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2011年12月30日金曜日

大阪~名古屋ツーリング・復路 w/ Easyshare Mini

一泊して、ツーリング復路。

行きに遠回りなルートをとってしまったので、帰りは無難に名阪国道へ。

四日市あたりで国道23号から1号に写って、そのままひたすら1号線を南下。
適当に朝兼昼食を摂って、ただただ走って行って、素直に名阪国道へ入る。
……のに、入り口を間違えてそのまま一号線を行ってしまう。300m先で分岐って書いてた看板の直後に名阪国道入りの分岐があったように思ったのだが……

まあ、このあたりで雪混じりの霧雨が降りだして、嫌な天候。
名阪国道は高速道路みたいなもんなので、天候も悪いしこのまま下道を行こうと心を変えて、とりあえず道の駅関宿に立ち寄った。
ここで江戸時代からの名物らしい「志ら玉」という菓子を土産に買ってみた。帰って食べたらなかなか美味しい。

東海道経由で大津や京都を通るのも嫌なので、国道25号旧道へ。



せっかくだから、旧大和街道沿いの集落にある神社など歴訪していこう、と、まずは加太集落にある川俣神社へ。
式内社で、祭神は大比古命。

加太といえば、関西本線の加太越えのイメージがある。本能寺のときに徳川家康が逃げていったルートもここだとかで。
この川俣神社は、もうちょっと南の、加太川とアマノタ川が合流するあたりにあったらしいのだけど、1668年に川俣城跡地のここに移ってきたそう。
川俣城というのは南北朝時代の城で、ここらの土豪だった鹿伏兎氏の陣屋を、1414年に伊勢国司の北畠満雅が川俣城と名付けた、とのこと。


境内に土俵もあった。



外の鳥居は新しめの明神鳥居に近い形(でも貫が貫通してない)、内の鳥居は古い神明鳥居から少しだけ変化した形(笠木が斜めに切ってあって、横から見ると五角形)。
内の鳥居みたいな形は伊勢のほうではポピュラーな形らしいし、内のほうが新しい感じだったので、そのように作ったのかな。
社叢が天然記念物だそう。

山脈を越えて伊賀の盆地に入ると、25号旧道も走りやすく真っ直ぐな道に。
柘植のあたりから伊賀上野まで快走。


伊賀上野あたりで、小宮神社を通りかかったので休憩を兼ねて立ち寄った。(最近だんだん神社があると遠目に気づくようになってきたような)


敷地はコンパクトで、ちょっと写真映えさせづらい。
拝殿裏手に本殿が見える。

これも延喜式内社で、呉服比女命という服部氏の祖神を祀っている。
こみやじんじゃではなく、おみやじんじゃと読む。

伊賀上野近辺の古い町並みでちょっと迷いつつ、伊賀上野城は鉄道で来ようと思って今回はパス。

再び25号を行く。



伊賀盆地を抜けて、今度は奈良へと向かう途中、また街道沿いに黒瀧神社というのがあった。
このあたりの治田という土地の産土神として、1010年から天児屋根命を祀っている。
明治末の合祀令で近くの岡八幡宮というところに合祀され、跡地は荒廃していたものの、終戦直後に還御して復興。2010年に御鎮座千年を迎えた。


そういう経緯もあって、拝殿は新しい。


しかし境内には古い雰囲気のものもちらほら。

さらに25号をどんどん行く。
亀山-伊賀間には、ダートになってたりとか、どうも県道との交差点で25号側に一時停止があったりとか、なんとも無碍に扱われてる雰囲気があったが、このあたりはそれほどでもない。
ただ、どういうわけかこのあたりから、交差点の行先案内版以外には、この道が25号だと示すものがなくなってくる。おにぎり25の標識もさっぱり見かけない。本当に道を間違っていないか不安になる。


山添村を走っていると、十二社神社を通りかかった。


名前からして近隣の氏神様を一箇所に集めたような神社だろうと思う。本殿はきれいだけど、右手の施設が昭和っぽいので、戦後のものかな。

拝殿の裏手に階段が見えたが、階段の上までは見えない。
上に本殿があるようにも見えなかったが、今ちょっと検索したところによると、御神体はふたつの大岩だそうだ。

このへんから、名阪国道と25号旧道が何度も交差しながら行く感じになる。


針インターの近くの針という集落に、春日神社があった。
なんか真新しいな、と思いきや、このあたりはかつて春日大社の荘園だったそうで、延暦年間(800年ごろ)からあるとか。
すぐ隣の観音寺もセットで参拝していくのがよかったみたい。

どんどん行くと、また名阪国道からルートが外れ、山の中を蛇行して天理ダムを周り、そして天理市に到達。

天理市に入るなり、石上神宮がすぐ近くだという看板があったのでそちらへ。
間違って天理教本部の前に行ってしまったりしつつ、程なく神宮へ。


神宮の中でも、日本書紀に記載があるのは伊勢神宮と石上神宮だけ。
初詣の準備らしい屋台が並んでいた。この時期だし。


なんだか鶏がたくさん。
山の辺の道はこの裏を通っている。いずれ歩きに来ないと。


楼門(重文)と拝殿(国宝)。
御神体が宝剣で、祭神がその神様ばかりという、大和政権の武器庫だったところ。
神武天皇の使ったという布都御魂剣が祀られているが、発掘してみたら本当に出てきたというからすごい。


裏手のちょっと高くなったところに摂社がまとめて建っている。
式内・出雲建雄神社というのが、草薙剣に宿る神を祀るという。向かい合う拝殿がこれもまた重要文化財になっている。


隣の天神社と七座社。


境外にも末社・神田神社がある。
烏帽子石、とあるが……別のものに見えるが……

石上神宮を出て、南に下がって桜井方面へ。
巻向遺跡やら、織田有楽斎の墓地がある寺やらが道端に次々現れるが、また別の機会にとパス。あまり寒くならないうちに帰りたいし、全部寄ってたら時間がいくらあっても足りない。

竹内街道を通って大阪へ。
途中で道の駅・近つ飛鳥の里太子へ寄ってみたが、3時間ほど前に正月休みに入ってしまっていた。

大阪に入って程なく日没。そのまままっすぐ帰った。