行きは、初めてのpeach。
まだ年始のUターンラッシュがかすかに終わりきらない6日火曜日の始発便で、まだ料金は底値ではない感じ。でも全部あわせて6620円だったかな。
確か9日くらいなら2000円くらい下がったみたい。
しかし小型機だから、上昇・下降でちょっと揺れる感じはあったな。
あとやっぱり席は狭い。うん。私はちと体格がありすぎるから厳しい。
総所要時間はそりゃ短いけれど、空港内での移動が長いのも面倒といや面倒。
成田に飛行機で降り立ったのは初めて。
そんなわけで、横堀大鉄塔を見るのも初めて。胸が熱いな。
わりと最近までは、この向こうに団結小屋もあったんだねえ。
さて、せっかく成田に来たからには、空と大地の歴史館を見て行きたいところなのだが、ちょっと到着が早過ぎる。
が、せめて日本一短い普通鉄道・芝山鉄道には乗ってみたい。
そういうわけで、東成田駅に。
どこから行けるのか迷ったが、ターミナルから出て地表の駐車場を横切って第5駐車場の方へ。すると人の歩ける道路があるので、そこを左手へ。空港西通り4交差点を渡って高架道路の下をくぐり、空港東通り4交差点を左折してまっすぐ歩いて行く。すると案内があるからそのとおりに。
……歩いて行ったけどシャトルバスあったらしい。
おお。なんだか雰囲気が意外。ものものしい。
ちょっとしたプレハブかと思ったら、中に警備か何かの方がふたりも。別に何も怪しまれたりはしなかったが。
ここからひと駅、成田空港の地下を通りすぎていく。
ここ、芝山千代田駅で芝山鉄道終着駅。
慌てて撮ったら超ブレたわ……
もうちょっと遅い時間に来て、かつ後にももっと暇があれば、航空科学博物館と空と大地の歴史館を見ていくのだけど、すぐ折り返し。
東京ではちょっとした仕事をしていたのだが、いくつか神社などを参った。
葛飾区……じゃなくて市川市の葛飾八幡宮。
この随神門は、市指定文化財だそうで、明治維新までこの神社の別当寺だった法漸寺の山門だったとのこと。神仏分離令で随神門と改め、仁王像を他所に移した。
川上翁遺徳碑、とあるが、巨人の川上監督ではなく、市川市で梨の栽培を始めた川上善六翁の碑であるそうだ。
江戸時代にはこのあたりの梨が「八幡梨」として有名だったそう。梨栽培は市川から船橋にかけて盛んだったらしいので、つまり川上翁がいなければふなっしーもない。
拝殿。
それから、新小岩の香取神社にも来た。間々井神社ともいうそう。
ここの東に小松川というのが流れていて、太田道灌が江戸城と国府台を船で往来するときに立ち寄って航路の安全を祈ったエピソードがあるそう。
小松川から、このあたりはかつて西小松川村といった。
暴れん坊将軍こと吉宗公が、鷹狩の時にここで食事を取ることになったが、神主が出す食事に困り、餅のすまし汁に青菜をあしらって出すと、将軍がずいぶん喜んで、その青菜に小松菜と名をつけたとのこと。
よって、小松菜の産土神とされている。
本殿は、1823年に着工して十年かけて築き上げたものだそう。
また、明治に地租改正のお触れがあったとき、ここ西小松川村の村民が精密な地図をつくり、県知事に納めた。その地図が、江戸川区指定の有形文化財として保存されている。
境内には摂末社が多くて、鷲神社(大鳥神社とも、大和武尊)、道祖神社(猿田彦命)、大雷神(古くから近くで祀られていた雷神)、水神社(水波能売命)、稲荷神社(豊受姫命)など。
それから鹿を飼っているらしいが、あいにくこの日は奥に引っ込んで出てこなかった。
近くに「小松菜屋敷」というところがあって、そこの亀井家の方が将軍に小松菜をさし上げた当人だそう。
邸内には亀井家の屋敷神として、小松菜さまと呼ばれる神様が祀られている。
