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2012年12月15日土曜日

高田(K-01 / SMC PENTAX FA 28-70mm F4 AL)

高田といってもそこらじゅうにあるけれど、近畿の高田というと大和高田。

まあ、あまり大阪から見て存在感のある町じゃない……と思いきや、大和高田市は奈良県下で一番人口密度の高い市であるそう。

今回のレンズは、FA 28-70mm F4 AL。
フィルム時代には中より上くらいのボディの付属標準ズームだったらしく(下っ端は35-70mmF4-5.6のほうか)、中古は弾数が多いし値段も安い。で、小さくて軽い割によく写るという話も多かった。
最短40cmとかなり寄れるのもメリット。

もっとも、中玉に曇りが出やすいらしい。
私の手元にあるのは、幸い今のところ曇りは見当たらない。チリがちょっと入っちゃってるけれど。

JR大和路線で、とりあえず王子まで。
王子の駅前ショッピングセンターには、中部人のソウルフード・スガキヤが入っている。
このカツオだし風味の独特なラーメン、せっかく通りかかったら寄って食べていく。中部人ならずとも、なんかクセになる味わい。しかし五目ご飯はスカやな。

ここから大和高田へは、JR大和路線(関西本線)ではなく和歌山線になる。
本数が少ないので、20分の待ち時間の間にスガキヤ食べにいったのだが、ギリギリになってしまったので慌てて飛び乗る。

県の名前が入っているとはいえローカル感あふれる単線をコトコト走る。
王子から南へ行く間は、以前沿線を歩いたことがあり、見たことがある景色。畠田や志都美、古い街道沿いの町という感じのところ。
さらに田園風景に変わって、しばらく行くと大和高田。



駅前すぐ、天神社がある。
崇神天皇の頃に創建。本殿の棟札に、1222年のものがのこる。
高皇産霊神・神皇産霊神・津速産霊神が祭神。由緒書きには造化の神だとあるが、津速産霊神を除いて天之御中主神を加えたのが、記紀にいう造化三神。
津速産霊神とは何者か、どうも記紀には出ない神だそう。

伝承では、元々このあたりは「蓼田(たでた)」という地名だったところに、高皇産霊神の高を一字頂いて「高田」としたのが地名の由来だとか。


ひさしが長いというか、もうひとつ前に屋根が追加されてるような拝殿。他にも見かける形ではあるからレアってほどでもないが、ちょっと風変わりではある。


摂末社もたくさんあり、写真奥の当麻神社がちょっと風変わり。
かつて高田城の城主をやっていた、当麻三河守藤原為政命が祭神。天神社への崇敬篤く、造営に当たっても寄進があったりで、地元の神様として祀られるようになっている。

境内もかなり綺麗で、まあ金銭的に余裕がありそうな雰囲気だが、摂末社ひとつひとつに解説をつけているのは嬉しい。何祀ってるのかわからないのは寂しいし、神道を知らない人にもちょっと関心を持ってもらえるかもしれない。


ちょっと北に行くと、ユニチカオークタウン大和高田というショッピングセンターがある。
ユニチカの工場跡をショッピングセンターにしたもので、1975年にオープンして以来建て替えられていない、奈良では現存最古のショッピングセンターだそう。
実際入ってみると、35年以上という時間を感じるほどボロくはないように見えた。回廊状というか空まで開いた吹き抜けというか、70年代にこれなら相当ハイカラなものだったかもしれない。
今見ると造りのセンスがどうにも古い感じはあるのだが、それはそれで。
入ってる店にも、なんだか地元感のある店舗が多く、駅前商店街がこの箱に収まっているような感じ。小さい喫茶店やパン屋、「カメラ&レコード BIDEO」という名前のCD屋やら、なんだか味がある。
でも電器店や書店は大型チェーンが来ていて、必要な物は不便なく揃いそう。


オークタウンからは、近鉄大阪線の大和高田駅へペデストリアンデッキで直結。駅も綺麗。


駅前商店街はさすがに寂寥感。

しかしこの商店街をずっと歩いて行くと、


大衆演劇場の弁天座がある。
大衆演劇というと、歌舞伎とかそういうやつがぐっと大衆的、つまり歴史的文化的教養がなくてもわかり、値段がリーズナブルなもの、であるそう。
探すと結構そこここに劇場があるもので、一度見に行ってみたくはあるのだが、あいにく今回は時間が合わず。12時・17時開演というところが多いみたい。値段は1500円前後か。

いくつも劇団があり、こういう演劇場を回りながら興行するスタイルだそうで、今回は「劇団座KANSAI」というところで、金沢つよしという俳優が目玉のよう。
そこらじゅうにつよしの看板があった。通りかかった時には、おばちゃんたちが劇場でつよしにベージュ色の声援をあげているところだろう。


