せっかくの梅雨の晴れ間だが、映画館に閉じこもりに行く事に。
しかし、ミニシアター映画であって、やってるところは十三の第七藝術劇場。
十三も大阪の大繁華街のひとつではあるのだが、私の家からは絶妙にアクセスが悪いので、普段は全然行かない所。
たまにはちょっと歩いてみるのもいいだろう、ということで、映画が始まるより早くに現地入りしてみた。
持ちだしたカメラは、懐かしいスイバルの名機・京セラFinecam SL300R。
ついたら11時過ぎだったが、腹もペコちゃんだし、ちょっと早めに駅前のラーメン屋で入れていくことにした。
十三ラーメン、を名乗る店であったが、ちょっとカツオだしの味がする。スガキヤのラーメンをふと思い出したが、もちろんあんなジャンクな味ではない。ジャンクなスガキヤラーメンも好きだけど。
駅東側、商店街を抜けたあたりに、神津神社がある。
主祭神は応神天皇で、昔は小島八幡神社といわれてたそう。
洪水なんかが多くて古文書が散逸して、あまり古い時代のことはわからない。
しかし境内に旧神津村忠魂碑というのがあり、その建立者がここの宮司にして大阪府神社庁長であったそうだから、力のある神社ではありそう。
明治の頃に近在の神社はみなここにまとめられたようだ。神津神社、という神社としては、そのときが創建。
どうも近所にはポピュラーな祭神の神社が多かったようで、合祀の結果、オールスターみたいになっている。
応神天皇、神功皇后、底筒男命・中筒男命・表筒男命(住吉三神)、宇賀御魂神(お稲荷さん)、菅原道真公、少彦名神、猿田彦神。えらいメジャー志向だ。
十三戎神社という境内末社がある。
じゅうそうえびす、でなく、とみえびす、と読むそう。
戦後に今宮戎神社から分霊してきた、新しい神社。
摂末社群。
手前が六社神社。天照大御神、天児屋神、姫大神、事代主神、武甕槌神、経津主神と、これまたメジャーな神様を祀る。
奥が山之稲荷神社。さらに奥に見えてるのが福永稲荷神社。本社にもお稲荷さんを祭ってるのだが、更にふたつ稲荷神社があるとは。
また、境内に吉向窯という建物があった。
1801年に十三村に、十三間松月(戸田治兵衛)という人物が窯を開いて、亀の形の器を作って将軍に献上した所たいそう気に入られ、そこから亀甲→吉向窯という名前をもらった。
淀川大洪水などで移転してしまったが、現在でも交野の私市で続いている窯元であるそう。
建物は、昭和59年に十三文化祭というイベントで窯を再現したものだとか。
東に歩いて行くと、淀川区役所がある。
植え込みの花の写真を頂いた。左は擬宝珠、右はサフィニアだと思う。
白っぽいのは露出オーバーだからだが、まあ、背景の影や土の色に引っ張られた感じ。わりと素直に平均的に測光する露出だろうか。ちゃんと補正すればよかったな。
あまりハイライトは粘れず、あっさりサチってしまうみたい。
それから、どうもマクロが全然寄れないようで、調べてみると最短20cm。しかもマクロモードはシーンモードのひとつと扱われ、切り替えに手間がかかる。最短4アクション必要。
スイバル機は地面スレスレの花とかを特殊なアングルで撮ったりできるのがいいのに、ここまでマクロに弱いのは寂しい。せめて10cmならなあ。
島家先祖、と書いた墓はあったのだが、子孫の方が建てた墓だそうで、部外者が写真撮って公開するようなものではなさそう。
島左近は、関が原に行く前に娘をふたり大阪に残していったそうで、ひとりは大阪天満宮に嫁ぎ、もうひとりはここらの有力者に嫁いで、子が中津川の治水事業を手がけた島道悦だそう。
淀川の方に出てみた。
遠くで何かやってるから、フリーマーケットかなにかかな、と思って近づいていき、そういえばここはバーベキュー場だ、と思いだした。近づくと煙上がってたし。
河川敷は、自然のままに植物を生やしている区画があるので、そこに入っていってみた。