困ったことがあれば「こまったな」といって小松菜を捧げれば願い事が叶い、さらに「ナ(名・菜)を上げナを残す」と信仰されているそう。
看板がかかっていたので文化財かと思ったら、まだ個人宅として使用されていた。よって写真は遠慮。
神田明神にもやってきた、のだけど。
混み過ぎや。もう9日だぞ。東京の人は並ぶの好きだな。
(といいつつ大阪に帰ったら十日戎で、難波近くが死ぬほど混んでた。東京の人ばかり責められない)
代わりに、神田明神の隣にある妻恋神社に参拝した。
まあ妻を娶る予定も気配もないのだが、大和武尊の東征の折、暴風雨を鎮めるために海に身を投げた弟橘媛命を祀っている神社なので、別に私が結婚するかは関係なかろう。
それから谷中の弁天様も。
とある漫画家さんが「連載が続きますように」と願ってる絵馬がかかっていた。
東京編はここまで。
ここからまっすぐ帰らず、前から一度寄ってみたかった小田原に立ち寄った。
乗ったことなかった小田急を新宿から小田原まで。
着いてみればハイカラな駅やで。
朝から食事をし損ねていたので、駅そばで軽く。
最近は関西でそば食べても、関東風の黒っぽいだしで出てくることが多いから、この色と味自体にはもう慣れている。
むしろ関西でうどんと同じだしの蕎麦を食べる機会が減っちゃったな……。
しかしコロッケがカレーコロッケだったのは初めてかもしれない。
駅西側出口に早雲公あり。
西側はすぐ住宅地につながってるようで、あまり駅前が商店街になってたりする雰囲気はない。
駅にくっついてささやかなショッピングビルらしいのがあったけど、もう昭和のまま停滞してしまったような。
駅東口から、観光マップに従ってぶらぶらと。
まず、北条氏政・氏照の墓所があった。
氏政というと、秀吉に小田原を落とされた時の当主だったもんで、後世の創作でボンクラ扱いされているけれど、有能な兄弟と協力しあって北条家の版図を最大に広げた有能な大名というのが最近の説か。
氏照は氏政の弟で、主に東のほうで活躍した武将だったそう。
秀吉相手に徹底抗戦を主張して、敗戦後に氏政とともに切腹させられた。
真ん中のふたつの五輪塔の手前にある石の上で、ふたりが自刃したという。
左手の墓石がふたりの墓。
幸せの鈴、というのがかかっている。
願い事をかけて鈴を持ち帰り、かなったらここに結びに来い、とのこと。供養を兼ねて。
小田原の街では、「街かど博覧会」といって、多くの地元の名店が、取り扱い商品を解説するコーナーを作っている。
地図にはそれの案内もあり、地図にそって行くとまず、石川漆器さんという漆器店にくる。
現在お店を改築中で仮店舗営業になっていたので、場所は少し北東、大工町通りあたりに写っていた。
室町時代から、小田原では漆器が作られているそう。
箱根の木材と、足柄の漆がともに使えるから、漆器には良い土地らしい。東海道の宿場町として栄えた頃から、実用品として人気が高い。
石川漆器さんは、江戸時代の大久保藩お抱えの槍塗師を祖に、明治20年に漆器製造販売業として創業。
生地づくりから漆塗りまで全工程を手がけているから、使っているうちに漆が剥げてきても塗りなおして修理してくれるそう。
中国製の安い木材は使わず、今でも国産材のケヤキやトチノキで、その木目の美しさが出る
また、関東以北でしか採れないオノオレカンバを使った箸も販売していた。
オノオレカンバは、一年で0.2~0.3mm程度しか成長しない、非常に密度の高い木材で、水に沈む。
原木を持たせてもらったのだけど、石だと言われたら石だと思いそうな代物だった。
こんな木から、この道40年の職人さんが作るそうで、一膳1400円。
ちょうど良い箸も欲しかったところだったので、ひとつ購入してきた。
