。
こういうのには過剰な期待を向けず、「ワーカワイイー、ナンカカワイイー、きらら系、ダヨネー」くらいにゆるみきった視聴態度でいられるから、ダークサイドに落ちないし、余計なこと考えなくていい。

ロートルがうざくないようにするのも、結構面倒なもんである。


ご注文はうさぎですか?」などきらら系

今年のきらら系は、「ハナヤマタ」は外してしまったので、「桜Trick」と「きんいろモザイク」。
いや、北海道の友人の話と、地元になぜかやってきたYOSAKOI祭りから、すごくYOSAKOIにマイナスのイメージがついてしまって……w

来年の「幸腹グラフィティ」は楽しみだな。
創刊以来迷走を続けるミラクを、月刊化以来ずっと、強力に支えてきた作品だったから。ミラクでやれるならこれだけだろう、とはずっと思っていたのだ。


で、私はきらら系の中では「ゆゆ式」が一番気に入っている。
きらら系アニメは、作業中とか、特に何もしてない時とかに(つまり大体いつでも)BGVとしてだだ流しにしているのだけど、そうすると、出ている音の耳当たりと、たまにチラ見する画面しか問題にならない。
ほとんど「観てる」とすらいえないのだけど、それに「ゆゆ式」が非常によくマッチする。
近頃、使わなくなった古いAndroidタブレットを、地上波録画しといたのを転送してひたすら再生し続ける装置にしてしまったくらいで。

BGVだから、あんまり目を奪うほど内容があったり、画面が派手だったり(これはきらら系より電撃文庫アニメでよく起こる問題だけれど)すると困る。
そうなると、「GA」のアートみたいな、内容がちゃんとあるのはかえって好ましくない。
「らき☆すた」のオタクあるあるネタなんかも内容だし、「桜Trick」に至ってはキツすぎてむせる。
「Aチャンネル」の作為的に入るキャラソンもちょっと、歌がいいならCDかけるしなあ。

内容がなければ、あとは耳当たりが問題。
「きんいろモザイク」とか「ご注文はうさぎですか?」あたりは、いい感じに内容はない。
のだが、惜しむらくは「きんいろモザイク」はキャラがよく叫ぶ。主にカレンと、こけしがアリスを叫ばせるのがうるさい。「ご注文はうさぎですか?」もまた、シャロの声が突き刺さる。

その点「ゆゆ式」であれば、賑やかでありながら、刺さるような金切り声がほとんどない。
このアニメは、叫ぶときは低音でやる。

「ゆゆ式」はまた、高度に内容がない。
「きんいろモザイク」や「ごちうさ」は、「萌えそうな行動をしている」とよくわかるキャラばかりだから、萌えアニメであるという内容があるとはいえる。
そこにくると、ゆずこは萌えるも何もわけがわからない言動が多い。そこで縁がけらけら笑って、ゆずこの無意味発言を面白いことだと意味付けする。そして唯がツッコミいれてまとめる。なんたる無意味な基本形か。
ゆえに、「ゆゆ式」は最も好ましいBGVになる。


しかしひとつだけ、一話での唯の「おまえら可愛すぎるだろ」発言がクリティカルに蛇足だったなあ。まああれ原作第一回にもあるんだけど。
「このアニメはソフト百合アニメですよ」というアナウンスはしなくていいというか、この素晴らしき無意味アニメをわざわざ有意味だと読ませる誘導は、あるべきではなかった。
ゆずこが唯に百合っぽい行動を向けることは結構あるのだが、やられる方の唯が内心承認してるような描写が事前に置かれているせいで、無意味行動ではなく百合表現行為だと解釈する蓋然性が上がっちゃう。
(この点を軌道修正しようとしたのか、同じようなことを「ふたりのときにいったら冗談っぽくなくてアレだな」とゆずこが自制するシーンがあったりもするが)

人は無意味を無意味のまま受け入れる強さを持たねば。無意味をナンセーンス!と糾弾するような思想は、ゲバ棒とヘルメットとともに六〇年代の彼方に去って久しいというのに。「世情」は懐メロになって、キヨシローさんはもういないのだ。


