そもそも、主人公が赤座あかりだなんて、「アカ」を二重にしたあまりにも共産主義的ネーミングである。
「もしかしてあれは極左過激派の陰謀では……?」と日々あらゆる物事に警戒心を持っているなら、アンテナが反応しそうなものだ。
気付けないとすれば、過激派の用語や行動についての基礎知識が足りないのではないだろうか。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。極左の暗躍に立ち向かうには、しょうもないサヨクの失言をネットでおちょくるようなことではなく、正しく敵を知り的確に戦うべき。
アニメや原作のワンシーンを証拠として挙げるのはめんどくさいので、とりあえず主題歌・エンディングなどの歌詞を見ていこう。
一期OP・ゆりゆららららゆるゆり大事件
リンク先は歌詞タイム。実に、パっと見ただけで非常に左翼的、学生運動家的な歌詞だとわかる。
わからない?それならまず、立花隆「日本共産党の研究」「中核vs革マル」を読んで基礎知識を身につけよう。
まず、タイトルの「大事件」。極左が数々の大事件を世界規模で起こしてきたことは常識だ。
「今日明日大爆発」というのも、極左が連日のように爆弾闘争を行っていたことを示す。
「部活動本番」で「学業本業なにそれ?」。
これは、過激派セクトが部活動を装って学校に巣食っている状態を示す。
学校をバリケード封鎖して学業をボイコットするのも、学業より活動を優先する学生運動家がよくやっていたことだ。
その後にすぐ、「そんなのぜんぜん食べれない」と続く。これは当然、学費値上げにより生活が困窮して食事にも事欠く、という学生たちの抗議が、学校封鎖といった過激な学生運動の原因であったからだ。
「近所のワンコと格闘」、というのも、それはもちろん権力の犬たる警官との乱闘を指す。
このフレーズが特に前後と脈絡なく飛び出すのも、警察のほうが脈絡なく難癖をつけてきている怒りを表現しているといえるだろう。
あいつはどこぞのセクトの人間だから逮捕しよう、となれば、その人間の前で勝手に警官が転び、「こいつに転ばされた公務執行妨害だ!」と現行犯逮捕する。ワンコの常套手段である。
そして最後のフレーズが「革命起こして卒業」。もはやいうこともない。
一期ED・マイペースでいきましょう
こちらは、さほど極左っぽくは見えない。が、注意深く見るとそうでもない。注意力は大切である。
まず、「髪型なんて気にしない」とか「お色気勝負はだめですよ」といった、女性の性的アピールを否定するような言葉が目につく。
連合赤軍の山岳ベース事件において、女性同志が化粧や指輪などのアクセサリーをつけて男性幹部を誘惑している、といった見解が、総括の理由とされた。
このことであれば、あまりにも恐ろしい。連合赤軍については、日本共産党どころか革マル派などでさえ否定している異常集団であるのに。
しかしまあ、曲全体のノリから見て、まさか連赤肯定の超過激ソングだとは思いにくいのも正直なところだ。
あまり女性性を利用するのは男女平等に反しますよ、という程度の意味合いだろう。
「むちゃぶり」「ねたふり」「うけないくらいじゃくじけない」。
これはもちろん、アジ演説を行うときの心がけだろう。
一般の小ブル市民には、革命の理想は無茶ぶりに聞こえるかもしれない。そういうネタ振りである以上、その場では受けないことが多いのはしかたない。しかし高邁な理想はいつか結実し、市民の連帯を勝ち取れるはずである。決してくじけてはいけないのだ。
「君と毎日会えるこの奇跡」。
左翼は「連帯を求めて孤立を恐れず」というが、目の前の同志と連帯を求めて得られているその奇跡は大切にしなければいけない。
極左の何より大切なことであろう。それを忘れた結果が内ゲバからセクト間の凄絶な対立、そして総括へと繋がり、新左翼は瓦解したのだ。
この曲が「マイペースでいきましょう」というタイトル。
今はすっかり弱ってしまった左翼たちに送るエールのような、応援ソングではないだろうか。
二期
で、二期は急に、OP/EDともに極左の陰謀っぽいフレーズが消失する。スタッフにレッド・パージがあったのだろうか?
三期OP・ちょちょちょ!ゆるゆり☆かぷりっちょ!!!
リンク先はうたまっぷ。二期大人しくなって、ゆるゆりスタッフの間でも左翼が内ゲバで自滅したりしたのかと思ったら、三期でまた極左ソングが帰ってきたのだ。
冒頭からいきなり「空いてる部屋をハイジャック」に「夢のアジト作りましょ」。
これだけであれば、カルト宗教系の偽装サークルかもしれない。
が、「ハングリー精神」「せんべー布団」といった貧乏臭さは、カルト宗教系の隠れ蓑サークルとは趣が異なる。間違いない。これはもう過激派セクトだ。
交信にドタバタするというのは一見ヘンである。
だが、極左セクトであれば電話などは公安に盗聴されていると考えたほうがいいわけで、メッセンジャーがドタバタ行き来して機密事項をやりとりするのは、それこそ戦前の共産党からよくあることだった。(太宰治も小説に書いている)
あるいは、もっと恐ろしい解釈もある。
かつて、警察無線というのはアナログで、市販の無線機で簡単に傍受できた。私の父も、趣味でよくワッチ(傍受のこと。当時は違法でもない)していたものだ。
しかし、警察無線のデジタル化とともに、一般人が民生品の無線機で傍受するようなことはできなくなってしまった。
ところが、革マル派が警察無線の暗号化をデコードすることに成功した、という情報が流れている。
警察無線であれば、そりゃ交信内容も毎日ドタバタしているだろう。
なぜ、ごらく部はそんな交信を知っているのか……?
「ノーベル賞」というフレーズもかなり脈絡不明に現れるが、ノーベル賞受賞者が左翼的運動に参加していることはよくある。
日本では大江健三郎氏が有名であろうが、他にも、中性子の発見で物理学賞を受賞したジェームス・チャドウィックなど、反核運動に携わる受賞者も多い。
それから「まくら投げ」。
歌の内容だけだと、まくら投げという名の壮絶な暴力闘争を行っているように見える。
ところで、極左活動家の「ヘルメット・マスク・角材(ゲバ棒)」という典型的スタイルを思い出してほしい。
角材のゲバ棒とは、一見すると確かに武器のように見える。だが、実はあんな安手の細い、しかもかなり長い木の角材なんて、実は殺傷能力は大してない。殴ったら折れる。警官の警棒には全く太刀打ちできず、いわんや機動隊をや。
これは元々、わざと殺傷能力の低いものを選んでいたからだ。しかも、安くて大量に調達でき、長くて威嚇効果も高い。
他のセクトと政治的見解が対立しているとはいえ、殺したり大怪我させたりまでは本意ではない。だからゲバ棒で威嚇し合い、時に怪我なく殴りあう。それが内ゲバだった。
実際、殺す気でやるようになってからは、鉄パイプとかゴルフクラブとか持ち出している。
歌の中でのまくら投げは、みんな怪我をすることもなく、疲れ果ててゲームセット。
これはつまり、ゲバ棒で殴りあう程度の、互いに怪我をしない・させない清く正しい内ゲバの姿を示している。
「空気は読むより作るもの」とは、まったくもって左翼のあるべき態度だろう。
革命情勢という社会的な空気は、読んで待っていてもやってこない。作りださねばならないのだ。
2015年、大いなる理想のために、ゆるゆり=極左革命アニメが帰ってきた。