お店の方にいろいろ説明もしてもらえて、いい買い物だった。
早速帰宅してから使ってるのだけど、すごく固い木材だから、先をかなり細くしても強度が保てる。おかげで、米粒ひとつつまむのもやりやすい。
国際通り、という通りを抜けて海の方へ。
地図によると、北村透谷生誕地の碑があるとのことだったが、少し探した。
マンションの敷地の一角に残されていた。
小田原はかつて別荘地だった時代もあり、文学者の街でもある。
関西でいえば芦屋あたりの雰囲気かな。
ここから海の方へ行くと、「街かど博覧会」としてかまぼこ伝統館を開いている、かまぼこ店丸う田代さんがある。
小田原はかまぼこが有名で、そこらじゅうに店がある。
かまぼこ伝統館では、伝統製法と現代の製法とを並べてそれぞれ解説したり、使われる魚の解説など。
それから、笑点グッズがちらほら見られていたが、どうも小遊三師匠のお気に入りらしい。
お店の方では、一番安いやつで一本930円。おおう……。
さらに1200円の「粋月」、1800円の「独楽」、2400円の「富士」がある。
小心者さを発揮して、「粋月」を一本購入して土産に。
購入すると、併設の喫茶室で使えるドリンクサービス券をもらえたので、一休み。
このかまぼこも、帰って食べてみたら予想以上に美味。
塩辛さがかなり抑えられてあって、旨味がすごく強い。日本酒飲みつつ、ふたりで一本食べてしまうのもあっという間だった。
母方の田舎が愛媛の宇和島で、あそこもかまぼこが名物だから私も食べ慣れてるのだけど、そもそも味のタイプが全然違うなあ。宇和島の板蒲鉾はもっと塩味で、飯が進む感じだ。
さらに、「街かど博覧会」として陶彩ぎゃらりぃを開いている松崎屋陶器店さんに立ち寄った。
あいにく小田原では良い土が出ず、陶芸は行われていないそう。
しかしこの店は、100年以上前から小田原で器を商っているとのこと。
店の二階がギャラリーで、人間国宝の作品も仕入れて展示・販売している。
徳田八十吉の作品もつい先日売れてしまうまで置いていたそうで、あのブルーがすごいと店の方としばし談笑した。
ここでは、私の前々からのコレクションであるぐい呑みをひとつ頂いた。
500円の安い有田焼の、藍の染付磁器。
前に大阪日本民藝館で特別展をやってたのを見てから、こういうの欲しいと思っていた。
柳宗悦がいうには、名も無き作り手が、ただただ慣れと手癖でさらっと柄を描いていくような素朴さがいいというんだけど、そういうのがわかったつもりになりたい。
街かど博覧会のギャラリーは、どの店のものも興味深く、またスタンプラリーも行われている。
店の方もよく解説や案内をしてくれるもので、何も買わずに出るのが憚られるものがあり、商売上手だなあって。
この分なら、どの店に入っても、買って損はない品にめぐり逢えそう
御幸が浜に出てみた。
ゴミがまるで落ちてないよ。町の人達に品があるんだろうなあ。
左手に三浦半島、右手に伊豆半島と大島。いい景色。
小田原宿なりわい交流館で一休み。
昭和七年建築の網問屋を改装して、休憩所や観光案内に利用している。
軒先に何本も桁が出て、その上に軒が乗っている、「出桁造り」という小田原独特の商家向けの伝統的建築法。
二階はちょっとしたイベントスペースのようだけど、今日はなにもなかった。建物の雰囲気は味わえる。
どんどん西へ行くと、いかにも明治元勲などが集まる別荘地だったらしい、大邸宅が多いエリアに。
その中に、田中光顕伯爵の別邸を改装した、小田原文学館がある。
これは裏手の写真だが、表側はSDカードのエラーで画像がぶっ飛んでいた……。