左手に見えているつじ井さんという履物屋が、なんだかやる気の商売やってる感じ。つよしを見に来たおばちゃんに積極アピールするように陳列していた。


しばらくは住宅地をぶらぶら……と思ったが、どうも住宅地と商業地の区別があんまり厳しくない感じ。家ばっかりのところに、金物屋やら理髪店やら、生活に必要な店が混じっている。
あったと思えば、古くてどうにも味がある。この店、営業中。これひとつでポっとある、ってんじゃないのがイイ。


この先にいくと、JR高田駅の方へたどり着く。このあたりはもう商店街の端の端。
が、商店街はおいといて、ちょっと近くの別のところへ。


高田御坊・専立寺。
蓮如の頃の、一向宗が高田地方に布教する中心寺院だった。
この頃の一向宗は寺を城塞みたいにしていて、この門にしても石垣で一段高くして建ててある。周りには堀があったとわかるつくり。
寺内町にいくと結構そういう造りがある。そういえば富田林の寺内町も堀があったな。

手前にある歌碑は、三大童謡民謡歌人のひとり・野口雨情のもの。
「高田御坊の櫓の太鼓 叩きゃぼんと鳴り ぼんと響く」


これに「櫓の太鼓」が乗ってるそう。


ちなみに門は1794年建立。最近改修して瓦も作りなおしたそうだけど、その時にはずした1815年の瓦を保存してある。


お堂はあいにく改築中。
創建当初のお堂は、1838年に一度火事で焼けた。鐘楼も。


南無阿弥陀仏と手をあわせて、さっきの天神橋西商店街に戻る。


アーケードなんだけど照明が少なくて、小雨が降る天候もあってかなり暗い。
でも賑わっていた時代もあったんだろうな。


え?
商店街にまったく溶け込んだレトロな飯屋、レストランなんて間違っても呼べない、まさに飯屋のショーウィンドウがこれ。
よく見たら未塗装とはいえレジンキットまであるぞ……


この謎の萌え系飯屋から、もう少し駅に近づくと、さざんかストリートなる商店街に入る。
少しだけ雰囲気が新しくなり、なんとか平成になりかけたくらいに時代が進む。

が、そのあたり一帯の店舗という店舗に、あるいは本が店にぎっしり、あるいは衣類が所狭しと吊るされ、時には骨董品が古いショーケースに、さもなくば子供のおもちゃなどがプラの大カゴに山盛りに放り込まれているなど、何がなんだかわけがわからない状態になっている。
どうもリサイクルショップがあるようなのだが、そのリサイクルショップの集めたものがどんどん周囲の空き店舗を侵食していったように見える。
一店一店に店員さんが置かれているわけでもなく、どこで誰に言ってお金を払えばいいのかも、いまいちわからなかった。

足を踏み入れた直後にはよくある寂れ気味の商店街かと思って、遠目にはわからないので写真も撮らなかったのだが、こんなわけのわからない状態になっているリサイクルショップなんて初めて見る。エントロピーが高い。
すごいお宝が混じってたりもするかもしれない。ただまあ、ちょっと覗く程度では、「ああ、本当に使い終わっていらなくなったんだなあ」という感じのモノが多いようだったけれど。


温泉。いい。


唯心院というお寺に行き当たった。
鐘楼門は立派なものだけど、お堂は屋根が歪んでかなり歴史を感じる。危なくなってないかな……

境内は見ての通りで、お墓がぎっしり。
マニー……いや浄財がよく集るお寺さんは、周囲の土地をどんどん買収して墓地がどんどん拡大していったりするものだけど、そういうところはお堂も飛躍的に近代化・大型化・ハイカラ化していくものでもある。
まあ高田駅前で敷地拡大は困難とはいえ、お墓多いのにお堂が質素だというのは、マニーにきれいなお寺なんだろう。法然聖人は金を儲けろなんて仰せではないので。


このあたりの高田本郷という地名について、かつて高田郷といわれたところの中心だったからだ……というところから始まる由緒看板が道端にあった。
高田郷は北に奈良・南に吉野、東西に走るは初瀬街道という交通の要衝だったそう。
興福寺の寺領だったそうだけど、その別院の伊福寺、さっきの天神社やこれから向かう八幡宮、高田城阯などが集まる。その高田郷の大庄屋の屋敷があったところに、この看板があったそう。