しかしなんか、草ぼうぼうというか、繁殖力の強いのに制圧されちゃってるような……。地面ぬかるんでることもあって、あまり細かくじっくり見れなかったんだけれど。
左のキク科っぽいのはヒメジョオンかな。なんかいっぱい生えてたが、こいつは侵略的外来種だ。
足元の芝生をよく見ると、小さい花が混じって咲いている。
黄色いのはカタバミかな。
左の白いのはよくわからない。1cmくらいの小さな花なのだけど、
河川敷から堤防を超えると、花壇をずーっと長く作ってある。
アジサイはちょっと弱々しいけど、まあギリギリセーフか。
十三駅に近いくらいまで来ると、哲学の滝と書いた古い杭の横にこんなのがあった。
駅を越えて、今度は西側へ。
波平さん何してはるんですか。
かつて、ここらに出没する「TOY魔人」なる露天商が、サザエさんとバカボンのソフビ人形を合体させて「サザエボン」なるクリーチャーを作って売っていて、大阪の密かな人気キャラになっていた。
後に、ある会社がそれをパクって大々的に売り始めたから著作権問題になって、その騒ぎでサザエボンは結構知名度が高くなった。私も名前くらいは知っている。
そのTOY魔人さんが作っていた鉄腕波平は、手塚治虫が近くの北野高校出身なのにちなんで、アトム・波平両方の許可を得、商店街のシンボルキャラになったとのこと。
とりあえず、目的の映画館に行ってチケットを買っておく。
まだ1時間半くらいあるので、さらに西の方へ歩いて行く。
十三バイパスの高架をくぐると、十三公園。
サルビアの花壇がお出迎え、はいいけど、真っ赤になってるなあ。デジカメは真っ赤はちょっと苦手だった時代があるが、SL300Rの頃なら解消してきてると思ってたのだが。
なんとなく鳩撮ったんだけど、右のやつが妙に頭でかくて不気味だな。なんか視覚が狂うような変な感じを受けてしまう……
特徴的な花のようで、なんだかわからない。なんだろう。百合っぽいけど。
十三に来て3時間ほどいた間に、赤信号を堂々と、通る車にブレーキを踏ませてクラクションを鳴らされながら悠然と渡る歩行者・自転車を3度も見かけた。
一度はまあ、赤信号に変わってすぐのタイミングで行った車と、青信号に変わる前にフライングした歩行者、というのだから、他所ででもありそうな話なのだけど。
二度目は、六車線ほどある十三通りを、別に信号の変わり際でもなんでもなく、おっちゃんが全く急ぐ様子もなく当然のように歩いて渡る。車の大混乱とクラクションのユニゾン。
三度目は、2車線の裏手の道で、若い女性の自転車が赤信号を無視してミニバンの前に飛び出し、急ブレーキとクラクションを鳴らされ続けてもまったく気にせずゆっくり斜めを通り過ぎる。
ミニバンはミニバンで、その自転車を追い越したと思ったら、次の交差点で自転車の前を塞ぐように急ハンドル切って停車、運転席から降りてきて50メートルくらい先まではっきり聞こえる大声でその女性を怒鳴り散らす。
なんか十三というのは無法なところだと思えてしまうわ。
さておき、ぶらぶらと商店街を冷やかし歩く。
かなりクラシックな店もあり、今時の下町らしい店もあり、というところで、ぶらつくのはなかなか楽しい。
商店街に長安寺という寺があって、富坂賢太郎という歌人の歌碑がある。
古着屋だったそうだけど家業も大変で、戦争では空襲で店が焼けるし、果ては仕事に追われて大晦日まで働いてるときに交通事故で亡くなる、という、どうにも薄幸な人だが、それでも陰気に流れず格調高い歌を詠んでいた、とのこと。
ミスドで一休みしたりしてたら映画の時間。
見た映画は、「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」。
タイトル通りに、三島と森田必勝を中心に、新左翼運動の盛り上がりへの反発、自衛隊への関与を深めて楯の会結成、そして市ヶ谷の事件を描いていく。