魔法科高校の劣等生

私のように若くない視聴者にはネタアニメとしか受け取りようがない内容ではあったのだが、これをネタでなく面白いという若い子と知り合ってしまっていたので、自分の中で笑い飛ばしていいのかどうか、混乱してしまった。

それで、なぜこれがネタになっちゃってるのかとその子に説明しようとしたものの、そんな話を喜んで聞いてもらえるわけもなく、そもそもいい説明が意外と出てこない。
説得力なく無敵すぎる能力、クールで動じない性格、その優秀さを周囲から賞賛されまくる、食ってかかれば無残なまでに叩き伏せられる。
この共感可能性の全くない最強主人公はネタだろ、といいたいところなのだが、まったく同じ造形の哭きの竜という偉大なる前例がある。
しかしお兄様はネタキャラで、哭きの竜はカッコいい。
なぜなのか。どこが違うのか。それを説明できずしてお兄様を笑ってはならんのではないか。
(哭きの竜もネタキャラだろうという説は存在しない。いいね?)

まあその、竜は最強である理由に「運」という神秘しか置かないけど、お兄様はあれこれ説明がつけられ、そして説明すれば説明するほど、それをなぜお兄様が身につけているのかがといった説明の説明が必要になり、結局どこかでしわ寄せが来てありえなくなるから、失笑を呼んでる感じはある。
いやでも待てよ、どこかで説明放棄するのはどんな作品だって同じか。うーん?
やっぱり、最強なら最強でいいけど、使い方の問題なのかな……?

で、途中まではこのくらいのことしか思ってなかった。
しかし最終回近く、横浜騒乱編に入った途端に、どうもこうも笑えなくなってきた。
ライトノベルの世界では簡単に人を殺してはいけないという業界ルールがあると聞いていたけど、急にじゃんじゃんやりだす。
「とある魔術の禁書目録」はあれだけインフレしても、直接的に殺人してしまうシーンは読んだ覚えがない。
 まあ電撃文庫の他作品で殺人シーンを見たことはあるから、絶対NGではないんだろうが、それにしても、いきなり発生した戦争状態に、高校生が、前々から笑いどころみたいに思ってた大層な魔法でもってざくざく人を殺す、というのは、さすがにやること雑に見えた。

さらに重ねるように、胸を撃ち抜かれたとか片足飛ばされたという致命傷・重傷が、お兄様の能力で元通りに修復される、というのがきて、さすがにこれはいい気がしない。
昔スーパーファミコンに「SM調教師瞳」という地下ゲームがあって、そのゲームはSMどころか、ヒロインの目玉をえぐるとかスナッフじみたことができた。でも、どんな傷でも一夜にして治せる医師がついてるから、翌日にはきれいな姿で戻ってくる。
どうにも同じ形のおぞましさを感じちゃって、さすがにこのあたりは私の倫理感覚に触れてるな。

こんな話やってくれなきゃよかったのになあ。笑って済んだのに。


RAIL WARS!

私は鉄道ファンとはいえない、どんなにいっても乗り鉄であって車両はさっぱりなので、これが鉄道ファン的に面白いものなのか判断できないのだけども、少なくとも鉄道ファンタジーであって、リアルな鉄道の面白さとか凄みを追ったものではなかろうと思う。
うのまことと聞いて爆乳エロアニメを期待したものの、そこは大したことなかった。
アクションにしても、岩泉が特に人間離れした超人だというほどの設定描写はなかったと思うんだけど、やったことは人間離れしてたから、見てて困惑する。
どんなときなら銃を使ってどんなときなら警棒に留めるのかとか、なんか曖昧に見えて、鉄道公安隊がどこまでやっていい存在なのかもピンとこない。特殊部隊アクションというには前提が頼りない。
事故じゃなく犯罪ネタもあるし、公安隊なんていうから刑事モノの変形と見ることもできようが、事故や犯罪の内容も杜撰なら解決方法も力技とかで、少なくとも理の勝ったミステリの一種に入れてもらえるとは思えない。

