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2012年9月29日土曜日

桃山 w/ HDC-331

今日9月29日は私の誕生日であった。
なので、桃山に桓武天皇と明治天皇をお参りにいってきた。

持ちだしたカメラは、日立のHDC-331。
日立のデジカメって、おもちゃデジカメに液晶の生えた程度のもんばっかりと思ってたら、一丁前にCCDセンサーで3倍ズームレンズなんてものもあったのを、現物見て知った。




丹波橋まで飛んでいって、下車して東へ。
武家屋敷でもあったのか、なんか高級住宅地な雰囲気の、そして住所の面白いところを通る。
桃山長岡越中(細川忠興?)、金森出雲(金森長近?)などなど。

山の方へ向かうだけあって、じりじり登り坂を上がっていく。



手書きの杭が示す、桓武天皇陵への参道。
車は余裕を持って通れる道幅だが、段がついていて通れない。
なんとなく、舗装するときに通れなくしたような気がする。


結構な距離を歩いて、桓武天皇柏原陵へ。

古事記や日本書紀などを読んでみると、兄弟喧嘩があるとほとんどいつも弟が勝つ。
私は長男であるので、ああ、兄弟は弟のほうが出来がいいといわれるものなのかなあ、などと思ったりするものだけど、しかし、桓武天皇は珍しく勝った兄だった。

母の高野新笠は、百済の武寧王の血を引く渡来人の一族といわれる。
それもあって、同じ光仁天皇の子でも、皇后・井上内親王の子である他戸親王の方が、生まれた順では弟ながらも皇太子に立てられた。
しかし、周囲の陰謀で、井上内親王が夫である光仁天皇を呪詛したなどと罪を着せられ、他戸親王ともども廃されてしまった。
そこで立太子され、帝位を継いだのが桓武天皇。

即位後、同じ高野新笠の子、弟の早良親王が皇太子として立てられた。弟といっても13歳ほど違う。
しかし早良親王もまた、周囲の勢力争いに巻き込まれ、要人暗殺事件の罪を着せられて流罪に。
しかも、無実を訴えて絶食して抗議し、そのまま亡くなってしまった。

そういう流れで、勝ち残ったというか、不幸にも弟を失ったというか、そういう数少ない兄が桓武天皇だった。
ただ、治世に天災が連発し、平城京を僅かな期間で放棄せねばならなくなったりして、井上内親王や早良親王の怨霊だと騒ぎになり、追悼に追われることになるのだけれど。
兄弟は仲良くやりたいものです。

唐から帰ってきた最澄・空海を保護した天皇でもあられるので、のちの仏教の礎を築いたともいえる。


山沿いに南下すると、伏見桃山城がある。
ただ、京阪電車の沿線観光案内などを見ても、なぜだか伏見桃山城には触れていない。
駐車場はかなり広いのだが、なぜか「伏見桃山城内部は公開していません」と看板が。


門。立派は立派だが、さて、これは。

門の中に、「伏見桃山城運動公園のお城は、遊園地『伏見桃山城キャッスルランド』(平成15年閉園)の施設として、昭和39年に建築されたもので、歴史的・文化財的価値はありません」と張り紙があった。
だったら城の中まで見物するくらいいいだろ、と思いきや、耐震基準を満たしていないから立入禁止、ということだった。
元々の城のお花畑があったところに、再建天守が作られたよう。



外見は立派は立派。
まー、何しろ遊園地の施設だけあって、歩いていてもどうにも防御能力が高そうに感じられないのだけれども。
ありがたみはないにせよ、ピクニックくらいには耐える眺めではあろう。

遊園地跡地は前述のとおり運動公園で、体育館などもあるよう。ブラスバンドの学生さんが並んで歩いてるのも見かけた。

また山沿いに南下して、途中で東へ。


伏見桃山城に使っていた石垣の石材が、参道沿いに置かれている。


こっちの看板には、伏見城の石材だと書いていた。
伏見城(=伏見桃山城)は都合3つあるのだが、最初は木幡山という、ちと離れたところにあり、今のキャッスルランドのところにあったのは、秀吉のと家康のとがある。
ひょっとすると、木幡山のほうと呼び分けてるんだろうか。しかし木幡山からわざわざ運んでくるのも妙かもしれんが。


また結構歩いたが、明治大帝の伏見桃山陵へ。
上円下方墳の姿がはっきり見える。なんだか鳥居もたくさん。
天智天皇陵に倣って上円下方墳にしたらしいのだけど、後の調査によって、天智天皇陵は上八角下方墳らしいとわかってしまった。