映画は、2時間ずっと食い入るように画面を見ていて、実に楽しめた映画だった。
正直いって三島の作品はあまり好きでなく、三島の右傾していった経緯も詳しいところは知らない、むしろそれをどんなものか知りたくて見に行ったくらいなので、特別に三島ファン向けとか、あの時代の騒擾に詳しくないとわからないような作品でもなかった。
しかし、まあ、三島にも森田にも、さっぱり感情移入できんかった。
三島側に感情移入させようというような美化は、あんまりなかったということかもしれない。
というかこの描き方だと、私の目には森田は愚かな狂人にしか見えなかったし、三島はナルシシズムのために天皇を利用し自衛隊を利用し若者の命まで利用したとしか思えなかった。それがどこまで事実に沿ってるのかはわからないんのだけど。
日本の本質とか魂とか、そういうのがあるとすれば、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残って、しかしそうなってもなお消えることなく残るものだと思うけどな。
そういうものがないんだったら、奈良時代と現代の日本を比べて、もはや何一つつながりを感じられない別物になってるだろう。
私にも愛国心はあるつもりだけども、その源は、日本がどう変化しても残ってきたものがあって、それはこれからもあり続けるだろう、という信頼だと思う。
今日のFinecam SL300R。
使ってて気になった点は、文中にも書いた、あまりにもマクロが弱いところ。
マクロモードへの切り替えが煩雑なのも、マクロ弱いから使ってほしくないという意思表示に思えるくらいで。
それから、バッテリーライフがかなり短いっぽい。
電池は純正じゃない互換品(一応SANYOセル)だから必ずしも文句は言えないのだけど。しかし長期的な寿命はともかく、買って間もない頃の容量は互換品でもそう遜色ないはず。
今日の道中の半分くらい、淀川河川敷を離れる頃にはもう、バッテリーゲージが3本から2本に減った。終わり頃には1本になっていた。
時間にして3時間、72コマしか撮ってない。
普通に使っててもどんどん本体温度が上がっていく感じで、どうにも電力の無駄が大きいみたい。
バッテリーのBP-780Sは、他社で一切同型電池の採用がなく、京セラでもSL300R/400R系にしか使われない、まったくつぶしの利かない代物で、いくつも保有しておくのは辛い。
起動は速い、のだけど、2GBものSDカードを入れてると、ちょっと手間取ってる素振りがある。1秒もないと思うけれど。
また、電源投入直後はファインダーがすごく露出オーバーで、2~3秒かけてゆっくり落ち着いていく感じ。多分気にせずシャッター切っても問題ないんだろうけど、実質的には若干の起動待ちは発生してしまう。
不満というとそれくらいのもので、総じて動作もクイックだし、操作系にも異様なところはない。
あ、十字キーがちょっと曖昧で、横に入れたつもりが上下に入ることがあるかな。
それから、取り出したりポケットに戻したりしてると、どうしてもうっかりレンズに触れてしまうのも気になる。
液晶モニタのバックライトを切って反射型として、バッテリーライフを伸ばす機能もあるんだけど、これが電源オフにすると次はバックライトオンに戻る。バックライトオフのまま電源入れっぱなし、というのは、電池が持たないとわかってるならそもそもやらない。操作系の矛盾。
文句は止まらないがw 細かい不満はまあ、色々ある。
密かに絞り優先オートがあるんだけど、絞りの設定がメニューの奥底で……ってもういいか。
しかし悪いことというと、まあマクロとバッテリーライフ以外は些細なことばかりで、総じて面白いカメラだとはいえる。