ただ、「コード切って時限爆弾処理」という、80年代のドラマみたいなことをやってたのは、さすがにわざとだろう。
すると、目指していたのは「あぶない刑事」的な、いい加減でおおらかで簡単に発砲する、テキトーで痛快な刑事アクションものなのかもしれず、だとすれば、杜撰とは言ったら負け。
しかしテキトーではあったけど、痛快だったかなあ……。その様式で暴走機関車を止めるような話やるなら、脱出した直後に大爆発したい。鉄道ファン的に爆破NGだろうけど。
もしかすると、鉄道と絡めたがゆえに爆破NGになって、ああいう落ち着きの悪いものになっちゃったんだろうか。

でもあれだな、「西部警察」みたいな雑でとにかく爆発するやつ、アニメでやれんかな。楽しいぞきっと。


さばげぶっ!

エアガン・サバゲー趣味って、下手な遊び方をすれば実際に危ない。だから今どきのサバゲープレイヤーは、弾の威力はいちいち確認するし、きっちりゴーグルなどの防具を装備しない人は参加させない。
過去に何度も、やたら高威力に改造できちゃうエアガンが出まわって、本当に改造して車や電車の窓を撃ち抜いた馬鹿者とかが出ちゃったりもしてるし、警察の方も警戒して、改造ベースになるエアガンを売ったメーカーを摘発したりしたこともあるし、その理由がかなり無理矢理だったこともある。
だから、まっとうなファンは、まっとうであることに厳しい。

水着でサバゲーやるようなアニメだった「ステラ女学院高等科C3部」に、エアガン・サバゲーファンが怒ったのは、そりゃそうだろうと思う。
まじめにサバゲーを扱ってるような顔をしながら、サバゲーファンがまっとうであろうとしている部分を雑に扱いすぎた。

そういう前例があった上に、「さばげぶっ!」がアニメ化と聞いて、こともあろうにそれをやるのか、と。
私は原作1巻は読んでたから、警戒というか心配というか、どうなることかと。だってあんな内容だぞ。

そして蓋を開ければ、放送開始直後からしつこいくらい玄田哲章が「これはネタだ本気にすんな」と繰り返しアナウンスする。
そうか、「ステラ女学院C3部」の教訓は生きていたのか、それにしてもやり方これかよ。なんという直接的な教訓か。他に生かしようはなかったのか。
ここに一番笑ってしまったし、こうも直球の予防線、結果的には十分有効だったような気もする。
(だからといって、「予防線引けば何やってもいいのか」とエアガンファン・サバゲーファンが怒ったとしたら、それはそれで理のある怒りではあるとは思うが)


僕らはみんな河合荘

なんというキモい草食系の願望丸出しなアニメであるか。でも、1話で切らずに最後まできたら、なんか中毒したみたいに気に入ってしまって。
最終的に、繰り返し再生した回数が、今年の作品では一番多かった。

まあ、草食系男子好みのぬるいラブコメみたいなの、結局のところ私は好きなのであろう。
きらら系を読みまくってるのはもちろん、他に好きな作品が多い雑誌がフラッパーだというのは、どう考えてもそうだ。


犬神さんと猫山さん」と5分アニメ

5分アニメというのは結構前から存在はするのだが、初めて観た「あいまいみー」が、あの内容をあのすさまじいハイテンポで、実質2分半くらいの中にぎっしり詰め込んだような代物だったから、目が回ってついていけず、脱落してしまった。
以後何度かチャレンジしているものの、うまくいかず。

今年の「犬神さんと猫山さん」は、ようやく最後まで楽しめた。
テンポは早いけど、みっちり早回しで詰め込む、というような感じがあんまりなくて、ちゃんとついていける。
内容的にも無内容で、刹那的にぽんぽんしょうもないことを発射するようなもんで、こういうのがいい。

でもって、「あいまいみー妄想カタストロフ」と「てーきゅうベストセレクション」に挑戦し、やっぱり目を回して墜落するばかりであった。
「旦那が何を言っているかわからない件」なら大丈夫。


