GWも最終日、ふと思いつきで単車に乗っておでかけ。
国道170号(外環状線)の旧道をとことこ走って、時々道を間違いつつ(南から北へいくと、工業団地前交差点で新旧道が交差するところで旧道-旧道とそのまま通れなかった)、府道32号へ右折。
あとは看板に誘われるままに走っていくと、大阪府立近つ飛鳥博物館に着く。
反正天皇が即位前、難波から大和の石上神宮に参る途中、二泊したところをそれぞれ近つ飛鳥・遠つ飛鳥と名付けた。
大阪の太子町あたりが近つ飛鳥、奈良の明日香村あたりが遠つ飛鳥らしいのだが、そう経由して石上神宮にいくとやや遠回りにも思え、実際どう通っていったんだろう?
近つ飛鳥博物館は、一須賀古墳群という古墳の群集地に建てられている。
和歌山の紀伊風土記の丘と同じように、山に無数の古墳が集まっているところ。1986年に見学可能な形に整備されて今に至る。
古墳の様式などから、渡来人の墓が多いんじゃないかという話。
博物館の展示は土器や青銅器、古墳の石棺やら銅鏡など、飛鳥時代のものが中心なのはもちろんだけれども、渡来文化の影響に折々触れていく感じ。(飛鳥時代に触れると自然にそうなるのかもしれないが、私はあんまり飛鳥時代に強くないので)
特別展も「倭人と文字の出会い」と、日本に文字が伝わって間もない時代の、文字が刻まれた物品を集めた展示だった。
古墳群を少し見学するも、明日から仕事だからあまり深入りして疲労を残すとよくないので、近くにある石室を少しだけ。
土器を焼いたんであろう登窯の跡もあった。
単車に乗って、かつて通った大阪芸大を通り過ぎ(芸大博物館ができてるようだからいずれ立ち寄ってもいいかもしれない)、近くにあるリサイクルショップを覗いてみる。
しかし、ウェブサイトで興味を持ったのだけど、どうも更新が止まってたサイトのようで、リサイクルショップのつもりで入ったらバイクのカスタムショップだった、という事態で、戸惑いつつ退店。
店先に並んでたのが、ややヤンキー好みなモンキーカスタムとかで、あんまり気が合いそうな気もせず……。
府道27号橿原駒ケ谷千早赤阪線を南へどんどん行く。
せっかくだから、行ったことのない千早赤阪村にでもいって、楠公に縁のある神社や城でも見れるかな、などと思っていたら、府道が終わったところで国道309号、そこを誤って道なりに東に行ってしまった。
トンネルを使わず旧道を通って水越峠を越えてみると、そこは奈良県であった。
仕方ないので、奈良県道30号線を南へいくことに。
走っていると、「天孫降臨の地 高天原」と看板があり、急遽看板にしたがって道を折れると、高天彦神社というのがある。
今は小さな神社だが、式内社で名神大社。祭神は高皇産霊尊、市杵嶋姫命、菅公。
高天原がどこなのか、というのは、日本の何処かとするにしても諸説あり、そもそも伝説なんだからどこか考えても仕方ないという説もありだが、この葛城の地もそうだと言われているひとつ。
というか私は宮崎にあるのだと思ってたのだけど、どこでそう覚えたんだったかな。
境内に明治天皇・神武天皇の遙拝所がある。
しかし明治天皇は伏見桃山に御陵があるはずなのだが、遙拝所に向かうと、多分皇居か伊勢神宮を向くような。私の勘違いなのか、これでいいのか。
道なりに県道261号線を下って行くと、5万人の森公園というのがあり、五條文化博物館というのが併設されている。
安藤忠雄の建築で、バウムクーヘンを切り取ったような形の建物になってるらしく、愛称は五條バウムであるとか。
しかし場所が悪すぎ、最寄りのバス停からさえ15分歩かないといけない有様で人が来ず、最近まで休止状態だったらしいのだけど、つい先日、5月1日に復活した。
今のところ、シャトルバスの運行などもあるよう。車があれば広々とした駐車場もある。
中では五條市の歴史文化の展示。
五條市というとちと大阪人には馴染みがないが、大和と紀伊・河内の交通の要所として古くから賑わい、南北朝時代には南朝の京都になったこともあるとか。
戦国時代は、後に悪名を上げる松倉重政の領地として、居城・二見城が置かれたりもした。ここにいた頃は善政を敷いてたようなのだが、島原に移ってからはなんというか、話し聞くだけで眉をひそめてしまうような悪政敷いた人。
幕末になると天誅組のクーデターが起こったりもしている。
変わったところで、五條市内のJR和歌山線・北宇智駅で、近畿で唯一のスイッチバックが行われていた。(今はもうやってない)
そんなこともあってか、鉄道ファンが多かったりするのだろうか、現在「幻の五新鉄道」をテーマにした鉄道模型ジオラマを製作中。まさに職人が作ってる最中を今なら見れる。
そのからみのボランティアの方が作っているblogもあった。
さらに、大和高田のほうに、手作りで鉄道模型をいくつもつくっていた人がいたそうで、その作品の展示も少しやり始めていた。
私は車両のことはよくわからないけれども、旋盤加工で金属板を切ったり曲げたりで作ってあって、かなり丁寧な作品のよう。
ただ、作者の方が急に亡くなってしまったそうで、何の車両を作ったのかわからないままになった作品があるとか。そういうのがわかる方は教えて欲しい、というような掲示もあった。車両に強い鉄の方は行ってみるといいかもしれない。
そこからまた道なりに進んでいく。
道なり……といったら国道24号に出てしまうのが一番わかり易いのだが、車が多いところ走るの嫌いだから山手の細い道を迷いながらうろうろ。
本当に山の中の細道を通ったりもしつつ、なんとか大阪府道-和歌山県道61号・堺かつらぎ線に到達。
ここはまあ、有名な腐道(険道)で、主要地方道に指定された二桁の大阪府道、なのにダート区間やら激坂狭隘路やらで大型車は通行不能、乗用車でも離合するハメになったら悲惨、バイクならまあ飛ばさなければ通れるけど落石やぬかるみ当たり前、という道。
蔵王峠を挟んで和歌山側はまだしもまともなつづら折れなのだけど、大阪側は川に沿って直滑降するような道なので、実に急坂。コンクリ舗装にこぶし大の石を埋めてあるとか、それが車道の舗装かというようなところも。
激坂狭隘路区間は、どっちかというと大阪側から登るほうが面白い。和歌山から下ると、どうせ危ないからブレーキブレーキでもうひとつ。
大阪側にあるダート区間で、ちょっとリアタイヤをロックさせて遊んでみたりしつつ(横にスライドさせると怖いのでまっすぐ滑るだけ)、途中にある布引不動尊にお参りしてみた。
んー、まあ、正直なにも情報がないところなのだが、道はダートなのに建物は結構綺麗。
特に説明書きみたいなものもなく、しかし参拝者はこんな山奥なのに他にもあったから、地元の人達に信仰されてるお不動さんかな。
猫が2匹いた(あんまり美猫とはいえない)が、しゃがんで顔を見ようとすると一匹近づいてくる。人馴れした猫だ。
この先はまた国道170号にもどるので、そのまま帰路についた。
ちょっと出た程度のつもりが6時間も走りまわってしまって、ちと疲れたけど、まあ近場の未踏エリアもいくつか観に行けて、また気になるポイントもいくつか発見できて、いいところだ。