画質もまあ、飛び抜けてよくはないにせよ、1/2.7型300万画素としてはまずまずのところか。カリカリに解像感があるような画質じゃないけれど。
レンズは小さい割に歪曲収差も少ない、端が甘くなったりもしない、なかなか優れたものに見える。
換算38-115mm F2.8-4.7のスペック。ふつう。だけど、ボディの厚さ15mmのところに収めてるのだから、なかなかのもんだと思う。
CONTAX SL300R T*という、ボディが革張りになってレンズの名前がCarl Zeiss Vario-Tessar T*になった高級モデルがあるのだが、別に通常モデルと違うレンズというわけではないらしい。
ツァイスT*であれば、T*コーティングというレンズコーティングが施されているはずだけれど。
一応ツァイスT*を名乗らせて貰えるレンズと同等のものが無印SL300Rにも入ってるのであれば、ちょっと得した気分にはなれる。
比較記事があった。正直、私の感覚ではT*でないほうが画質いいように思えるけれど。
やはりスイバルの楽しさは素晴らしいもので、地面スレスレの小さな花を狙うとか、木に密着して真上にレンズを向けるとか、通常できないアングルも自由自在。
バリアングル液晶だとシャッターボタンの向きが明後日になることがあるから、やはりスイバルが自由度が高い。
これは私の趣味だけど、普通のカメラだと肩の高さで撮るけど、スイバルだとウェストレベルで撮る。自然と写真の雰囲気も変わる。
まあ、ただでさえ水平外すことが多いヘタクソさが、トリッキーなアングルで撮ろうとするから余計に悪化しちゃうけれども。
あとまあ、カメラ取り出すのがはばかられそうなところでも、これはうまく持てば撮ってると思われずに撮れるかもしれないな。それを活用できる機会が思いつかないのだけれど。
インターバルタイマー機能は残念ながらない。
スイバル機は意外に早い頃に廃れた文化だから、このFinecam SL300Rはスイバル末期の製品になる。
また、時代の制約もあったにせよ、わりと大振りなボディの製品が多かった。レンズをこの向きに入れるなら分厚くならざるを得ず、薄型小型軽量という方向には行きづらかったかもしれない。
それでも、わずか15mmの厚さに3倍ズームレンズを仕込んだこのカメラは、スイバルカメラの中でも最もウェアラブルな製品といえる。今時のデジカメと比べても、そう大きいとは思わせないレベル。
デザインもかなり良くて、京セラがんばったなー、と思える。
器量良しで画質も悪くなく、使って面白い、と、持って楽しいカメラ。
今の技術でまたスイバルやってくれるところないかなあ。カシオTR-100は面白そうだったけど、ズームレンズじゃないんだよね。
使ってて気になった点は、文中にも書いた、あまりにもマクロが弱いところ。
マクロモードへの切り替えが煩雑なのも、マクロ弱いから使ってほしくないという意思表示に思えるくらいで。
それから、バッテリーライフがかなり短いっぽい。
電池は純正じゃない互換品(一応SANYOセル)だから必ずしも文句は言えないのだけど。しかし長期的な寿命はともかく、買って間もない頃の容量は互換品でもそう遜色ないはず。
今日の道中の半分くらい、淀川河川敷を離れる頃にはもう、バッテリーゲージが3本から2本に減った。終わり頃には1本になっていた。
時間にして3時間、72コマしか撮ってない。
普通に使っててもどんどん本体温度が上がっていく感じで、どうにも電力の無駄が大きいみたい。
バッテリーのBP-780Sは、他社で一切同型電池の採用がなく、京セラでもSL300R/400R系にしか使われない、まったくつぶしの利かない代物で、いくつも保有しておくのは辛い。
起動は速い、のだけど、2GBものSDカードを入れてると、ちょっと手間取ってる素振りがある。1秒もないと思うけれど。