最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが

規制される方が正しいと思えたのは珍しい。
まあ打ち切りじゃなくて深夜帯への移動という処置も、厳しすぎず適当なとこだろうなって感じで。

しかしチャンピオンREDいちごあたりにもよくいわれてたけど、わざわざ規制ギリギリをアタックするような真似を繰り返すと、規制を厳しくされる理由にされかねんし、褒められたことではない気もする。

中学生が喜ぶような半分エロアニメみたいなやつも、子供が親の目を盗んで見るあの楽しみを奪わないためにも、ひとつふたつあるべきだとも思うけどね。
今の若い子どうするんだろな。私らの頃ならビデオテープだから、こっそり「ギルガメッシュナイト」撮っても事後に残る証拠は録画内容だけだったけど、今のレコーダーは番組名もサムネイルも丸出しだぞ。いや、そもそもエロ番組あんまりやってない?


グラスリップ

「シムーン」「true tears」以来、西村純二監督のオリジナル作品となると前のめりになって観てしまうのだが。
しかしその2作に比べると、子供が大人になっていくようなわかりやすい話の中心がなくって、一周見ただけだと「これ一体なんの話だったのだ」と。
まあ、繰り返し見ればよほどしっかりした作品なんだろう、という信仰はあるのだけど、まだその時間を取るに至らず。多分私の見方が悪いのだろう。


selector infected/spread WIXOSS

岡田麿里かー、カードゲームなんか欠片の興味もないけどチェックしてみるかー、と思ったら。
岡田麿里がちょくちょくやる昼メロくさい大げさなノリで、毎回毎回ヒロインの誰かを不幸の底に蹴落とし、ちょっとだけ救われるかと思ったら、もっと酷い目にあわせて続きは来週!
なんでこんな、カードゲームの番宣アニメがこんな内容に。

そういえば、昔「とらドラ!」のスピンオフ短編とか読んでたら、どういうわけか登場人物の面々が送る不幸な将来の姿みたいな話がいくつかあった。
あれ読んでた時、「これはもしかして竹ゆゆセンセイ、登場人物に嫉妬して、貴様らのようなリア充に幸せな将来など与えてやらんぞ、みたいなノリでやってる?」などと妄想したものだった。
まあ200%妄想なのだが、一部女性作家にはそーゆー心情を持ちうる人があるのでは……とかselector見てても頭をよぎったのだが、これは今どきいったらセクハラになるのか。
逆に野村美月はそういうこと考えもしなさそう、という妄想があるが。


信長協奏曲」(ドラマ)

もうサブローが小栗旬だという時点で、信長協奏曲じゃなくて小栗旬のためのドラマになるんだろうということぐらいわかりきってたんだけど、その予想を悪い方にすら超えることなく終わりやがって。
予想をはるかに超える酷さなら、むしろそれを期待して、マンガやアニメの実写化なんていう失敗を約束されたようなものを喜んでみる理由なんだけど……

「信長協奏曲」に対しては、もう、悪い意味で面白がる要素も見いだせず、良い意味でなんか欠片もなく、最後までただただ、「今どきのしょうもない歴史ドラマがやるようなこと」だけを繰り返しただけ、としか私には見ることができなかった。
数奇者としては敗北。私の負け。


黒執事」(実写映画)

これは見た直後に書いたmixi日記を転載。
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噂の実写版黒執事を見に行ってきたよ。

まあ、セバスチャンさんが性格悪いように私も性格が悪いので、見えてる地雷を踏みに行く行為というか、酷い映画で原作ファンが阿鼻叫喚に陥ってたら面白いなあ、というような動機で見に行ったわけなのだが。
どうも先週末公開時点の反応を見ると、すごい勢いでバッシングが起こってるわけでもなく、なんかみんな煮え切らない感じの反応。何事だろう。

