新blogできています

このblogは、現在更新を停止しています。 新しい記事は新blogに追加されます。

2013年5月11日土曜日

大山崎町・島本町 (DiMAGE F100)

別にフォトカノだけやってるわけではないのです。

雨なので街歩きもつらいので、室内で楽しめる所。
そうなると私は美術館か博物館か映画になるが、西洋画を見たい気分だったので美術館を探して、大山崎山荘美術館に行ってみることに。

持ちだしたカメラは、Minolta DiMAGE F100。
KD-400Zを買うときに対抗馬として考えてたモデルで、プログラムオートで専用電池だったKD-400Zよりも、P/A/S/Mで単三電池使えるこっちのほうが、カタログ比較では有力だった。
結局、DiMAGE F100はその後現物を触る機会もなく、ここ数年の古カメラ漁りでも、後継のF200・F300も含めて不思議なほど遭遇せず。あんまり売れなかったんやろか……。


阪急の準急で一路、大山崎駅へ。
以前このあたりには、サントリー山崎蒸溜所に来たことがあったが、今回は違う向き、天王山へと登っていく。


登り口に、俳諧師の山崎宗鑑が冷泉庵という庵を結んで隠棲していたところの跡があった。
俳諧やらには弱いから、ほとんど知らない人だけど。

ここでDiMAGE F100の動作が異様に遅いことに気がつく。
1枚撮るたびに10秒くらい待ち時間が出てしまう。なんだこれ、SDカードの相性か何かか。
後で気付いたけれど、このカメラは画質設定を最高にしたらTIFFで保存されるようで、1枚10MB以上のファイルサイズに。この時期のもんだったら10MBは辛いだろう。


急な坂道を、案内板に導かれるままに上がっていく。


と、こんなトンネルゲートが。
さすがに雨と暗さでフラッシュ飛ばさざるを得なかった……けれどまあ、この写りはカメラのせいとかじゃないなあ。

さらに山中の道を上がっていく。
美術館に入る前から、すでに山が見モノ。
道沿いに洒落た建物がいくつかあったけれど、私有地らしいので写真などは遠慮した。


上がりきったら、庭園の向こうに和洋混じった感じの建物が。
これが大山崎山荘美術館。

美術館だから展示もあるのだけど、建物がまずものすごい。
実業家で、大日本果汁(今のニッカウヰスキー)創業にも関わった加賀正太郎という人物が、昭和初期に建てたもの。
一時は潰してマンションにするなんて話が出て保存運動が起こり、ニッカの親会社にもなってるアサヒビールが乗り出して、アサヒビール創業者の山本為三郎のコレクションを展示する美術館となって今に至る。

本館は、柱や梁の木材が見えるところは彫刻で細やかに飾られ、壁や窓から調度品、作り付けらしい冷暖房の操作盤まで、360度どこを見ても贅沢。掛かってる手間がありあり見えるような品だらけで。

山本為三郎が民芸運動と関わっていたそうで、展示品はバーナード・リーチと河井寛次郎の焼き物が多かった。ルーシー・リーも少し。
リーチの作品って、やっぱり民芸そのものっていうよりは、民芸にインスパイアされてみました的なズレがあって、そのへん面白い。


一階の池を眺めるテラスからは写真撮影OK。雨だと結構渋い眺め。


本館二階に上がっていく階段には、ステンドグラスとバルビゾン派の絵画。
テオドール・ルソーのだったか、農耕牛をメインに置いた農作業風景、いかにもバルビゾン派のやつ(メモとってないどんくささ)。
私はバルビゾン派は好きなので、ここまで西洋画を見に来たはずなのに焼き物を見ていた状態は、この一枚でかなり満たされた。

上がったところのホールから上を見上げると、実にいい格好。
3階は上がれなかったけれど、多分客室になってるのかな。

2階展示室では、加賀正太郎がやっていた蘭の栽培を絵にしたものが展示されていた。
ホールから3階を見上げるといい感じ。
カフェもある。今はなにかホテルと協力していいケーキを出していた。
(飲み物は特別なものが出るわけではなかった)

カフェの向こうのテラスからは、木津川・宇治川・桂川の三川合流ポイントが見られる……のだけど雨で霧みたいになってもうひとつ。うーむ。


反対側の、ちょうど池のところの真上にもテラスがある。あの遠くに見える細長い建物はなんだろな。


さらに別館、地中館へ。
安藤忠雄の手によるもので、コンクリート打ちっぱなしの狭い階段を下りていくと、半地下になった丸い展示室。
そこに、クロード・モネの「睡蓮」連作が丸く並ぶ。
実のところ私は印象派は見方がわからんので、ちゃんと鑑賞できてる気がしないのだけど。

ホールに立っていたSECOMのガードマンが詳しい方のようで、学芸員のごとく来客に絵とホールについての説明をしていた。制服でものものしい存在かと思いきや、その人が解説してくれるとは粋なもんだね。

モネは常設らしいけれど、後ろのシャガールとモーリス・ド・ヴラマンク、オディロン・ルドンの3つはどうだろう。
ヴラマンクって知らなかったけれど、ローキーで色の強い感じが私好みだ。気にしておこう。


もう一つ、山手館という別館もある。
こっちはきっちり四角い部屋。
須田悦弘の「睡蓮」、薄削りの木材で睡蓮を形作った作品。
さっぱり言い表せる語彙が出てこないけれど、なんといったらいいんだろう……。写実的かそうでないかすら、はっきり言える気がしない。