そのすぐ東には、昭憲皇太后の伏見桃山東陵。
すぐ東、だけど高度はかなり下がる。明治の時代か。
明治天皇は、昭憲皇太后の鼻筋の通った顔立ちをもって、天狗さんなどとからかっていたそう。仲良さそうなお話。


私は北からくる参道を通ったが、京阪宇治線の桃山東口駅からくる場合は、この見事な大階段の参道を通る。



明治天皇陵から下りてくると、乃木神社の鳥居がある。


乃木神社の門。
台湾の直径2メートル以上あった檜の巨木ひとつから作り上げたものだそう。

乃木神社は、もちろん乃木希典を祭神とする。
京阪電車取締役の村野山人氏が大正5年に創建した。

境内はいろんなモノがあり、神社でありつつ、乃木大将テーマパークみたいな感じも。


日本海海戦で活躍した装甲巡洋艦・吾妻の主錨。
1900年に就航して、1945年に除籍。


資料館もあり、乃木大将の私物や書などが多数展示されている。
外見は倉みたいな感じ、中はこんなんで、結構展示しっぱなしな感じ。入場は、箱に料金を入れて勝手に入って、勝手に電気つけて見なさい、というおおらかさ。ショーケースに虫が入り込むのはよく見るけれど、ヤモリが入り込んで干からびていた。
展示物も、まあ文化財に分類できそうなものもありつつ、乃木大将愛用の食器とか(愛用の急須がピンク色で意外にかわいい趣味)、メガネとか、果ては入れ歯まで置いてある。

明治大帝の北面の武士である乃木大将が、なんとなく親しみやすく感じられるような、味のある資料館だった。


隣は、日露戦争の時に第三軍司令部として使われていた、周さんという夫婦の民家。
神社を建てるときに現地に赴いて、建物を売ってもらってここに移築した。
入ってすぐに祖霊社を祭ってあった。入り口そばにはオンドルなんかもある。
左手は乃木大将の寝室だったそうで、今はだるまをたくさん並べていた。
右手は乃木大将の生涯を描いた絵物語を並べてあった。


隣には、長府の乃木家旧邸。
左手に写ったうなだれた姿の像は、父に薫陶を受ける若き日の乃木大将。
幼名を無人(なきと)とする乃木大将だが、3つも下の妹に泣かされるような泣き虫だったそうで、泣き人とからかわれていたそう。
温厚で、妹の髪を繕ったり、縫い物をしたりするような子で、明治時代の感覚ではあまりに軟弱だった乃木少年に、毎朝一条、いろは唄に仕立てた家訓を聞かせていた、そのシーンが再現されている。

い、幼なき小共に判るいろは歌読んで覚えて正義(まこと)行へ
ろ、碌々に知らぬ事をば談すなよ深く問われて恥をかくなり
は、箸取らば主人と親の恩を知れ吾が一力で飲食(く)ふと思ふな
……


乃木神社拝殿。
狛犬じゃなくて馬がいるのだが、これは乃木大将の愛馬の像らしい。

この拝殿の脇に入り口があり、内苑も拝観できる。


内苑からは、本殿を直接参拝できる。


本殿の周りをぐるりと遊歩道があり、歌碑があったり(乃木大将は文人でもあったので)、花壇があったり。


隣には、末社の山城えびす神社。
もともと乃木静子夫人と七福神を祀っていたそうだけど、夫人は本殿に遷座されたので、今は祭神は七福神。

現代では、203高地で大勢の兵を死なせた無能という扱いもよく聞くけれど、これはどうも司馬遼太郎の言い分が流行っちゃったということだそう。
この神社の数々の展示では、文才豊かで実直、人情味があり優しい人物と描かれており、それを裏付けるような話も示される。