また、電源投入直後はファインダーがすごく露出オーバーで、2~3秒かけてゆっくり落ち着いていく感じ。多分気にせずシャッター切っても問題ないんだろうけど、実質的には若干の起動待ちは発生してしまう。
不満というとそれくらいのもので、総じて動作もクイックだし、操作系にも異様なところはない。
あ、十字キーがちょっと曖昧で、横に入れたつもりが上下に入ることがあるかな。
それから、取り出したりポケットに戻したりしてると、どうしてもうっかりレンズに触れてしまうのも気になる。
液晶モニタのバックライトを切って反射型として、バッテリーライフを伸ばす機能もあるんだけど、これが電源オフにすると次はバックライトオンに戻る。バックライトオフのまま電源入れっぱなし、というのは、電池が持たないとわかってるならそもそもやらない。操作系の矛盾。
文句は止まらないがw 細かい不満はまあ、色々ある。
密かに絞り優先オートがあるんだけど、絞りの設定がメニューの奥底で……ってもういいか。
しかし悪いことというと、まあマクロとバッテリーライフ以外は些細なことばかりで、総じて面白いカメラだとはいえる。
画質もまあ、飛び抜けてよくはないにせよ、1/2.7型300万画素としてはまずまずのところか。カリカリに解像感があるような画質じゃないけれど。
レンズは小さい割に歪曲収差も少ない、端が甘くなったりもしない、なかなか優れたものに見える。
換算38-115mm F2.8-4.7のスペック。ふつう。だけど、ボディの厚さ15mmのところに収めてるのだから、なかなかのもんだと思う。
CONTAX SL300R T*という、ボディが革張りになってレンズの名前がCarl Zeiss Vario-Tessar T*になった高級モデルがあるのだが、別に通常モデルと違うレンズというわけではないらしい。
ツァイスT*であれば、T*コーティングというレンズコーティングが施されているはずだけれど。
一応ツァイスT*を名乗らせて貰えるレンズと同等のものが無印SL300Rにも入ってるのであれば、ちょっと得した気分にはなれる。
比較記事があった。正直、私の感覚ではT*でないほうが画質いいように思えるけれど。
やはりスイバルの楽しさは素晴らしいもので、地面スレスレの小さな花を狙うとか、木に密着して真上にレンズを向けるとか、通常できないアングルも自由自在。
バリアングル液晶だとシャッターボタンの向きが明後日になることがあるから、やはりスイバルが自由度が高い。
これは私の趣味だけど、普通のカメラだと肩の高さで撮るけど、スイバルだとウェストレベルで撮る。自然と写真の雰囲気も変わる。
まあ、ただでさえ水平外すことが多いヘタクソさが、トリッキーなアングルで撮ろうとするから余計に悪化しちゃうけれども。
あとまあ、カメラ取り出すのがはばかられそうなところでも、これはうまく持てば撮ってると思われずに撮れるかもしれないな。それを活用できる機会が思いつかないのだけれど。
インターバルタイマー機能は残念ながらない。
スイバル機は意外に早い頃に廃れた文化だから、このFinecam SL300Rはスイバル末期の製品になる。
また、時代の制約もあったにせよ、わりと大振りなボディの製品が多かった。レンズをこの向きに入れるなら分厚くならざるを得ず、薄型小型軽量という方向には行きづらかったかもしれない。
それでも、わずか15mmの厚さに3倍ズームレンズを仕込んだこのカメラは、スイバルカメラの中でも最もウェアラブルな製品といえる。今時のデジカメと比べても、そう大きいとは思わせないレベル。
デザインもかなり良くて、京セラがんばったなー、と思える。
器量良しで画質も悪くなく、使って面白い、と、持って楽しいカメラ。
今の技術でまたスイバルやってくれるところないかなあ。カシオTR-100は面白そうだったけど、ズームレンズじゃないんだよね。