多数の文学者を生んだ小田原らしく、北村透谷、島崎藤村、尾崎一雄、福田正夫、川崎正太郎など大勢の作品やゆかりの品が展示されている。
面白いところでは、首藤剛志が小田原の人であったようで、突然ようこそようこの台本が目に飛び込んできて驚いた。
あまり大したことではないのだが、私は「戦国魔神ゴーショーグン」はアニメをみたことないのに、小説版だけ全巻読んでる。
また、小田原にゆかりがあった人の紹介もあり、小田原というと谷崎潤一郎も一時期住んでたね。そして細君譲渡事件を起こした。
建物自体も、それほど大邸宅というほど巨大ではないのだけど、明治のモダン建築。
あいにく私に知識がないのが惜しいが。
北村透谷の碑もある。
当時は自殺を忌み嫌う風潮も強く、自殺者を称える碑には反対の声も多かった……というようなことを、文学館で解説していたな。
そして尾崎一雄邸の、書斎部分を移築してある。
もちろん中も見学可能で、当時の調度品もできるだけそのまま置いてあるとか。
それからこちらも田中光顕の別邸らしいが、北原白秋の童謡館とされている。
どうも私は童謡に疎いので、あまり知ってる曲がないのだけど、それでも知ってる曲だと「揺籠のうた」や「あわて床屋」が、白秋が小田原で作った曲だそう。
さて、ようやく小田原城の方へ。
場内に入ってすぐ、小田原市郷土文化館がある。
まあ、小田原の街の場合は、そこらじゅうに郷土の文化がいろいろな形で残されて、展示され、生き延びている感があるのだけど、ここでは弥生時代の土器やらから展示されている。
それから、ぐっと新しくなって昭和の家電とか。ソノシートとか、昭和30年代のカメラとか、ダイヤル式の電話とか。
それから、報徳二宮神社という神社がある。二宮金次郎を祀る神社。
そういえば、小学校に二宮金次郎像は関西にだってあったけど、二宮神社は関西にはほとんどないね。
神社は土地によってかなり祀られる神様が違うもんだけど、二宮金次郎は関西では神様というほど崇められないのか。
報徳二宮神社のあたりは、かつては小田原城の雷曲輪と呼ばれていたそう。
雷曲輪、というのは全国にも例がないネーミングらしいけど、由来はよくわからないそう。
その曲輪を囲う空堀が、神社裏手に残っている。
そして、その空堀に捕まっている敵兵を迎え撃つ拠点となる高台があるのだが、
遊園地になっていた。
規模は小さくて、昭和の頃にデパートの屋上にあったくらいのもの。こういうのがなくならずにやっていけるんだなあ。渋い街だ。
さあ小田原城。
あいにく現存天守ではなく、元禄16年の地震で倒壊したのを宝永3年(1706)に再建、しかし明治3年に廃城にされた。
今のものは、昭和35年に鉄筋コンクリートで再建。それでも古い図面や模型などを参考に、外観は似せて復元してあるそう。
中は博物館で、古文書やら武具刀剣、地元工芸品(小田原提灯とか組木細工とか)の展示。
また天守からの眺望もなかなか。
秀吉が一夜城を築いた石垣山の方。
伊豆大島もよく見える。
城を下りて、銅門を抜けて街へ戻る。
実はこの時点で午後3時、昼食を食いっぱぐれていた。
ちょっと海産物が苦手なのと、なんか高そうだったり本当に高かったりという店が多くて、飲食店選んでたらなかなか入れず……。
結局、駅でどこにでもありそうなものを食べるはめになってしまい、ここだけ失敗だったな。
ここから、新幹線に乗り込んで大阪へ。
大阪から小田原だと、新幹線はこだましか使えないのがちと辛い。強いて言えば静岡でひかりに乗り換えだけど。
しかし小田原、いい街だったな。
いい名産品があり、工芸があり、文学があり、城がある。レトロな街並みもある。
こんなところに生まれ育てればよかっただろうなあ。
今回小田原で買った、箸・かまぼこ・ぐい呑み。いい。