明治10年の明治天皇全国巡幸で、2月11日に畝傍御陵を参拝なされた大帝が翌12日、ここの堀江九郎という人の屋敷に立ち寄って小休止をとられた。
堀江邸はすでにないが、徳富蘇峰の揮毫で記念碑が建てられている。


本郷からちょい南西に、八幡神社がある。
そしてそこはかつて、興福寺別院・伊福寺であった。八幡社はもともと、伊福寺の鎮守の神様として祀られていた。
寺はなくなったが、葛城の法林寺の本尊になっている阿弥陀如来像がもともとここのものだった。
また、実賢という僧が鎌倉時代初期にここで大般若経六百巻を15年かけて写経し、それは五條で今も保存されている。


和歌山線を東に渡る。


城跡があるはずだが……と思ったが、もはや石碑と、城と関係あるのかはわからないが巨木ひとつ。
中世からこのあたりの荘園を治めていた当麻氏が築いた高田城だが、信長の検地に逆らって城も領地も没収され、そして筒井順慶に攻められて当麻氏は滅亡。
すぐ近くの常光寺には、戦国将士の三界萬霊碑があるそう。


常光寺に立ち寄ったけど、その三界萬霊碑はどれだかよくわからず。


ここからちょっと南に下がるが、途中でこの薬屋。店頭にも生薬の標本が並び、せんじぐすりの看板が渋い。


で、国道168号、かつての竹内街道へ。
大阪から奈良に渡るときに使ったこともあるが、高田のあたりではこの細い路地のような道。


道路元標もある。
初瀬街道と下街道が交差する所に作られた、というが、これは竹内街道にあった。昔と今では道が違うのかな。


八王子神社と地図にあるが、あんまりいい普請でもなさそうなところに土壁の剥がれる老朽化。
神社にいつもある、寄進者の名前を刻んだ石杭も、見ての通り、ない。


本当に国道か、というほど頼りない1車線路地の168号だが、とうとう県道5号との交差点で感応式信号にされている。


もちろん、私が道を勘違いしているわけでもない。


そこを渡ってすぐ、長谷本寺。
境内が細長くて、どうにも中の写真がいい感じに撮れず。門前のアピールをとりあえず。


横大路(竹内街道)沿いの古い歴史ある寺で、昔から通りかかる人々と縁を結んできた観世音菩薩の御足。
観音様は当時名高く、長谷本寺も観音堂と呼ばれていた。


もう少し南下すると、もう近鉄の高田市駅に近い。


駅前には、石園座多久蟲玉神社(いそのにますたくむしたまじんじゃ)。延喜式内社。
健玉依比古命・健玉依比売命。産業や工芸の神様だそう。


静御前はこの近くで生まれ、巡り巡ってこの地に帰って亡くなった。



静御前にちなんだローカル萌えキャラも。

ここまで来て、高田市駅から電車に乗って帰阪。
なんだか渋い街だった。


今日のレンズ、FA 28-70mm F4 AL。

このレンズはF4通しとはいえ、広角端で絞りが完全に開放にならない。望遠端だと開放する。
F値を通しにするための細工だろうが、もしかすると、本来はF3.2-4とかになるレンズなのかもしれない。
自動露出ができる前の一眼レフなら、ズーム動かすたびに絞りが変わるのはちょっと不便(露出を決めてからズーミング、というわけにいかなくなる)だから、F値を全域通しにするのが良かったということになるけれど、FAレンズの時代にはあまり関係ない。
今でも「F値通しは良いレンズ」というイメージはあるから、そのためにやったのかもしれない。
しかし、妙に生真面目なところがあるPENTAXの製品だから、広角側の描写が開放では納得できなかったから少し絞った、なんてこともあるかもしれない。

そういえば、今PENTAXの入門用標準単焦点レンズたるDA 35mm F2.4、あれってFA 35mm F2と同じレンズ構成と聞いた気がするけれど、これも同じように開放し切らない絞りでも入ってるのかな。


APS-Cのデジタルで使うと、43-110mmというところ。

等倍で見ると、さすがに現代の単焦点DA Limitedレンズほどの鋭さではない。


まあ、ちょうどやや甘いお陰で、モアレが出にくくなっている気がする。
ちょっと偽色出てるけど、この程度の出方でしかない。

フルサイズだとまた違うかもしれないけれど、歪曲収差もそんなに出ないし、隅っこが緩くもない。
実に無難で端整に写る。でもって小さくて軽いのだから、評判が良くなるのも判る気がする。

ただ、カラーモード「鮮やか」のK-01はかなりキツい色が出るものと思っていたのに、このレンズだと、あっさりめの色になった。
K-01がオーバー露出になりやすいこととか、曇り空だったことを考えても、それにしても淡い発色だと思う。