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2013年10月12日土曜日

摩耶山 (DiMAGE Z3)

最近資格試験とかで運動不足だし、しっかり歩く日に決定。
近いけど行ってなかった摩耶山へ。


阪神電車で岩屋駅へ。
前に兵庫県立美術館で大河原邦男展を見た時に使った駅。他県で快速止まらない駅を何度も使うのは割と珍しいな。
しかしあの時とは逆方向、山手へと歩いていく。



とりあえず王子公園前の王子神社にお参り。
都市部のちょっとした神社、って感じで、境内もかなり駐車場に転用されてる状態。由緒書きなんかも発見できず、うーん?


その近くに横尾忠則現代美術館があるのだけど、まあ、私にはよくわからないのでパス。


横尾忠則の道を挟んだ向かい側、王子公園の南西隅に神戸文学館というのがある。

元々王子公園のところは関西学院だったそうで、そのチャペルとして建てられたレンガ造り。
関学が移転してもそのまま、戦争を超えて万博の展示施設になったり、文化センターになったり図書館になったりギャラリーになったり転用に転用を重ね、今は文学館。
2008年に登録有形文化財になった。

中は、神戸ゆかりの文学者について紹介する展示がある。
小規模なものだけど、イベントとして講演会やらをやってるような感じで、そういう設備があった。


何か食べてから王子動物園を一回りかな、カメラもズームが利くやつだし……と思ってたけど、たまたま駅から飲食店がほとんどないところを通ってしまったよう。喫茶店くらいしかない。
仕方なくそのまま、山手の方へ上がっていく。

しかし王子公園北側に学校がいくつかあって、女学生が降りてくるのとすれ違う形になったのだけど、歩道いっぱいに3人広がって明らかにこっち見てるのに避けようともせずカメラの入ったこっちのカバンを跳ね飛ばすとか、ふたり並んできてこっちが避けて植木の枝に突っ込んでもお構いなしとか、神戸の山手のお嬢さんというのは下々の労働者階級の者など石ころくらいに見えんのかしら。
私はちょっと、石ころというには大きすぎる岩石だと思うのだが……


王子公園北側の通りを東へ、摩耶ケーブルの駅へと歩いていく途中、こぢんまりした、ちょっと80年代のままっぽい感じの喫茶店が、洋食もやっててランチも出すというので入ってみた。
古いは古いけど、悪趣味なところもお高く止まったところもない感じのいいところで、おすすめらしいステーキ丼を頂いてきた。結構家庭料理っぽかったのも好し。



で、摩耶ケーブルの駅。

さすがに駅に辿り着くまでかなりの上り坂で、例によって過剰に体格がでかい私が体が重くて辛いこと。
10月というのにまだ真夏日が続いているこの日には苦しかった。



少し待つと、ケーブルカーが降りてきた。


ケーブル駅は、住宅地の中に突然現れるような感じ。
鉄道駅からバスが出ているから、普通はそれ使ってくるのがいいと思う。徒歩で来ると、住宅に紛れて場所がわかりにくいかも。

ケーブルカー自体はまあ、割と普通のもん。
ただ、山上の虹の駅に近づくにつれ、妙に傾斜がキツいような感じが。
調べてみると547パーミルのようで、キツイ方ではあるけど際立ってキツいってほどでもなかった。近畿だと高野山ケーブルのほうがキツい563パーミル。


ケーブル虹の駅からは展望なかなか。(しかしさらにロープウェイを上がった先が著名な展望台なので、ここからの写真は略)


東側に廃屋があるのはなんだろう。レストランかホテルでもやってたんかな。
そちらへの道は塞いでいたけど、「この登山道は使えません」と表示してあった。廃れた登山道でもあるのかな。