美術館を出ると、往路には「脇道があるな……」としか思ってなかった方が庭園になっているのに気付いて、そちらに足を向ける。


結構広い庭園で、絵になる角度も多かった。
雨でなければもっと撮りまくったとこなんだけど、しかし雨なら雨で景色はよかったな。

展示もいいんだけど、建物自体も面白くて、二倍楽しめたような気になれる美術館だった。
また展覧会変わったら来よう。


ここから西国街道に降りてきて、淀川を川下の方に。
水無瀬神宮に行きたいんだよね……と歩き出したが、道標を見ると西国街道から外れるように案内が出ていた。
西国街道沿いに歩いて、途中で一回折れたら到着するはずなんだけど……。

しかし今日は、PlayStation Vitaに3G SIMを入れて、マップアプリを使ったらどんなもんかなー、とテストするつもりで来た。
……のだけど、128kbpsの3G回線でGoogle mapsは相当ハードで、1画面表示させるのに数分待ちになる有様。これはちょっと使えない。
ので、今日は地図なし。
迷ったらいかんので、とりあえず案内通りに移動してみる。

が、案内は最短コースを指示していたようで、特に何もない線路沿いの道を1.2kmほど行ってやっと到着。
西国街道を歩いていっても1.4kmほどにしかならんかったから、これなら西国街道行ったらよかったな……。


水無瀬神宮は、神宮というだけあって、後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇を祀る。
かつては後鳥羽天皇の離宮があったそうで、その跡地が神宮になった。


神社には珍しい門があるが、薬医門造りというそう。
石川五エ門が盗みにはいろうとしたけど、神威に撃たれて中に入れず、手形だけ残して立ち去ったとか。


参拝。
「離宮の水」という湧き水があって、名水だそう。
今度大山崎山荘美術館に来るときは、入れ物もってきて立ち寄ろう。


西国街道に戻って、大坂方面にぶらぶら。


JR島本駅近くに来ると、あたりは「桜井駅跡」という国指定史跡になっている。
無論鉄道駅なんかではなく、伝令のために馬を置いてある役所の一種。
続日本記にそれらしい記述があるのが最初らしいけれど、後に楠木正成・正行親子がここで別れた太平記のワンシーンで有名になった。


旗立松、今は枯れてしまってこの有様だけど、この樹の下で楠公と小楠公が別れていったとか。
江戸時代の名所図会にも描かれていたようなスポットだったそう。


どーんと立派な。



その向かいに、島本町立歴史文化資料館がある。

入ってすぐ、やたらとでかい土器の瓶が置いてある。直径2メートルくらいか。
川沿いで発掘されたそうなんだけど、割れずにそのままこんなでかいのが出るのは見たことがなかったし、実際日本にいくつもないレベルのものらしい。

他に、水無瀬駒という将棋の駒についての展示。
かつては水無瀬兼成という能書家が書いた駒がもてはやされ、天皇や将軍に献上されるくらいのものだったそう。
今の、手前が分厚く先が薄い形なんかも水無瀬駒が発祥だそう。

この中将棋の駒が島本町指定文化財1号で、それにちなんでか、中将棋のルールブックを作って配布していた。
今やってる将棋は小将棋で、中将棋はもっと駒が多くて盤も12x12、王の他に、成ったら太子になる駒があって、太子が現れたら両方取らないと勝ちにならないとか。

他に、多分江戸時代くらいだと思うけど、焼き物をやってた時代もあるよう。
あとは、この手の施設でよくある古い道具の展示もあったけど、なんか役所で使ってたものを持ってきたらしい事務用品があって、三洋電機のえらい古い電卓があったりとか。


そして島本駅から帰宅。
このあたりは場所柄もあってか、いろいろ歴史や文化財があって興味深い。
天気いいときにまた来たいな。



今日のDiMAGE F100は、なんというか動作がちょっと遅いカメラだったかな。
最高画質でTIFF保存の状態になってると、記録に10秒かかってしまう。再生なんかもっと掛かる感じ。
多分まあ、2002年のモデルがJPEGでそんなに遅いわけもないと思うけれど。

そうでなくても、起動もかなりゆっくり。
結構高級なモデルだったから、レンズのモーターもいいものを使っていて、動作音が静か。そして静かだから、音で起動終了を判断することもできなかったりして……。

他に、マクロモードはテレマクロ固定なのだけど、マクロにしてシャッターを半押ししたところでズームが動いてピントを合わせに行く。全押ししてたらそのまま撮影までしてしまう。
予想外のところでいうこと聞かなくなる感じで、しかも動作がゆっくりしてる。


しかしカメラとしては真面目なつくり。
一度AFを取った被写体が移動しても、そのままAFを追尾するなんて機能もある。もっと後の一眼なんかにはあるけど、この頃のこのサイズのカメラには珍しい。


CCDは1/1.8型400万画素、補色フィルタ。
F200/300は原色フィルタになった。
補色のほうが原理上感度が高いし、ちょっと色の出方の雰囲気が違う。
今日は悪天候で画質には厳しい日だったけど、ISO400でもちょっと偽色出るくらいで、なかなか。2002年のもんだと思えば上等。

ISOオートで撮影しても、テレで1/90秒、ワイドで1/30秒からゲインアップするよう。
1/8秒までゲインアップしない、オートとはいえんようなオートも多かった頃だから、これも評価高いところ。
今日の天候でも、酷い手ブレは殆ど無かった。

レンズは38-114mm F2.8-4.7。まあ普通。
ちょっと歪曲があるし、少し絞ってカリカリにシャープになる、というようなもんでもない。

今日の写真が露出アンダーなのが多いのは、私の趣味で雨の日は-1.0EVくらいで撮るからで、カメラがおかしいわけではない。

今日はRCR-V3で運用したから、単三で使うとどれくらいのバッテリーライフかはわからない。
電池さえ持つなら、ちょっとゆっくりしてるだけでよく出来たカメラだから、当時買ってたとしても文句なかっただろうな。

0 件のコメント:

コメントを投稿