神社としてはかなり変化球だけれど、面白いところだった。


ここから西に少し歩く。
まず桃山小学校(ちょうど運動会開催中だった)の北から西へ回って南下し、JRの高架をくぐってから線路沿いに西へ。


すると、光明天皇・崇光天皇大光明寺陵がある。北朝2代・3代の天皇。
大光明寺はもっと北の方、相国寺の中にあるのだが、なぜこの名前なのかはよく知らない。


ここから御香宮の前を通って京阪に行き、帰阪の途へ。
御香宮はちょうどお祭りのようで、人だらけ屋台だらけだったのでパス。来たことあるしね。

あんまり距離は歩いていないが、坂が多かったのと、ユニクロのイージーエクササイズを着てたら結構体力を使った。かなり効く感じ。




今日の日立i.mega HDC-331であるが、なんとなく見たことあるようなカメラだなあと思ってたら、オリンパスのX-200とそっくり。レンズバリアの有無という大きな違いはあるとはいえ。
やはりカメラの顔はレンズというか、レンズ見るとなんとなくわかる気がする。スペックまるっきりおなじ、見た目もやっぱりほぼ同じ。
よく見ると、HDC-331のほうがストロボ大きいかも。レンズが大きいだけで発光量がどうかはわからんけれど。

というかまあ、ジャンクかごにたくさん転がってる、レンズバリアがもげたμ-10/20に似てるんだと思う。よく似る。


裏は割と違う。
オリンパスは少ないボタンにまとめて片手で操作できるとはいえるが、日立のほうがボタンの役割が明確でわかりやすい。
オリンパスのローエンド機は、極限までボタン減らして、再生モードへの入り方すら知らないとわからなかったりするから、これは日立式のほうがいいかも。
ただまあ、露出補正がメニューの中だったりとか、わかりやすくはあっても良いとは言えない。ボタンやスティックなども、あまり上質には感じられない。まあ値段なりだけども。

ボタンにかかるコストが上がったせいか、液晶はダウングレード。
X-200は1.8型低温ポリシリコンなのに対し、日立は小さい、多分1.5型。低音ポリシリコンでもないかもしれない。

どっちも電源は単三だけど、X-200はオリンパスだけにxD-Pictureカードだが、日立はSDカード。
今となっては明らかにSDカードのほうがメリットだなあ。


スイッチを入れてみると、モーターが盛大な音を立ててむぃーんとレンズを繰り出す。
またしょぼいモーター使ってんなあ、コスト下げようとしてオリジナルより部品ケチったんか、とか思っていたのだけど、X-200も久々に電源入れてみたら、おんなじようなうるっさいモーターだった。

スイッチがスライドバリアから、単なるスライドスイッチになってしまい、レンズがむき出し。
これじゃうっかり指紋をつけてしまう……と思ったけど、左端にある、つまりポケットの中で一番奥に入るおかげで、意外と誤って触れることは少なかった。
でも、デメリットじゃないとまでは言いにくい。何か入ってるカバンやポケットに入れたらすぐ傷つけそう。


使ってる感じは、まあ、X-200なだけあって、普通。
X-200を使ったのがだいぶ前だけど、特に日立が手を抜いたとかコストを削ったという感じは受けなかった。メニューの表示がなんかしょぼいくらいか。
普通と言ってられるギリギリ下端みたいな感じはあるけれど、それでもまあ、普通の範疇か。

日立のデジカメといったら、液晶モニタがついたおもちゃデジカメみたいな代物ばっかりのイメージだったから、X-200のクオリティなら、予想よりはかなり格上のモノということにはなる。
X-200が2003年春に、HDC-331は冬に出たようで、意外と発売時期も離れていない。


画質はどうだろう。
そんなに変というほどでもないが、オリンパスならもうちょっとしっかりする気がする部分もある。

自動露出は、割と中央重点寄りな感じの測光だろうか。露出補正がメニューの奥だから、気に入らなかったら、適当に空を入れたり影を入れたりで合わせたり。
ホワイトバランスがちょっと頼りない感じで、暗いと異様な転び方をしていた。オリンパスならもうちょっと綺麗にまとめる気がするが、こんなところを日立が自分で作るような気もあまりしない。
ピントをよく外す気もしたけれど、個体の劣化か、X-200もこんなもんか、定かではない。

とはいえ、オリンパスっぽいところもある気もする。
今日みたいに曇った日に、アンダー気味に振った写真が、薄暗さをよく表現してくれるような陰気な感じに写るのが、なんとなくオリンパスな気がする。


電池持ちは、あんまり良くはなさそう。
eneloop proを入れてたのに、わりと早いうちから残量ゲージが2本に落ちてしまった。キャパシタの初期チャージでだいぶ食われた可能性もあるけれど。
RCR-V3だと、少々動作が怪しくなった。


許せる最低ラインみたいなデジカメではあるけれど、まあ9800円とかなら、悪くなかったんじゃないかなあ。