で、劇場に入ってみれば、公開後2度めの土曜日、午後12時20分という見頃の回なのに客席が2割も埋まっていない。
内容はともかくとして、興行収入は爆発してそうだ。


そして映画が流れて、セバスチャンさんが登場して「あくまで、執事ですから」の台詞を決めたところで笑い声が起こった。ちゃんと数寄者も来ているようだ。
しかし、私の目から見るとヒロ執事は瞬間的に笑えるような異様さではないように思えた。
例えば「ひぐらしのなく頃に」で実写版トミタケが現れた瞬間というのは、会場全体が笑いに包まれてこの上ない一体感を味わえたものだった。
あれに比べれば、別にヒロ執事は笑うようなものではない。マンガのコスプレになりすぎず、水嶋ヒロのままにもなりすぎず、落とし所としてはいいところと思う。
実際、笑ったのも一部だ。
あんなところで笑ってしまった一部は、笑う気で見てやろう、水嶋ヒロなんてイタいに違いないと決めつけて見に来ているレベルの低い数寄者であろう。

しかしヒロ執事がセバスチャンさんそのもの生き写し、というわけではもちろんない。
セバスチャンさんは何をやってもごく自然に説得力があるというか、セバスチャンさんカッコいい、セバスチャンさんだからしかたない、という存在だった。
しかしヒロ執事には、微妙に悪魔としての格が低そうだとか、なんかうさんくさいとか、カッコよく決めると微妙にうざいとか、なんとなくセバスチャンさんとズレたところはある。
黒執事を「セバスチャンさんカッコいい」で済ませても問題ないけれど、ヒロ執事をそれで済ますとどことなくギャグになってしまう。
その嗅覚が働けば、なかなか味わい深く見られる。

ストーリーは、原作をちょっとだけ踏まえて台詞なんか折り込みつつ、大体オリジナル展開。
まあ、真面目にツッコミを入れればいくらでも入れられそうだし、一応謎を追うミステリ風に見えて、実態は「これヒロ執事に『事件を解決しろ』と命令したら済むんちゃうの」というような内容、というかまあセバスチャンさんはそういうものだから仕方ない。
常に一歩先のシーンが読め続ける、伏線は伏線だと私ですら見抜けるようなわかりやすい話ではあるけれど、エンターテイメントはそれで良いように思う。私はむしろ難しい話でけむにまこうとするような下品な話は嫌いだ。太宰治もそういっている。

何かとゴリ押しで売り出されてるように見られる剛力彩芽も、まあ演技が上手いとは思わないけれど、今回に関しては問題があるとも思えなかった。

終わってみれば、傑作とかではないけど、素直に楽しめるよくできた映画、という感じだった。
やっぱりシエルはどこまでも剛力で名前すら違うし、セバスチャンさんは微妙にうざい感じに成り下がり、原作ファンが喜んで賛美するもんではなかろうけれども。

真っ先に突っ込んでいった原作ファンの皆さんの微妙な反応は、「原作に対する愛が感じられる作品には見えないからケチは付けたいのだけど、クソ映画だったら遠慮無くバッシングできるのに、バッシングするほど酷い映画ではないからケチがつけがたい」と、そういうことだったのだ。
実際、これをけなそうと思っても細かい揚げ足取りにならざるを得ず、ムキになって叩いたところで、まあネットでよくある衆愚の暴走みたいにならんことにはバッシングも盛り上がるまい。
それがわかると、そうやってぐぬぬしている原作ファンの皆さんの顔を想像して、ニヤニヤと悪い喜びは得られよう。私としては、十分楽しめた。

この映画で一番幸せになったのは、原作に関心のない剛力ファンと水嶋ヒロファンであろう。
原作ファンは喜びはしない、ただの映画としては悪くはないけど傑作とまではいかない、地雷を踏みに行った数寄者にも高い解釈レベルと性格の陰険さが求められた、興収悪そうでスタッフも不幸にと、決して大勢が幸せになった作品ではないのだけど。


まあ、見えてる地雷を踏みに行ってわざわざ爆発する楽しみは、再来週の僕は友達が少ない実写版の方に送ろう。

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というわけで、楽しい映画であった。


僕は友達が少ない」(実写映画)

これについては、過去記事参照のこと。
今年一番面白がった映画だったなあ……