ここからさらにロープウェー。
この写真が入り口のように見せかけて、こっちは閉鎖中。なんかちょっと不思議な構造の駅舎で、地図で見ても上から見た形状が奇妙。


ロープウェーで空中散歩。
紅葉が進めばなかなかの景色になりそう。
今は神戸の町を遠望する。やっぱり細長い街よね。


上がり切るとそこは、掬星台という有名展望台。
夜景が売りだそうで、星を手で救えるほど見えるから掬星台なんて名づけたとか。



神戸空港方面。
天気はよかったんだけど、ちょっとモヤってるなあ。
空気の状態まで良いと、左手に和歌山まで見えるそうで。


山上にはサンテレビの電波塔らしいのが。
アナログ放送時代には、大阪湾を渡って南大阪までサンテレビ受像圏だったもんだ。

掬星台は展望がいいゆえに、他に余計なもの建てたりしていないので、一周りして山の方へ。
ここからバスに乗って六甲山方面へ移動することもできる。



10分ばかり山の方へ道を行くと、忉利天上寺というお寺がある。



入ってすぐ、軍艦摩耶の碑がある。
摩耶は川崎造船所で建造されたから、生誕の地は摩耶山から見えている。

大洗の那珂記念碑は知れ渡ってるけれど、他にも色々あるんだろね。
京都の乃木神社に、日露戦争時代の巡洋艦吾妻の記念碑、というか主錨を祀ってあるのを覚えてる。


さらに階段をあがるとこんな本堂。
日本では唯一、お釈迦様の母親たる摩耶夫人を本尊とする。
646年に、法道仙人という天竺の高僧が開いたという伝説がある。

お堂の中には、現代的な極彩色の摩耶夫人尊像がある。もうひとつ黄金の小さな秘仏があって、それも本尊。
このお寺は1976年に、賽銭泥棒の放火でほとんど全焼して、本尊も失われてしまった。
神社でもたまに賽銭泥棒の放火とかがあるけど、泥棒に入るにしても火をつけていく意味がよくわからんなあ。

堂内の回廊に、四国八十八ヶ所の各寺(だと思う)の和讃を呼んだ掛け軸が並べられていて、順に回れば巡礼できるようにしてあった。
和讃は各寺のご住職が詠まれたものなんだろうか、字も違うし、センスもかなり異なる。


えてして新しく堂宇が建てなおされてるお寺は、なんというかあまり味がない感じになってるとこが多いように思うけれど、ここはなんとなく品が良い。
カネがあるから建て替えたとかって話と、火災から再建中の天上寺ではそりゃ違うところもあるだろうけれども。


下りはケーブルカーを使わず徒歩で。

掬星台西側から案内に従って山道を降りていく。ちゃんと石段で整備されている。


といってもまあ、こんな感じではある。森林浴だねえ。
まだ昼の二時過ぎ、登ってくるハイカーも多い。



ほんの10分ほどで、放火される前にあった天上寺の跡地にたどり着く。
これは裏手にあった権現社あと。
火災で失われたものだから、石組みとか地面の舗装なんかは残ってる。


本堂跡。
このあたりは史跡公園として整備されるようになり、案内板やベンチなどが置かれている。

ケーブルカーの次のロープウェーは、当然かつてはこちらの方へと伸びていた。
遊園地なんかもあったそうで、天上寺が失われるとともにそのあたりの商売もやられてしまった。放火犯罪深いな。


少し下の山門は焼け残り、今もある。
火事から40年近く経ってるから、未整備じゃ朽ち果てると思うんだけど、しかし屋根から植物が茂りつつもあり、お寺が健在な頃ほどしっかり整備されてもいなさそう。


ここから、もう少し降りると道が分岐する。
左に行けば、ケーブルカー駅方面に。そっちがかつての表参道。
右に行けば、青谷道という兵庫方面からの参道。
せっかくだから、青谷道のほうへ。

こっちの道も整備はされていたが、多少は荒れたようなところもあり。
青谷川という川沿いの道なので、地下水が道を洗っているようなところがあって見るからに滑りそう。
距離も結構あって、登山道が終わるまで2400mの標識があった。(起点がはっきりわからんかったけど、多分天上寺山門かと思う)



半分くらいまできたところで、多少人間の気配がしてきた滝行場。
しかし、周囲に少し開墾された形跡があったり、滝行の施設かと思ったら表札かかった民家があったりして、どうも人が住んでるようだ。



青谷川は、見た目にも綺麗だし滝行がやれるくらい。
サワガニがいるから取るな、と看板があったが、サワガニは水質が良くないと生息しないはず。
水底が赤っぽいのは鉄分かな。


微妙にホスピタリティの痕跡があるが、通る人多かった時代もあるのかな。


神社があった……と思ったら、大龍院岩屋滝講とある。
神仏習合時代からそのままの格好でやってんのかしら。

ここに近接して、登山会の施設が並んでいた。
卓球場まで備えている豪華さだったんだけど、有名なんだろうか。


麓に辿り着いた頃には3時半になっていたので、だいたい1時間半くらいの路程。
久しぶりに歩いて、しかも山下りだから、何時ぶりかの筋肉痛。


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